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65.温泉のある別荘にて ②

 それから一週間ほど経ちました。今日はフランの別荘へ出かける日。暫くの間家を空けることになるので、荷物は持てるだけ持って行くことにします。この家には鍵がないので、留守だと分かった途端泥棒に入られる可能性が高いのです。桃でさえ籠に入りきらず、麻袋を手にしています。サムも相当な量の荷物を抱えていました。リンが合い言葉を知らないと入れないよう、魔法をかけてくれます。


 山の方は寒いと聞いていたので、3人とも真冬の格好をしていました。上着と荷物の重さが肩にかかり、身動きが取れなくなりそうです。


 グレアムの家に向かう途中、広場で二頭引きの立派な馬車が止まっているのが見えました。一番の大通りを通って来たのでしょうが、広場から伸びている道よりも幅が広く感じられます。


「こんな所に止まっているなんて珍しいな」


「そうですね」


 という会話を交わしながら歩きます。リンはフードを目深に被り、モモの後ろにぴったりくっつきながら歩きます。彼女は人混みと眩しいところが苦手。集合がお昼頃になってしまったので、桃は心配していました。


「大丈夫ですか」


 フードが僅かに動きました。


 グレアムの家が近づいてくると、大きく手を振っている人影が見えてきます。フランとグレアムがもう家の前で待っていたのです。


「貴方たち、待ちくたびれていましたのよ」


 荷物は別で持って行くのか、革の肩掛け鞄しか持っていません。しかしこの時期にしては分厚すぎる毛皮の羽織りものを纏っていました。


「で、どうやって別荘とやらに行くんだ? まさか、徒歩じゃないだろ?」


「勿論、馬車を用意してあるわ」


 とフランは言いましたが、辺りを見渡してもそれらしき影はありません。


「あの、馬車はどこに」


「それなんだけどこの道を通れなかったみたいで、広場にとまっているんだ。大荷物なのにごめんね」


 彼らは荷物を引きずるようにして広場へ向かいます。先ほど見かけた馬車の窓からスミスの顔が見えました。彼が馬車を降り、荷物を積むのを手伝ってくれます。


 荷台の中には腰掛けがあり、五人はそこへぎゅうぎゅう詰めに座りました。護衛のスミスは外で御者の隣に座ります。桃はリンとフランに挟まれるような形に。リンのいる方には扉、反対側には小さな窓。


 馬車が動き出します。ガタガタと音を立て、地面の凹凸に合わせて体も縦に揺れたり、横に揺れたり。通り沿いに立ち並ぶ店があっと言う間に過ぎて行きます。


「わあ、速いですね」


 歓声を上げる桃。


「酔いそうになっちゃうね」


 と向かいに座るグレアムがこぼした通り、お腹の中がかき回される様な感覚がありました。しかし興奮しているのか、不思議と気分は悪くありません。窓から風が入ってきます。冷たいはずなのに、不思議と心地よく思えます。


 フランがリンを横目で見たり、顔を背けたりしていました。そわそわしたようすで、窓枠に肘を突きながら話しかけます。


「貴方は魔法使いなんでしょう? 鳥肌立つような使い魔を連れてきちゃって」


「あ、はい。その、すみません」


「謝って下さらなくて結構だけれど、しっかり監督していて頂戴ね」


「お話したいと言っていた割に、けんか腰じゃない?」


「そんなこと無いわよ」


「緊張してる?」


「もっとあり得ないわ。この私が緊張すると思って?」


 グレアムは口元を抑え、笑いをこらえているみたいです。


 やがて田園風景が広がってきました。もう刈り入れを終え、土を休ませているのでしょう。モコモコの毛皮に覆われた羊が草を食んでいます。ぼんやり浮かぶ山の陰までずっと畑が広がる景色は、街を出たことを意味していました。


