81.絵描きの息子たち ⑤
翌朝、桃がかじかんだ手をさすりながらグレアムの家にいくと、また怒鳴り声の応酬が起こっていました。もう何度も聞いているのに喧嘩には慣れないもので、氷のように冷たい耳を手で塞ぎます。
「なんでこんなことになったと思ってる? 家に借金取りが来てさ、そいつが連れて来た人達が暴れ出してさ、変な噂が立って、父さんは仕事が無くなるし、親方やギルドの人達には迷惑かけちゃったし、俺の職場にまで噂が広がるしさ。借金取りの仲間だと思われるからって、友達を出禁にするような真似までしてさ……これ以上迷惑かけないでくれよ」
「ああ、分かったよ。そこまで言うなら今すぐ出て行ってやるよ、そうすればいいんだろ。絵描きにでもなんにでもなってやるよ」
「そうだよ。はじめっからそうしてくれ。もっと早く償ってくれりゃあよかったのに」
「うるせえなあ、さっさと仕事に行けよ」
「言われなくたって行くよ。誰のせいだと思ってるんだ」
勢いよくドアが開いて危うくぶつかりそうになります。早足で現れたグレアムは、桃がいることに気がついて顔を歪めました。
「いつもごめん」
帽子を被り直して、ぼそりと呟きます。桃は首を振りました。
「今日は早く帰るから、お昼まででいいよ。それから暫く休みになるから」
いつもの柔和な笑顔はすっかり消え失せていました。桃も困って眉を下げます。原因がお兄さんにあることは分かっていますが、桃としてはどうすることもできないのです。唯一できることがあるとすれば、できるだけ普段通りの家政婦でいること。
「行ってらっしゃいませ」
頭を下げると、グレアムは泣きそうな瞳に無理矢理口角を上げたような表情を作りました。
「行ってきます」
(早く仲直りできるといいのになあ)
互いが互いを尊敬する気持ちはきちんと持って居るのに、それを伝えられないまま月日が経ってしまいました。今日を、厳しい冬をどう乗り越えていくのかや、結婚や仕事をどうするかといった現実的な目の前の問題に皆が手一杯になっているのです。お兄さんは台所の机で頭を抱えていました。
「無理にでも横になっておけば良かった。我慢できなくて降りてきたらめっちゃ機嫌悪かった」
桃が尋ねる前に事情をぺらぺらと語り出します。
昨日グレアムが受け取ったのは、婚約の話が持ち上がっていたある娘さんからの手紙でした。そこには、グレアムさん自身に不満はないけれど、ご家族様と上手くやっていく自身がないので、婚約の話は無かったことにしたい。という旨が書かれていました。
つまり自分の結婚が上手くいかないのは兄や父親のせいではないかということで朝から揉めてしまったのです。
(確かに、相手の親や兄弟の世話をしたくないから、長男は嫌やって言っとる子も多かったわ。何も貰えず貧乏暮らしなんてたくないから、長男が良いっていう子もいたにはいたけど)
場所は違えど結婚の生々しさは変わらないのだと知り、桃は眉を寄せます。
「あーあ。変な啖呵切っちまったよ。絵描きにでも何にでもなるって言っちまった」
「絵描きになるつもりがあるなら、親方に言え」
ふらりと入ってきた父親が水を飲んでいきます。
「こんなときに限って聞いていやがる……」
恨み言を言ってお兄さんは椅子から立ち上がりました。
「今から出かけてくる」
「どちらに?」
「知り合いの大工のところ」
ぱっと桃は目を輝かせました。昨日一生懸命描いていた絵を渡しにいくのだと想像がついたからです。
「できあがったんですね」
「とりあえずな」
そう言ってお兄さんは紙に描いた下絵を見せてくれました。丸まったツタが重ね合わさっており、中央上部に凜と咲く百合の花を優雅に引き立てています。既に浮かび上がるような立体感があり、高級感のあるベッドに仕上がりそうな予感がしました。
「すごいですよ。とっても綺麗です」
「どうも」
「喜んでくれるといいですね」
「さあな。でも、結構楽しかったかも。やっぱ、絵を描くのは嫌いじゃない。好きでもない」
そう言ってふっと笑います。
「ふうん、植物は悪くない。けど彫刻にしては細かすぎるし、なまめかしさが足りない。ここはこうやって――」
お父さんも紙を覗き込んでいました。そして木炭で修正を描きこもうと腕を伸ばしかけたところでお兄さんが紙を丸めます。
「とにかく、行ってくるから、飯もいらない」
「は、はい」
飛び出すように家を出て行ってしまい、その日は桃が帰るまで戻ってくることはありませんでした。




