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76.郵便屋と少年とお菓子 最終話

前回のあらすじ:「なんでもない」っていう人には大体何かある。

 いつの間にか二人は最前列にいました。木箱の中に丸くて表面が固くなっている揚げ菓子が並んでいます。一つの箱に一種類入っているものがいくつも机の上に並べられていました。よく見ると色が違ったり、中に野菜や肉やチーズが挟まっていたりします。味付けによって値段が変わっているようでした。具が挟んであるものは、その分高くなっているようです。


「サム君は蜂蜜味で、僕はスパイス味、父さんは、どうしようかなあ。あのすごい青い色のでいいかな、ラベンダー味なんだ。父さんには勿体ないかなあ。モモちゃんは何がいい?」


 この時、桃はグレアムの声が聞こえていませんでした。蜂蜜味の値段を見て、かなり焦っていたのです。ベニエッシュの中でも蜂蜜味は高い方。財布にある分を殆ど出してしまえば買えますが、今持っているのは生活費。おやつのために気軽に使えるお金ではありません。


(だから昔のサムさんはずっと外から覗いていたんやな。こんなの絶対買えへんもん。しかもよりによって高いのを欲しがっていたなんて、グレアムさんごめんなさい、あの人がいつもいつも迷惑ばかりかけて)


「モモちゃんも選びなよ」


「えっ。あっ、私は少し分けて貰えばいいです」


 ましてや自分の分まで買ったらどうなるか。少なくとも僅かな貯蓄はほとんど底をついてしまうでしょう。できれば蜂蜜味すら買いたくないところですが、グレアムがすでに店員へ頼んでしまったので取り消すことはできません。小刻みに首を振り続けます。


「そんなこと言わないで、折角なんだから、サム君全部食べちゃうかもしれないよ」


「え、でも」


「お金のこととか気にしなくていいから」


「え?」


「うん、良いよ。出すから」


「駄目です。私が払います」


「けど、顔色悪いよ。無理しなくていいから。折角だから食べてもらいたいんだよ」


「いえいえ、大丈夫です。払えます」


「じゃあ、お金の話は後にして、とりあえず選んでしまおうよ、ね?」


 グレアムに押し切られ、もう一つ選ぶことにします。焼いたリンゴが沢山乗っているものに心を引かれましたが、値札を見ると蜂蜜味よりも高いので即刻諦めました。代わりに選んだのは、今残っている中で一番安そうなもの。


「おっ。王道だね」


 結局その場ではグレアムが支払い、お店を出た後に桃が財布から出せる分だけ支払いますが、それでも蜂蜜味一つ分には届きませんでした。


「ねえ、サム君とは上手くやってる?」


 グレアムの家に帰る途中、グレアムが尋ねました。夜の帳が降りる中、桃は籠いっぱいに詰め込まれた荷物をぼんやり眺めながら考えこみます。今は特に喧嘩をしていません。かといってとても仲良しという訳でもないのです。


 彼のことが好きかと問われた時に好きと答える自信はありませんが、嫌いとも言い難い。何かと迷惑を掛けている自覚はありますが、彼の言動に肝を冷やすこともしばしば。決して悪い人ではなく、おそらくいい人ではあるのでしょう。しかしいつも不機嫌で、乱暴で、傷つくことばかり言ってくるサムは絶対優しい人ではないのです。彼との関係を形容できないまま、桃は曖昧に答えます。


「分かりません」


「そっか」


 何より、彼自身のことをよく知らないのです。一年以上一緒の部屋に住んでいましたが、グレアムから聞いたのは初めて聞いたことばかりでした。彼が大切な人達を失い、立ち上がってきたことも……。言葉が分からないから話さなかっただけかもしれませんし、踏み込んで欲しくなかっただけかもしれません。


 いきなりあれこれ尋ねると嫌がられそうですが、話してくれる日を待つばかりでいいのでしょうか? どうしたら良いのか考えつかないせいか、胸の中がぐちゃぐちゃになってきました。


