90.花咲く祭の前日に ⑥
そんなことを考えているうちに、ベラの母親が入ってきました。マルクが挨拶の為に立ち上がると、モモとリンが釣られて席を立ちます。
「ほら、兄さんも」
マルクがアシュリーを立たせようとしたのを魔術師の母親が制しました。
「良いわよ別に、そういうの。ほら、座って、座って」
「すみません。失礼します」
そう言って三人は座り直します。そしてマルクが、一年前に桃が故郷から自分の意志に関係無くこの街に来てしまったこと、船や馬車に乗った記憶が無いことから転送魔法が使用されたのではないか、ということをスラスラと話します。
「そう。家族と離ればなれになっちゃって、言葉も分からないところに来ちゃったのね。大変だったわねえ」
魔術師が目を伏せながらそう労りの言葉をかけると、桃が頭を下げました。ベラが話を続けます。
「もし転送魔法が使われたのなら、モモの故郷に魔法陣があるってことでしょう? どうにかして返してあげられないかしら?」
「難しいでしょうね。申し訳ないんだけど、立場上、転送魔法について余り詳しく話せないの」
「あら……そう」
「実際転送魔法って本当に魔法陣さえあれば、どこへでもどんな物でも運べるんですか? 地方や、国をまたぐ場合に制限はないのでしょうか?」
マルクが質問をする。桃はもう話についていけなくなっていました。人や物を運ぶ魔法について話しているということだけ辛うじて把握できています。
「どこへでも運べるわけではないわ。これ以上説明すると複雑になるのだけれど」
「然様ですか。難しいのですね」
ベラが急にバンッとテーブルを叩いて立ち上がったため、桃の肩もびくりと動きます。
「もう良いわ」
前髪が顔を隠していますが、腕が震えていて、怒っているのが伝わってきました。
「母親らしいこと何一つしてこなかったくせに、魔法使いとしても役立たずなのね。期待した私が馬鹿だったわ、もう知らない」
「ベラさん! 謝って! えっと……酷いですよ」
桃は咄嗟に叫んでベラの服を引っ張ります。桃は親子の事情を知りません。それでも、毎日のように仕事をしてくれている、敬うべき母親に対して「役立たず」と吐き捨てるなんて考えられないことでした。母親と離ればなれになってしまったことが、余計に桃を駆り立てたのです。母親がいるということが、どれだけ心強く、ありがたいことなのか。この一年で身にしみていました。
「ベラちゃん待って」
アシュリーが急いでベラを追いかけます。リンとベラの母親は呆気にとられていました。その後ろ姿を見送った頃になると頭が冷えてきて、母親への態度に関していくら思うことがあろうとも部外者の自分が出しゃばるべきではなかったと思い直します。桃はその場でベラの母親に頭を下げます。
「ごめんなさい」
「謝らなきゃいけないのはこっちの方よ。母親らしくないのも、あの子の役に立てなかったのも本当だから」
と落ち着いた口調で語った矢先、ドンッと拳で机を叩きました。花瓶が振動で大きく揺れます。ベラに謝罪するため席を立とうとしていた桃は、びっくりして追いかけるタイミングを失ってしまいました。
「だからって、あんなに怒ること無いでしょうよ。なんなのいきなり。私何か悪い事したの? 休日が無くなったから? 無職になって、路頭に迷うより良いでしょう? これまで何度も似たようなことあったけど、何にも言わなかったじゃないの!」
つい先ほどまでとは打って変わって、目尻をつり上げ、激しく言い募ります。部屋に残っていたマルクがベラをかばうようなことを言いました。
「あの、ベラさん、明日、家族に手料理を振る舞いたかったそうですよ。先程まで練習していました」
「あ、あの、パイ、美味しかったです」
桃も続けます。それを聞いた母親は力が抜けたように項垂れました。
「そういうことだったの。本当、駄目よね。私。ねえ、ちょっと聞いてくれる? どうせあの子暫く戻って来ないでしょうし、仕事もやる気出ないし。貴方聖職者でしょ。懺悔の一つや二つ、聞いてくれても良いわよね?」
「は、はあ。ど、どうぞ」
戸惑うマルクをよそに、ベラの母親は大きくため息をついて身の上話を始めました。