 山が近づいてくると石畳が途切れ、一層足場が悪くなります。それに会わせて馬車も激しく揺られました。話ができないほどの衝撃が続くと、麓の小屋の前で止まりました。


 一行が荷物を下ろし、小屋の中に入ります。桃はあまりの光景に息を飲みました。床に円が描かれていたのです。星のような模様や、よく分からない文字も描かれています。


「移動魔法……」


 リンが隣で呟きます。


「そう、ここが別荘と繋がっているの。準備は宜しくて?」


 小屋の管理人でしょうか? 簡素な服を着た女性がいつの間にかフランの傍らに立っており、こくりと頷きます。


「ほら、貴方たちも中に入って。荷物も一緒に運べるかしら」


「問題はございません……が、この人数です。二回に分けさせて頂きたいのですが」


 女性が高い声で応じました。


「その必要はないわ。おそらくね」


 女性は目を見張ります。フランは彼女に笑いかけました。


「ともかく一旦全員送ってみて頂戴。もし誰か余ったらもう一度お願いできるかしら」


 恭しく頭を下げます。


「かしこまりました。その際は少々お時間いただきます」


「かまわないわ。急いでいないもの」


 桃達は促されるまま円の中に立ちました。すると円が光を帯び、白い光に包まれていきます。眩しさのあまり、思わず目を瞑ってしまいました。ふわっと足元から浮かぶような感覚。


(この感じ、どこかで……)


「行ってらっしゃいませ」


 女性の声が響き渡りました。


 桃が目を開けると、先ほどの小屋とは別の場所にいました。管理人を除く皆も一緒にいます。大きな窓が目の前にあり、そこから装飾を凝らしたアーチ型の窓のある建物が見えました。


「わあ、建物が大きい」


「着いたわよ」


 フランがにっこりと笑います。足元に視線を移すと、先ほどと同じような形をした円があったので、桃は思わず声を上げました。リンが隣に来て囁きかけます。


「移動魔法だから」


「え?」


 桃は移動魔法であることと、円との関係が分からず混乱しています。


「移動魔法はね、出発する場所と行き先の両方に、同じ形の魔法円を描くんだよ。だったよね? ね」


 グレアムがリンに向かって念を押します。彼女は何度も頷きました。


「良かった。学校で習ったことってこの年になるとかなり忘れてるんだよね。飛行魔法以外は使えないから、もうさっぱり」


「そんなことより、早く荷物を置きたいんだけど。ここで寝泊まりするんじゃないんだろ」


「もう、せっかちね。ほらスミス、案内して頂戴」


 流れるように頼まれたスミスの後に続いて一行は寝泊まりをする部屋へ向かいました。桃達が今いたのは、大きな建物から離れたところにある小屋。別荘は、山の中の開けたところに立てられているみたいです。見えるだけでも大きな建物が三つあり、どれも壮麗。敷地内には砂利が敷き詰められていて、手入れが行き届いているのが分かります。山の中に建てられているだけあって、爽やかな木の香りに包まれていました。


 途中で男女に分かれ、フランの案内で部屋に入ります。しっかりした木の扉を開けると、大きなベッドが一つ置かれた広い空間が広がっていました。桃達が普段住んでいる部屋の倍は優に超えています。レンガを積み上げて作った暖炉や、羊毛製の敷物、光を十分取り入れられる窓があり十分温かそうです。


「私達はこの部屋で過ごしましょう。ベッドは一つしかないけど、並んで眠れそうな大きさだし、たまにはこういうのも悪くないでしょう?」


「わあ、楽しいです」


 お友達と夜を過ごせることに興奮を隠しきれません。


「あの、ちょっと聞いても、いいですか」


「何かしら」


「あ、え、ああ、今聞くようなことじゃ、ない……かも」


「はやく仰いなさいな」


「は、はい。あ、あの、どうして使い魔がいるって、わ、分かったんですか? ストラスは、その姿を隠していたはずなのに」


「え?」


 フランの瞳が揺れ、作り笑いを浮かべようとします。


「だってほら、この世代の子は初等学校から使い魔の一匹や二匹与えられるものでしょう? 今でも関係が続いているかどうかは別にして」


「…………はあ」


「あら、貴方ブラッドリーで育ったと聞いたのだけれど。学校には行っていたのではなくて?」


「それが……その……行ったこと、ないです」


「あれ、魔法の学校は……?」


「多くの子は、7歳くらいから礼拝所の学校や初等学校という所に通うの。それで12歳くらいになると半分くらいの子は中等学校へ進むのよ。リンが通っていた学校はおそらくその次に行くところ。大概の人は15歳くらいで商人や職人の弟子として働くから、少しの人しか通えないの。私の通う芸術学校もそう」


「へえ。そうなんですか」


(サムさん達がいるような貧民街の子は、その最初の学校さえ通えないんやな。そんな子でも読み書きができるようにと、礼拝所の人達は子どもを集めて教えとったんかな)


