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92.花咲く祭の前日に ⑧

 会館を閉める時間が来たということで、桃達も外に出ます。日が落ちて、すっかり暗くなっていました。結局ベラとアシュリーは戻って来ず、どこにいるのかも分からないまま。


「そのまま帰ってしまったのかもしれませんね」


 とマルクが言いました。これ以上二人を待つつもりはなかったのですが、桃達はなんとなく外で立ち話を続けます。


「結局ね、私がここで働けるようになったのは、ほんの四、五年前のことなの。私が街を離れられないせいで、夫は行商を辞めることになっちゃった。家族には沢山迷惑をかけてきたし、とりわけあの子には、ずーっと寂しい思いをさせてきちゃった。私のことを憎んでも、嫌っても仕方ないわよね」


「そうでしょうか?」


 マルクの問いかけに、魔術師の瞳が揺れます。


「だって、普通母親は家にいるものだもの」


「ベラさんは、確かに寂しかったかもしれません。でも、貴方の事、嫌いじゃないと思いますよ。彼女は魔術師を目指していると言っていました。現に魔法学校に通っていますよね。それが全てだと思います」


 ベラの母親がふふふ、と笑います。桃は仕事場の主人一家のことを思い出しました。家を出て行って、借金をしてまで絵描きになることを拒んでいた長男が、結局絵描きの工房に入っていったことを。幸か不幸かは分からないけれど、子どもは親の背中を見て育つのだと感じずにはいられません。


 では、耕すべき田んぼを失った農夫の娘は将来どうなるのでしょうか? その先を考えると底なし沼に嵌まってしまうような予感がして、即座に頭の中から追い出そうとします。


「ありがとう。話すだけ話したら、すっきりしたわ。もう遅いし、そろそろお開きにしましょう。転送魔法の件はごめんなさいね。不正利用した輩がいたせいで皆、神経質になっているの」


「あ、あ、あの、そ、それ、いつ」


 リンがかなり切迫した様子で聞きました。


「さあ、一年位前だったかしら。ギルド内部の人が引き起こしたんじゃないかって、言われてピリピリしたものよ」


 マルクとリンが一瞬顔を見合わせます。魔術師はその隙に桃の耳元へ顔を近づけました。そしてこう囁いたのです。


「無事で良かったわ」


 と。


 桃は体が固まってしまったかのように、しばし呼吸をするのを忘れていました。彼女は唇に人差し指を当て片目を瞑ると、すぐにその手を開いて振りながら、城門へと走って行きました。桃は大きく息を吐きます。


「僕達も戻りましょうか」


 魔術師の姿が見えなくなったころに、マルクが二人に呼びかけます。三人はギルドの建物に背を向けて細い道に入っていきました。すると桃達の方へ向かってくる人影が。


「サムだ」


 リンが桃の耳元で囁きます。ギルドまで迎えに来るとは思っていなかった桃は何事だろうかと小走りでサムに近づきました。


「サムさん、来たんですか?」


「別に。偶々この辺に用事があっただけなんだけど」


「わあ。帰りましょう。一緒に」


「まあ、好きにすれば。俺は適当に帰る」


 ここでマルクとは別れることになりましたが、分かれ道に入る前にサムに向かって呼びかけます。その内容をリンが簡単な言葉に直して桃に耳打ちしました。


「えっと、さっき中に入った建物の中に転送魔法があって。その、使っちゃ駄目なんだけどその魔法を勝手に使った人がいたんだって。モモは多分それで運ばれてきたんだと思う……そんな感じのことを、あの人が」


 小さく驚きの声を上げる桃。


(誰かが勝手に魔法を使っ結果、うちが運ばれてきたってこと? なんでうちやったん? わざわざあんな田舎から?)


 魔法で連れてこられたということがはっきりした反面、疑問も次々に増えていきます。一方それを聞かされたサムは冷淡な反応でした。


「で、それが何? 俺にどうしろと」


「いえ、ただ、参考にしていただければ」


「お、おう」


「では。失礼します」


 手を振りながら、立ち去るマルクを見送ります。


「また勉強会に行きます」


 と呼びかけると、律儀なマルクは振り返って


「お待ちしていますね」


 と返しました。


「はい!」


 元気よく返事をすると、いよいよ桃達も家へ向かいます。道を歩いていると妙に胸元が重く感じて、懐に手を入れます。するとお金の入った包みが指先に当たりました。その時、酒場の店主から頼まれていたことを思い出します。


「そうだ、リンちゃん。これ渡します。遅くなってしまいました」


 そういって隣を歩くリンに包みと手紙を渡しました。彼女は眠そうな目でもらった包みの紐をほどきます。中にお金が入っていることを確かめると、僅かに顔を曇らせます。そして手紙を読むことなく、


「……ありがとう」


 と小さな声で言いました。今日中に渡せて良かったと桃は胸を撫で下ろします。そうこうしているうちに三人も家へ辿りつきました。サムは一階に住むゲラーシムというおじさんに呼ばれているそうで、桃はリンと二人で階段を上ります。


「今日は、ありがとうございます。来てくれて」


 リンはブンブンと首を振りました。


「なんか……色々あった」


「本当ですね。びっくりすること沢山でした」


「ねえ」


「はい?」


 リンの短い髪が風に揺れています。彼女はあちらこちらに目を向けながら、暫く口をモゴモゴさせてから、こう問いかけました。


「桃は、お家に帰りたい?」


「そうですね……」


 今度は桃が困ってしまう番でした。一年前ならすぐに「はい」と答えられたかもしれません。でも今はちょっと違いました。そのことを突きつけられて、桃は少なからぬショックを受けました。


 帰りたい、家族に会いたいという気持ちは強くあります。


 しかし。


 ここに来てから多くの人に支えられてきました。もし故郷に帰れたとしたら、もう二度とここの人に会えなくなってしまうのではないか、そんな不安が頭をもたげます。それに故郷で元通りの生活ができるのか、ということを考えるだけの時間もできてしまいました。急にいなくなったことで家族には辛い思いをさせてしまいました。村人にも大きな迷惑が掛かったはずです。戻って来たところで一体どんな顔をして再会すればいいのでしょうか。


 一つ確かなことは、迷うことなくそう言える自信を失いつつあるということ。


「帰りたいです。帰りたいですけど……」


 その続きを言いたくなくて、上手く言えなくて、桃はだまり込んでしまいます。


「ごめん。……じゃあ」


(リンちゃんが謝ることじゃないんよ)


 そそくさと部屋に入っていくリンに、桃は辛うじて


「では、また」


 と呼びかけました。



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