77.絵描きの息子たち ①
前回のあらすじ:値段を見ずにおやつを買ったら後でびっくりすることあるよね。
桃はグレアムという青年の家で家政婦として働いていました。普段はそこで淡々と家事をして、時には遊びにくる友人と歓談しながら過ごしています。昨年は冬至祭りの時期になると雪が積もって家から出ることさえできなくなっていましたが、今年は雪の降る日が少ないためこの時期でも仕事に行くことができていました。
最近は冬至の祭りの準備で大忙し。始めてすることが多いので、グレアムや桃の友人、知り合いに尋ねながら進めていきます。お肉や野菜を何日もかけて漬け込んでみたり、いつもより念入りに掃除をしてみたり、ホリーの枝をせっせと編んで飾りを作ったりしていました。
グレアムが郵便屋の仕事から戻って来て暫くたった時でした。ドンドンドンと扉の叩く音。台所にいた二人は顔を見合わせます。特にお客さんの来る予定は無いはずです。時々遊びにくる友人のフランにしては遅い時間。彼女は表の扉が開かないとすぐに裏口に回ってきますが、その気配もしません。同居人のサムが迎えにでも来たのかと一瞬考えましたが、今日は夕方から夜にかけて仕事があると話していました。
再びドンドンと叩く音がしたところで違うと確信します。サムだったら裏口に回って「勝手に入りまーす」と言いながら上がり込んでしまうでしょう。
しかも、聞き慣れない声が聞こえてきました。それを耳にしたグレアムが苦いものを口にした時のように顔を歪めています。
「げっ。なんでこのタイミングでくるんだよ、兄貴の奴」
(え、お兄さん?)
思わぬ人物の可能性を聞いた桃は走って玄関の扉を開けます。そこにはグレアムの父親が作業している工房の窓に向かって怒鳴っている男の人がいました。
「早く開けろよ」
というようなことを言っているみたいです。ボソボソとした父親の声も返ってきていました。いきなり父親に話しかけられる間柄の人はそういないので、本当にお兄さんかもしれない、桃はそう考え始めます。
無造作になっている茶色の髪、光の加減によって黄色にも見える明るい瞳の色、使い古した上着。グレアムと比べるとみすぼらしい格好をしています。苛立ちを募らせ眉間に皺が寄っているせいか、雰囲気は全く似ていませんが、確かに目や鼻の形はそっくりでした。大きな荷物を床に置き、パンパンに膨らんだ鞄を肩に提げています。そして、鋭い目つきで桃を見下ろしていました。
「い、いらっしゃいませ」
まともに視線を受け止めることができず、床の模様を眺めながら頭を下げました。
「おかえり」
背後から聞こえた、感情が全く籠もっていない声。あまりの素っ気なさに、桃の後ろにいたグレアムのものだとすぐには気がつきませんでした。いつも明朗で柔らかい話し方をする人なのであまりの差に困惑します。
「何しに来たの」
「帰って来た。暫くいる予定」
「何を今更」
「家賃払えないんだから仕方ないだろ」
「もうお前の部屋なんかねえ」
横から父親の怒号が飛んで来ても、お兄さんと思しき人はどこ吹く風。
「客間があるだろ。どうせ泊める人なんかいないんだから。そういや、お前の部屋にベッドがもう一つあったよな。お前らがわざわざ手間をかけて捨てるはずもない」
歯を食いしばっているグレアムは無言を貫いていました。確かにグレアムの部屋には寝床が二つあり、不思議に思っていました。以前二人で買い物に行ったとき、兄がいるという話を聞かされてようやく納得がいったのです。
「あとさあ、金貸して」
「は? いい加減にしろよ全然返してないくせに」
「無いものは返せないから」
「だったら返す努力くらいしろよ。どうせずっとフラフラして、まともに働いてもいないくせに」
「働いてはいるさ」
「だったらなおさら、何の用なんだ」
「今言っただろ、家賃が払えなくなった。この時期は働き口がぐっと減る」
「はあ? どこまで迷惑を掛ければ気が済むんだよ、いつまでも養ってもらえると思うなよ」
「だったらその子を雇っている金を回してくれればいい」
「この子はちゃんと家事をしてくれてるから。お前にとやかく言われる筋合いはないんだよ」
目の前で繰り広げられる怒号の応酬に桃は耳を塞ぎたくなりました。事情を知らないので割って入る訳にもいかず、帰ろうにも声をかける隙がありません。なによりグレアムがここまで声を荒げるところを見たのは初めてのこと。未だにこの光景が信じられないまま、桃は怯えながらその場に縮こまっていました。
喧嘩が落ち着いて家を出られたのはすっかり日が沈んでからのこと。外に出ると小さな灯りがゆらゆらと揺れながら桃に近づいてきました。照らされたサムの顔が浮かび上がると、小走りで駆け寄ります。帰りが遅くなると言っていた彼よりも遅くなってしまったのです。
「お待たせしました。わざわざありがとうございます」
「別に。偶々通りかかっただけだから」
(帰り道にここ通るっけ? あれ、そもそもうち、サムさんが今、どこで働いているか知らんやん。今度聞こう)
「珍しいな。こんな遅いの」
夜道を歩きながらぽつりと彼が呟きます。
「グレアムさんのお兄さんが来ました」
「あー、なんか言ってたっけ。兄貴がいるって」
「グレアムさん、すごく怒っていました。帰る時間ですって言えないです」
「は?」
彼が驚きの声を上げると共に、桃の袖を思いっきり引っ張りました。道の端に引き寄せられると、丁度桃の横を数人の男女が騒ぎながら通り過ぎていきます。
「なにそれ怖っ。怒ったところなんてみたことないのに。お兄さん何やらかしたんだよ」
「分からないです。聞こえなくて」
最近は会話に不自由しなくなっていたのですが、お兄さんとグレアムが喧嘩をしている時は、お互いが早口でまくし立てるので、何を言っているのが全然分からなかったのです。
「分からないって、余計に怖いな。明日de‡ot(槍)でも降るんじゃねえの?」
「de‡otって何ですか?」
無邪気な桃の問いに対し、ばつが悪そうに目を逸らします。
「うん、聞かなかったことにしてくれ」
訳が分からずに目をぱちくりさせます。そんな話をしているうちに家へ辿りつきました。灯りの火を竈に移し、スープを温め直します。仄かな灯りが部屋全体を照らしました。
部屋中に偽物の花を作るための布や木の枝が散らばっています。この時期になると内職として引き受ける仕事で、来月のお祭りで使う飾りを夜な夜な作っているのでした。それらをどかした所に座ったサムが口を開きます。
「とにかく、あまりグレアムを怒らせないようにしろよ。ただでさえこの時期は忙しいんだから」
「はい」
普段穏やかな人ほど怒ると怖いというのは良く言われること。お兄さんがいる間は特に気をつけようと心に決めたのでした。