「モモちゃんが嫌な思いをしていなければ、それで良いんだ。サム君は楽しそうにしてるから」


「そうですか?」


 彼女には嫌そうにしている風にしか見えませんでした。もし今すぐ桃が出て行ったら飛び上がって喜ぶのではないでしょうか。


「君に助けられている部分も結構あるんじゃないかな。前より服が綺麗になってるし。彼、口は悪いけどなんだかんだ義理堅くて世話焼きだから。とにかく素直じゃないんだよね。一人の方が気楽とか言ってるけど、誰かいた方が張り合いが出るタイプだよ。昔、知人に紹介されて出会った女の人と飲みに行ったとき、その知人が先に帰ってしまってね。その後に持って来てくれたお酒が相当強かったみたいで倒れたことがあったんだ。気がつくとサム君の家で寝ていてね。あ、あの家に移る前の家なんだけど」


「へえ、もしかしてお爺さんもいませんか?」


「あ、そうそう。ちょっと顔を見た位で、きちんと挨拶できなかったんだけど、確かにいたなあ。それで、どうしてそのお店に来たのかは知らないけど、嫌な予感がしたからってふらふらしている僕を回収してくれたんだって。荷物もそのまま持って来てくれてね。あの時は助かったよ」


「大変でしたね」


「どうしてあの店に来たのか未だに謎なんだけど。それっきり初めて会った人の前でお酒を飲むのが怖くなっちゃった。仕事絡みだったら我慢するけどさ、モモちゃんも気をつけてね」


「はい」


 自身がお酒に弱いことを思い出し、肩を落とします。酒場に行くと美味しそうに飲んでいる人が沢山いるので、いつか飲めるようになりたいと思っていたのです。


 いよいよ見覚えのある家が見えてきました。扉には風に煽られて小さな看板が音を立てながら揺れています。そこには羊の絵が描かれているのでした。家の中では灯りを頼りに絵を描くグレアムの父親が、夕食を待っていることでしょう。



   ***



 夕食後、桃はおもむろに籠の中から葉っぱにくるまれたお菓子を取り出しました。寝転がっていたサムが跳ね起きて近寄ってきます。


「それ、なんで持ってるんだ?」


「グレアムさんと買いました」


 ふうん、と生返事をして桃の手元をじっと見ています。よくよく見れば「食べたい」という言葉が書かれているような顔をしていました。


「一緒に食べましょう」


「当たり前だ」


「どちらにしますか?」


 といいながら机に置き、一つずつ葉っぱを留めていた紐を外していきます。一つ目は表面に艶があり、蜂蜜の甘い香りがし、もう一つは蜂蜜味よりも薄い色をしていました。こちらは、甘味の入っていないものに少しだけシナモンの粉がまぶしてあるベニエッシュ。彼は迷わず蜂蜜味に手を伸ばします。


(グレアムさんの言った通りや。やっぱり甘い方が好きなんやね)


 にやつく桃にサムが眉を寄せます。


「なんか文句ある?」


 慌てて首を振りました。


「本当にそれが好きなんですね」


 彼は目を逸らしてほんの少し顔を赤らめています。


(年上の人だけれど、こういう時だけ可愛いって思うんやおね)


「まあ、な。他の味食べたことないんだけど」


「そうなんですか」


「滅多に食べられるものじゃないんだから、外れは引きたく無いだろ? 蜂蜜味なら確実に甘いだろうなって……選ぶからさ、つい」


「なら、他のも食べませんか?」


 シナモン味の方をずいっと彼の前に差し出します。一度に二種類の味を食べるなら今がいい機会。それに、彼ほど甘いもの好きではない桃ですが、サムが何度も食べるほど気に入っている蜂蜜味がどんなものなのか気になってきました。


「お前もこっちを食べたいだけだろ」


「そ、そんなことないです」


「嘘だ」


「嘘ではないですよ、嘘では」


「へえ」


 嘲るような笑みを浮かべる彼を、一瞬でも可愛いと感じてしまっていたことを後悔しました。そもそも大半をグレアムに奢ってもらったものとはいえ、多少お金を払った桃の選択に、一銭も出していないサムがとやかく言うものではないはず。


「仕方ない。半分ずつにするか」


「そうしましょう」


 はじめからそう提案するべきだったと振り返りつつ、桃は軽い足取りで、ナイフと皿を取りに行ったのでした。



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