79.絵描きの息子たち ③
前回のあらすじ:工房をお掃除するよ。
次の日もグレアムの家に行くと、喧嘩こそしていないものの重たい空気が立ち込めていました。家族で話に興じることもなくそれぞれが自分のしたいことを黙って行っているような感じです。暫く台所の隅に立って居た桃に、
「じゃあ、早速始めようか」
とグレアムが笑いかけたとき、ようやく息ができるようになった気がしました。
一足先に掃除道具を持って階段をのぼると、グレアムのお兄さんがある部屋に入ろうとしていました。寝室でも、物置でも客間でもない部屋。中に入らないで欲しいとグレアムに言われていた場所。そこへ平然と入っていくお兄さん。その先に何があるのか知りたいという好奇心に負けてしまい、開いた扉の隙間から覗き込みます。
何の変哲もない部屋でした。綺麗に整えられた木のベッド、小さな机、壁に掛けてあるランプ、布で閉じられたままの窓。
「母さんの部屋だったんだ。昔から体の弱い人だった」
(確か、数年前に亡くなってまったんやっけ)
壁に掛けられた絵にはうっすらと埃が積もっています。どれだけの間この部屋の時が止まっていたのかを物語っていました。
「ここはずっと変わっていないんだな」
ずっと母親がいたときのままにしてある部屋。せめて埃を落としたい気もしましたが、よそ者の桃が立ち入ってはならない空気感がそこにはありました。
「どうしたの?」
背後からグレアムに呼びかけられます。一瞬どきりとしましたが、特に怒気は含まれていなさそうだったので単純に気になって声を掛けただけのようです。お兄さんは黙って部屋を出て行きます。
「今行きます」
桃は道具を持ち直して物置に入って行きました。物が積み上がっていて、窓枠が塞がっています。部屋の中は真っ暗でこのままでは作業ができません。灯りを入り口に引っかけて照らすことにしました。
「油が切れる前には窓を開けられるといいよね」
そうグレアムは意気込みますが、道のりは遠そうでした。
埃っぽい部屋の中には置き場所はないけれども捨てるのもためらわれるようなものが乱雑に積み上げられていました。一つ一つ取り出しては外へ出していきます。壊れた家具はもう使えないから解体して薪にしてしまおう、とか小さくなった服は雑巾にしようなどと話しながらまとめていきました。時には木彫りの騎士がでてくることもありました。
「小さい頃遊んでいたやつだ」
「可愛いです。捨ててしまうのは勿体ないですね」
「でも、こんなのばっかりだからね。ここにあるのは。とりあえず捨てようか」
「……そうですね」
これこそがグレアムが進まないと言っていた理由。思い出のものが詰め込まれた場所だから。
「これはどうしますか?」
桃が取り出したのは、明らかに女物のドレス。淡い緑色をしているようです。
(落ち着いていて、良い色やなあ)
お母さんが着ていたものだとすぐに見当がつきました。この家には他に着る人がいないし、部屋にも入りきらない。他の人に譲るにも気が引けてここに眠っていたのでした。
「どうしようかなあ。そうだ、モモちゃんにあげるよ」
「えっ」
「多分そう何回も着てないから綺麗だよ」
「私、着る時ありません」
その色のドレスには心惹かれるものがありましたが、毎日が貧乏生活の桃にはそんな機会が訪れることはない気がします。
「ドレスとして使わなくてもいいし、他の人にあげてもいいよ。ここに置いておくよりはずっとましだよ」
「そういうことでしたら、いただきます」
桃はありがたくもらっていくことにしました。一旦ドレスを部屋の外に置いておくと、グレアムが苦々しい声である物の山を指します。
「あれを片付けるのが大変なんだよ」
そこには木の板やキャンバス、壊れたキャンバス立てがありました。
「全部昔描いていた絵なんだよ。置くところがないし、かといって捨てるのも嫌でさ、家族みんなが描き上げると全部ここに放り込んでるんだよね」
「すごいですね」
「どうにかして捨てなきゃいけないんだけどね」
そう言ってグレアムは一枚の絵を取り出しました。消えかかっていますが、お花畑の中に女の子が座っている絵のようです。どこか幼さを感じさせるものでした。とはいえ、髪の毛の一本一本が分かるような筆遣いや、花弁の立体感、そして形の取り方はしっかりしており、今の桃でもここまで描くことは絶対にできないと思わせる絵。
「小さい頃に描いたものだね」
「わあ、とても上手ですね」
本物そっくりに絵を描こうとしたことすらない桃は感嘆の声を上げます。小さいこどもでもここまで丁寧に、本物と似た絵が描けるのだということに衝撃を受けていました。
「そんなことないよ。バランス悪いし。線も曲がってるし、それほど上手く描こうなんて考えてなかった時のだから」
「十分すごいですよ」
「まあ、これは絵の具が禿げちゃってるし、捨てようかな」
残念な気もしましたが、何かしらの基準を設けないと溜っていく一方になってしまうのも事実。桃はそれをぼろぼろになった家具と同じ場所に置きました。
