82.絵描きの息子たち ⑥
飛び出すように家を出て行ってしまったグレアムのお兄さん。その日は桃が帰るまで戻ってくることはありませんでしたが、迎えに来てくれたサムと連れだって家に帰っている時、広場で腰掛けているのを見つけました。
「お兄さんです。どうしてあんな所に」
かけよってみると、顔がほんのり赤くなっています。お酒の匂いが漂ってきました。まだ意識はしっかりしているようで、桃の姿を認めると、「やあ」と言って手を上げます。
「もしかしてそちらが同居人さん」
「サムです」
「俺はブライアン。弟が世話になっているそうで」
「こちらこそ。ところで、今何をされているんですか」
サムは少々戸惑いながらも、単刀直入に尋ねます。
「なんというか……風に当たっているところ」
「帰りたくない理由がおありなんですね」
桃とサムはお兄さんの隣に座ります。話しかけてしまった以上、ぼうっとしている彼を置いて帰れなくなってしまったのでした。
「容赦ないんですね」
「……と、こいつが聞きたがっています」
「ちょっと」
流れるように桃のせいにされたため、抗議の意を込めてサムの腕を軽くはたきます。
「まあ、その通りですよ。知り合いに家具に彫るための絵を描くよう頼まれていたので、それを持って行ったんです」
「あ、あの絵はどうでした?」
桃が身を乗り出します。大工さんがどんな反応だったのか気がかりだったのです。
「それは、喜んで貰えた」
「わあ、良かったですね」
しかし、お兄さんは何度目かのため息をつきます。どうも話には続きがある様子。
「丁度その時、別の知り合いに誘われて、つい」
お兄さんは指で何かを回すような手つきをしました。
「ああ、負けたんですね。案の定」
サムはそれが何を表しているのか分かったみたいでした。お兄さんは頷きます。
「賭け事なんて勝てると思っちゃ駄目ですよ」
「分かっています……」
「何をしていたんですか?」
話について行けなくなってきた桃はつい尋ねてしまいました。
「遊びみたいなことをして、勝ったらお金が貰える、負けたらお金が取られるってことをやってたんだって」
「遊びでお金がもらえるのですか?」
「まあね。でも、どっちが勝ったか判断したり、ズルをしていないか見張ったり、遊びの道具を用意したりする人が働いた分のお金をもらっていくから、結局損をするけどな」
「へえ」
世の中には知らないことが沢山あるとつい感心してしまいました。
「あんたはどうせすぐ負けるから、やらない方がいい」
最後にちくりと釘を刺してムッとさせるのがサムらしいところ。
「聞きましたよ。ご家族さんのところに借金取りが来たって。お兄さんは前からそんなことばかりしていたんですか?」
「借りたことはあるし、返せなかったこともある。自分でも何がしたいのか分からなくて、でもあの家には居たくなくて、とにかく、絵を描く以外のことがしたかったんだ。ダサいとか、暗いとか人に言われないようなことを。結局ああいうのは誰がやってるかって問題だと気づいたのはずっとあとになってからだった。愛想のいい弟みたいなのが描いていたら、『へー、上手いね』で終わるんだって。賭け事もしたし、女の子を誘って呑みに行ってみたりもしたし、祭りの市場で偶々買った楽器を弾いてみたり、旅芸人に頼み込んで街の外に連れて行ってもらったこともあった」
酔いが回ってきてしまったのか、堰を切ったような勢いで話を始めます。サムは聞いているような顔で、桃に耳打ちをしました。
「聞いているこっちが恥ずかしくなりそうだ」
「人のこと言えないでしょう」
「あんたもな。まさか、自分は別だと思うなよ?」
「えっ」
何か痛々しいことをしていたかとあれこれ考えを巡らせる桃をよそに、お兄さんの話は続きます。
「けど、どれも上手くはいかなかったよ。賭け事は当然のように負けるし、女とはまともに話せない。ただ酒を呑んで飯を食うだけ。なぜか奢らされるし。買った楽器は演奏できるようになる前に壊れたし、別の街に行っても、そこにはやっぱりギルドみたいな組織があって、昔からいるような人や、そこにいる人の親戚とかじゃないと仕事なんてとても貰えなかった。むしろブラッドリーの方がよそ者に優しい街なんだと気づかされたよ。旅芸人のところで暫く過ごしたけど、芸はさっぱりでいつの間にか舞台の設営だとか、小道具の模様つけとかそんなのばっかりやってた。結局最近はちょっとお店で働きながら家で隣人と馬鹿騒ぎをするばかりで……分かっているんだ、柄でもないことはするもんじゃないって、早く足を洗って親方に償いをしなきゃいけないって」
「だったらなおのこと、今すぐ家に帰った方が良いんじゃないですかね? 先延ばしにしても傷は深まる一方ですよ」
急に黙って頭を垂れるお兄さん。桃はその顔を覗き込むように話しかけます。
「お兄さんなら大丈夫ですよ、やり直そうと思っていますから。今からグレアムさんやお父さんにちゃんと謝りに行きましょう」
「こんなところにいても風邪を引くだけだしな。冷え切っていることに変わりはないかもしれないけど、雨
風がしのげるだけ家の方がましじゃないですかね」
「そうするよ」
お兄さんはやおら立ち上がりました。
「若い人達に励まされてばかりいるのも情けないしな。ありがとうこんな話に付きあってくれて」
「全くですよ。こいつのせいで」
「何ですか、それ」
「じゃあ、静かな夜を」
お兄さんはそう言って家の方に歩き出します。
「お一人で大丈夫ですか?」
桃がふらつく背中に向かって叫ぶと、彼は気にするなと言いたげに手を振りました。
「あの程度なら、ギリ帰れそうだな」
隣でサムが囁きます。
「そうでしょうか……」
「送り届けていたらこっちも遅くなるし、そこまで責任もたなくていいだろ。俺らも帰ろう」
「はい」
二人は反対の方向に向かって歩きます。サムは途中で空を仰ぎました。つられて桃も空を見上げると、そこには満点の星空が広がっていました。こんな風に空をみるのは久しぶりです。
「柄にもないこと……か」
サムの口からこぼれ落ちた言葉が、夜空に吸い込まれていきました。




