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80.絵描きの息子たち ④

前回のあらすじ:倉庫掃除で思い出に浸るとなかなか進まない……。

 数日後、いつもの様にグレアムの家へ行くと、台所で木炭を走らせているお兄さんの姿がありました。気になった桃は、背後から手元を覗き込んでみます。薄手の石板に蔓のような模様を描き込んでいました。描いては消してを繰り返したせいか、板が薄汚れています。見られていることに気がついたお兄さんはパッと後ろを振り返りました。


「何か用? もしかして邪魔だった?」


 桃はかぶりを振った代わりに何をしているのか尋ねました。


「ベッドに彫る模様を考えて欲しいって頼まれたんだ」


「ベッドにですか?」


「俺たちが使っているようなものじゃなくて、もっと金持ちが使う洒落たやつだよ」


(フランさんが山の上の屋敷に連れて行ってくれたときに寝たようなのかな? あれ、ふかふかで気持ち良かったなあ)


「知り合いに机とか棚とかを作っているやつがいるんだ。お客さんに頼まれてベッドを作ったら味気ないって言われたらしくて、なら何か模様をつけようって考えたらしい」


「それでお兄さんに?」


「よりにもよって、な。俺は絵描きの息子ってだけで絵は下手だって話したんだけど、聞かなくてさ。本職の親父に相談しようとしたんだけど、なんか言えなくて」


 結果自分の手で描くことになったようです。机の上には分厚い本が置いてあり、朝顔のような絵の描かれたページが開かれていました。


 一方、桃は自分の絵が下手だというお兄さんの言動が棘のように引っかかっています。昨日物置部屋で見た絵は十分上手でした。色をつければ実際の風景とそっくりに見えたでしょう。


「昨日お兄さんの絵を見ました。とても上手でした」


「え……物置にそんなの残ってたのかよ」


 彼は狼狽えたように頭を抱えます。


「そんなに、嫌ですか?」


「……何でだろうな。嫌ってほどでもないんだろうけど、なんかさ、男が黙々と絵を描いてばかりってのはダサくねえか?」


 絵を描いているグレアムや父親の姿を思い浮かべます。楽しそうだなあ、やってみたいなあと思うことはありますが、ダサいと感じたことはありません。そもそもダサいとは何なのか分からないのです。桃は首を傾げました。


「そっか。結局そんなもんなのかな」


 お兄さんの言っていることは良く分からなかったのですが、ズキズキと胸が痛んできました。


「まあ、そんなのはもうどうでも良いんだよ。結局向いていなかったんだから。今でこそ親父も後を継げなんて言ってくるけど、ちょっと前まではグレアムに後を継いで欲しがっていたんだ。あいつの方が人物画が上手いからって。まあ、半分俺のせいでもあるんだけど、あいつが郵便屋に入っちゃったから親父も諦めざるを得なくなって、けど上からいい加減に弟子を取れって言い続けられてて、もう最悪俺でも良いんじゃないかって考え始めているところなんだろう」


「そんな……」


 自分のことを卑下しなくていいのに、と言いたいのですが、上手く言葉がでてきません。何とも言えないもどかしさ。こういうとき何と声をかけるべきなのか、何をすれば晴れやかな気持ちになれるのか、出口の無い迷路を延々と進んでいるような感覚に陥ります。答えが出せないまま、お兄さんが椅子を引いて立ち上がりました。


「ずっとここで考えてるとおかしくなりそう。なんか作るわ」


「いえ、私が作ります」


 桃は仕事で家事をしているのですから、ご主人様の家族に負担をかけさせてはいけないと、慌てて止めに入ります。


「良いって、俺が作りたいだけなんだ。台所に居座っちゃったし。その間他の仕事すれば早く終わるし、いっそ休んじゃえば?」


「ですが……」


 すべきことをせずに人にお願いするというのは申し訳ないもの。


「あんたが来る前はさ、俺らでなんとかしてたんだから、大丈夫だって。母さんが倒れてからはほとんど俺だったけど」


 グレアムは以前お母さんが亡くなってから慣れない家事をすることになったと話していました。あのお父さんが料理をする所は想像できないので、お母さんが動けなくなってから出て行くまでの間にお兄さんがやっていたというのは真実みがあります。


「なんか、久しぶりだったからさ。適当に作ったのでも、店で買ったのでもなくて、母の味って感じの飯を食べたのが」


 桃は恥ずかしいやら嬉しいやらで頬が緩んでしまいます。うんうんと相づちを打ちながら耳を傾けていました。


「この味に慣れると不味いんだ。ボロ借家の一人暮らしに戻れなくなっちまう」


「えっ」


 思わぬ展開にきょとんとする桃。褒められているのか、けなされているのか益々混乱してきました。一方彼はもう鍋を用意し始めています。本気のようです。


「だから、いいだろ?」


「は、はあ」


 とはいえ折角の厚意? を無下にはできないので、甘えることにしました。出会った時は怖い印象でしたが、絵描きの道具について教えてくれたり、ご飯を作ると言ってくれたり、案外しっかりしていて親切な人なのかもしれません。