「あ、これは割と最近の絵だ」
そこには、木の根元にもたれかかり、ぶかぶかの服を身に纏いながら、鋭い視線を向けている少年が描かれていました。照れくさそうに赤らめた頬、鮮やかな茶色で塗られた癖のある髪。
「サムさんだ」
「そう、あんまり男の子を描いたことが無かったから、ちょっと大変だった」
「そっくりですよ」
「本当? なら良かったのかな。でもこれどうしようね。状態は良い方だけど」
「置くところがないのなら、サムさんに渡しませんか?」
と桃が提案すると、グレアムは肩を落としました。
「もともとあげようとしてたんだよね。そしたら断られちゃったんだ」
「ええ……。どうして」
(こんなに綺麗に描いてもらったのに。絵に興味が無くたって自分の絵を貰うくらいしてもいいやん)
「毎日自分の顔を見る羽目になるのが嫌なんだって」
いかにも彼の言いそうなことだと桃は思いました。むすっとした顔で断る彼の顔がすぐに思い描けてしまいます。しかし、自分の絵を素直に喜べない気持ちは桃も分かるような気がしました。現にグレアムの父親が桃をモデルに表紙を手がけた本をもらったものの、未だ見ることができないでいます。
「別にすごくイケメンって訳じゃないけど、見るのが嫌になるような顔でもないのにね」
桃はハッとして彼の顔を思い浮かべます。あまり周囲の男の人を格好いいかどうかという目線で見たことがないので、いまいちピンときません。ただ、なんとなくグレアムの言うことが的を射ているような気がしました。
「とりあえず取っておこうかな」
グレアムは手にしてた小さなキャンバスを、壁に立て掛けます。二人は絵の具が消えかかっていたり、紙が破れていたり埃が付着して落とすことができなさそうな絵を探しては捨てていきました。グレアムがある一枚の絵を眺めています。気になった桃はそれを覗き込みました。これまでとは違い炭で描き殴られたかのような絵でした。噴水とその周りの町並みのようです。荒っぽい線でありながら、窓まで細かく描かれていて今にも建物が建ち上がりそうな迫力がありました。
「兄さんの絵だ」
「え?」
昨日お兄さんから絵は描かないという言葉を聞いたばかりでした。それなのに、周囲には何枚も似たような雰囲気の絵が散らばっています。しかし、中には大きく×が描かれていたり、黒く塗りつぶされているのもありました。
「この辺全部そうみたいだね」
「絵、描いていたんですね」
「うん。昔は一緒に絵を描きに行くこともあったんだ。いつからかなあ。絵を描いているところを見なくなったのは。なんかさ、急に『木陰で絵を描く男なんてかっこ悪い』とか言い出すようになったんだ。何があったのかは教えてくれなかったんだけど」
「そんな……」
もの悲しげに視線を落としながら、輪郭をなぞる大きな手。
「僕は好きだったよ、兄さんの絵。雑だけどさ、とにかく描くのが早かったんだ。あっという間に描き上げちゃうからさ」
声色や絵を撫でるグレアムの手つきは優しく、兄への純粋な思慕の念と一抹の寂しさを帯びていました。
「だけど、父さんの好みではなかったみたい……」
ぼそりと呟いた言葉には重苦しく、どこか不穏な響きが混ざっています。
「で、これどうしよう」
のし掛かってくる空気を振り払うように、グレアムが務めて明るい声を出します。
「うーん、お兄さんに渡しますか」
「そうだよね。こればっかりは本人に決めてもらわないと」
お兄さんの作品はかき集めて束ねておくことにしました。再び絵の山に戻ってくると、グレアムが一枚の絵を引っ張り出してきます。
「あっ。これ」
「何ですか?」
「母さんの絵だよ」
「わあ」
そこに描かれていたのは、まだあどけない二人の息子達。柔らかく温かい眼差しに溢れていて、ほっこりした気持ちになりました。
(ここの家の人は、皆本当に絵を描くのが好きやったんやなあ)
「これは母さんの部屋にでも飾っておこうかな」
「そうしましょう」
二人は互いの顔を見合わせて微笑んだのでした。
朝から片付けを始めてお昼過ぎになる頃。ようやく窓を開けることができるようになりました。グレアムがゴミの処分に言っている間、桃は床を掃いて、雑巾がけをします。それが終わると、取っておくことにした荷物を次々と並べていきました。小さな作品に関しては、壁に掛けておきます。全部並べ終わったころにはちょっとしたギャラリーのようになっていました。
「ありがとう。ようやく綺麗になったよ。やっぱり他の誰かがいてくれた方が早く進むね」
「良かったです」
誰が見に行くわけでもない物置部屋。そこに飾られた作品達は僅かに差し込む光に照らされて輝いていました。しかし、雨が入るのを防ぐため、また塞がなければなりません。
「せっかく開けられるまで片付いたのに、残念だね」
そう自嘲気味に嗤いながら、グレアムはそっと思い出を閉じ込めるように板を取り付けたのでした。