「召喚魔法の授業が行われたのは初等学校の後半だったはず。貴方、そこに通っていなかったというの?」


 リンは小さく頷きました。


「ならどうして。魔法学校へ通うにはかなりの知識が必要なはずでしょう?」


「そ、それは」


 リンはうつむいて黙ってしまいます。助け船を出したいのですが、リンがどうやって学んできたのか、知る由もありません。特に小さいころは一人で勉強するわけにもいかないでしょう。


「まあいいわ。無理して答えることでもないもの。そんなことよりお風呂、入りませんこと」


「そうですね。行きましょう」


 桃が重くなった空気を吹き飛ばすように、務めて明るく言いました。



 この建物のお風呂は女風呂、混浴風呂、男風呂と分けられているそう。街で無料開放される浴場の多くは混浴なので、男女別れているのはありがたい限りです。当然のように三人は女風呂へ向かいます。


 中へ入ると、蒸し風呂の熱気に包まれました。焼け石が置かれており、そこに水を掛けると蒸気が出ます。その湯気で体を温めながら汚れを落とすのです。


「あれ、蒸し風呂です。温泉は?」


「温泉は外にあるの。あそこから行けるわよ」


 フランが示した方にあったのは扉。隣には小さな窓が着いており、空が映っていました。白い湯気の中で、リンが手招きしています。


「どうしたのですか」


「これ」


「あら。穴が」


 リンが壁を指でなぞった辺りに、手の平で治まる位の大きさの穴がありました。そこからも湯気が出ていて、床がうっすらと見えています。よく見ると周辺にも大きな亀裂が走っていました。壁に使われている木が腐ってしまったのか、何かがぶつかってしまったのでしょうか。


「お隣の部屋が見えますね」


「あら、隣って確か混浴部屋だったわよね。のぞき穴だったりして」


「え、覗くのですか?」


 ぞっとして腕をさすります。リンも顔色が悪くなっていました。


(きっとそんなことする人、この屋敷におらへんよね)


 そもそも男女別れているのに混浴があるというのが不思議でした。


「案外男達が隣にいたりして」


「えっ」


 寒気に襲われます。熱い蒸し風呂に居る筈なのに。


「まあまあ二人共安心なさい。私がなんとかして差し上げますわ」


「あ、フランさんどちらへ」


 そう言ってフランは裸のまま更衣室へ行ってしまいました。暫く立ち尽くしていましたが戻ってくる気配はありません。もう一度壁の穴に向き合います。リンが近くにあった桶を手にしていました。


「とりあえず、これで」


「手ぬぐい、詰めますか」


「変な見た目だけど、一応」


 桃は手ぬぐいを小さく丸めて穴を塞ぎ、リンがそれを隠すように桶を立て掛けました。


「直せませんか、魔法で」


「無理」


「どうしてですか?」


「材料ない。亀裂だけならともかく。あと呪文忘れた」


「思い出せませんか?」


「普段使わないし、本、あればできるけど」


「へえ。難しいのですね」


 使い慣れない呪文を探すために風呂場へ貴重な本を持ってくる訳にはいかないでしょう。壁の修繕は諦めることにしました。桃が焼け石に水を掛けると、二人は並んで椅子に腰掛けます。


「まあ、色々……」


 手ぬぐいで体を拭いながら汚れを落とします。ところが、体が温まってくると、桃は段々冷たい風に当たりたくなってきました。


「私、温泉行きたいです。リンちゃんは?」


「……まだ、いい」


「そうですか。では、行ってきます」


 桃はやおら立ち上がり、外へ出ます。


 そこには岩で囲まれた池のような物がありました。湯気が出ています。そう、湛えられているのは透明感があり、微かに薬品のような香りのするお湯。中に入ってみると、膝上くらいの深さ。膝を折って座り込みます。膝は水面から出てしまいますが、背中の辺りまで浸かれるようになりました。


 水の圧迫感、足元から体中へと巡っていく温もり。返って心地の良い風、澄み切った空気に浮かび上がる雄大な景色、雪化粧が施された山々。これほど心打たれた瞬間が未だかつてあったでしょうか。


 高揚した気分で風呂の建物へ目を向けた時、裸の男が向かってくるのを見つけます。桃は慌てて目を逸らしました。


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