 それだけに急に家を出て行ってしまったことが不思議で仕方ないのです。


「そういうことでしたら、お願いします。楽しみです」


「期待はするなよ。あっ材料ってどこにあるんだ?」


 食材と調味料、調理道具の場所を軽く説明すると、桃は居間で繕い物を進めました。心地良いコトコトと鍋の煮える音が聞こえてきます。七着ほどほつれた所を直し終わった頃に、香ばしいパンの匂いが漂ってきました。手を止めて台所に入ります。


「わあ、美味しそう」


 切り分けられたパンにはハムと野菜、そして焼き色のついたチーズが乗っています。鍋の中には、丁寧に細かく切られた具材と、ツンとする香辛料の入ったシチューが。手際よくお皿を出し、トロッとしたシチューを注ごうとしているところで、桃は「あれ?」と声を上げました。昼ご飯を食べるのは二人、桃を入れたとしても三人なのに、お皿が四つ。


「お皿、多いですよ」


 しかも一つだけ今まで見たことの無い、小さなお皿になっています。


「これは?」


「母さんの分……あっ」


 お兄さんは赤らめた顔でうつむいたまま、無言で皿をしまいます。


(癖になってまったんやろうなあ)


 毎日、毎日このようにご飯を用意していたのでしょう。母親の影が横たわる家。彼らの傷が、本人達が想像している以上に深く、まだ癒えていないようです……。


 父親に声をかけますが、なかなか台所にこないので、先に二人で食べてしまうことに。

パンをほおばりながら桃が尋ねます。


「お兄さんはいつまでいるつもりなのですか?」


「どうしようかなあ。家賃払わないと戻れないし。冬至祭りの間はいるだろうな」


 あと一週間はいるつもりのようです。冬の間は働いているお店が休みのため、ほとんどお金が入ってこないのだそう。お店が再開すれば家賃を払う当てもできるので戻るかもしれないと続けました。


「どうして家を出たのですか?」


 暫くお兄さんは天を仰ぎます。


「何とかしたいとは思ってるんだ、こんでも。えっと、理由かあ。大の男が三人暮らしとか、窮屈だろ? ってのは冗談で」


(そんなに狭いかな? 七人でもっと小さな家で暮らせたんやから、寧ろ広い方やと思うけど……)


「そうだなあ……多分最初は、ここまで長いこと出て行くつもりはなかったんだと思う。ちょっと一人になりたかったんだ。これからどうすればいいのか何も分からなくなってさ、ゆっくり考える時間が欲しかったんだよ。十分過ぎる程の時間が過ぎちまったけどな」


「ゆっくり、考える時間」


「うん。たとえば、絵描きが向いてないなら何ができるだろう、とかさ。結局何も見つからなかったけど。カエルの子はカエルだったわけだ。親ガエルほど立派でなかっただけで」


「そんなことないですよ。お兄さんは片付けができる人です」


 それを聞いたお兄さんは吹き出してしまいました。手で口元を押さえます。


「何だよそれ」


 笑われるようなことを言ったのかと思うと体が熱くなり、顔を見合わせていられなくなってきました。食べ終わった皿を水の張った桶に入れて、台拭きを持って来ます。


「片付けますね」


「じゃあ、お願いするよ。俺もそろそろ描かないといけないし」


「頑張って下さい」


 机に向かって描いては消して、本を見ながら描いてという作業を繰り返すお兄さんの顔はこれまで見た中で一番輝いて見えます。知り合いの方は、こんなお兄さんを知っていたのでしょうか。グレアムが慕っていたころの、夢中になってお絵かきをしていた場面を垣間見たことがあったのでしょうか。でなければ絵描きの息子だからと言って絵を描かないと言い張っている人に頼むでしょうか。お客様の注文を受けて家具を作っているならなおのこときちんと描ける人にお願いするはずです。


「きっと知り合いの方もお兄さんに描いて欲しいと思っていますよ」


 皿を洗いながら、呟くように話しかけました。


「だろうな。芸術家のギルドに依頼すると金がかかるし」


(そんなつもりて言ったんやないんやけど)


 と心の中で言いながら、黙々と石板に向かう彼の背中を眺めていました。そうしているうちにグレアムが帰ってきます。台所に入ってくるなり、机に向かっている兄の姿に目を剥きました。


「どうしたの」


 しかし、没頭するあまり弟の声に気づいていない様子。


「お仕事です」


 桃が代わりに答えます。


「お仕事って、ほとんどまともに働いていないんじゃあ」


 その時、父親の呼び声が聞こえてきます。


「グレアム、手紙が来てるぞ」


「はあい」


 玄関まで手紙を取りに行き、早速封を開けて中身を読むと、みるみるうちに表情が暗くなってきました。上着すら脱がないまま階段を上っていこうとします。


「グレアムさん、上着を」


「あっ。そうだね」


 その場で毛皮のついた上着を受け取ります。


「あの……何か良くない知らせが?」


 おずおずと尋ねると唇を震わせて、首を横に振りました。桃は聞くんじゃなかったと思い直します。言いたくないほど嫌なことだったようです。


「ごめん、まだまとまらなくて。こんな返事だろうと覚悟はしていたつもりなんだけどね」


 と言い置いて階段を駆け上がってしまいました。



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