64.温泉のある別荘にて ①
前回のあらすじ:現実世界に帰還
そろそろ本格的に冬が到来する頃。雪が積もるとグレアムの家に来ることができなくなるので、暖炉の灰を掻きだしてみたり、ベッドの下を拭いてみたり、棚の物を並べ直してみたり、いつも以上に熱が入ります。そんな桃の仕事場を尋ねてくる人がいました。
「こんにちは」
「フランさん、お久しぶりです」
良く通る声が響き渡ります。うねりのある金髪を揺らした、青い瞳の女性が裏口に立っていました。彼女はフラン。大商人の娘で、芸術学校の生徒です。桃がこの街に来たばかりのころ、家出をしている彼女に出会いました。彼女の連れていた狐の使い魔が、桃と言葉を交わせるという事が発覚したのをきっかけに交流を重ねるようになったのです。
「久しぶり。あら、良い匂いじゃない」
「スープです。お肉沢山、辛いですよ」
今晩は少し古くなった肉を片付けてしまおうと思い、濃いめに味をつけていたのです。
「グレアムってそういうの好きだものね。あら、まだ帰ってきていないのね」
「はい。もうすぐ来ます。お茶飲みますか」
フランは卵みたいな形の顔を傾げます。居間と繋がっている扉からグレアムの父親が顔を出していました。棒きれを持ってフランを手招きしています。
「お茶を飲むのはグレアムが来てからにしましょう。少し行ってくるわ」
そう言って彼女は台所に上がり、グレアムの父親の所へいきました。
「この棒は剣ということでいいかしら」
「うむ」
「今度はどんな作品なの?」
工房へ向かう二人の声が遠ざかっていきます。グレアムとフランは気心の知れた仲ですが、本人がいなくても家に上がれるのには理由があります。それは、父親が描いている絵のモデルを時折引き受けているから。
桃は一度服を脱がされ、逃げ出してしまった経験から絵のモデルをするよう声をかけられることは滅多にありません。一方フランは彼の前で下着姿になることも、長時間同じ姿勢をとり続けることもさほど苦ではないようでした。
彼女が言うには、
「演技の練習をしているから、同じポーズをとり続けることには慣れているわ。え、脱ぐのが恥ずかしく無いのかですって? 体型、肌質、目と鼻のバランス、どれをとっても麗しい私に恥ずべきところがあるとでも思って?」
とのこと。桃はどこかズレているような気がしながらも、フランが美人であることは疑いようがないので、つい納得させられてしまいました。
しかも、フランの連れている狐は人間や他の動物に変身できるのです。グレアムの父親はその能力をかなり高く買っていました。例えば他人様の馬を借りて家の中にいれるのは難しくても、狐が馬に変身すれば工房の中で観察することが容易にできるのですから。
今頃、フランは剣に見立てた棒を構え、グレアムの父親はそれを見ながら絵を描いていることでしょう。
暫くすると、グレアムが仕事から帰ってきました。走って玄関に向かいます。
「お帰りなさい」
「ただいまー」
グレアムがパッと顔を輝かせて帽子を脱ぎます。桃はそれを受け取ると、ミント水を含ませた布で軽く帽子を拭き取りました。工房から棒を片手にしたフランが出てきます。
「ようやく帰ってきたのね」
「ただいま。って父さんまた君に無茶させたの?」
「結構楽しんでいるわよ。お父様の絵にはいつも惚れぼれさせられるもの。あまり責めないであげて」
「でも……君のお父さん達に知られたら大変なことになるんだよ。下手したら処刑だよ」
「貴方、そういうところ気が小さいわよね」
フランが腰に手を当てて、大きくため息をつきました。桃はドアの隙間からそっと工房を覗き込んでみます。本物より二回りほど小さな馬が前足を上げるポーズを取っています。狐が変身しているのでしょう。床についている足が震えていました。一方グレアムの父親は一心不乱にその姿を書き留めています。息子の心配など、どこ吹く風といった雰囲気でした。
「今日は貴方たちにお話したいことがあって来ましたの。お茶にしませんこと?」
三人は台所に向かい、桃が淹れたセージのお茶を飲み始めました。ようやく解放されたのか、狐がフラフラになりながら台所へ入ってきます。桃は狐にお水の入ったお皿と肉のかけらを渡しました。
「今度のダクルエルの日に、別荘へ行きませんこと?」
カップを置いたフランが口を開きます。
『別荘というのは、現在住んでいる家とは別に、彼女の親が持っている家のことだ』
狐さんが、聞き慣れない言葉の意味を桃に教えました。
「冬の間、お父様が暫くそこで過ごすそうなの。私も同行することになったのだけど、家族といるだけじゃ息が詰まるでしょう? 少しの間ならお友達も誘って良いと言ったのよ。グレアム、貴方だって3、4日ならお暇を貰えるでしょう?」
「うん、まあこの時期なら大丈夫だと思う」
「桃、貴方も勿論来てくれるわよね。ふかふかのベッドも、美味しいご飯も、温泉もあるわよ」
「ええ……良いのでしょうか……」
聞いているとまるで楽園のようで、逆にそんな所へ軽々しく行っても良いのか不安になってきました。そもそも桃には仕事があります。勝手に休むことはできません。
その不安を察したのか、グレアムが声を掛けました。
「仕事は気にしなくても良いよ。数日くらいなら父さん一人でもなんとかなるから」
「え、お休みしても良いんですか?」
「うん。折角だから、一緒に行こうよ。こんな機会めったにないから、断ったら勿体ないって」
「あ、ありがとうございます」
桃は飛び上がりそうになりました。
(でも、サムさんにも聞いてみないと。一緒に行けると嬉しいけど、勝手に誘ったらいかんやろうなあ)
「失礼しまーす」
仕事が早く終わったのか、サムが迎えに来たようです。もう道は覚えたので一人でも帰れるのですが、時々こうして来てくれます。何故こんなことをしてくれるのか、聞いてみたいのですが、なかなか機会がありません。
「久しぶりー」
「この前会ったばかりだと思うんだけど」
サムはグレアムに向かって軽く手を上げます。
「なんかさ、楽しそうな話をしてただろ」
「え、聞こえてた?」
グレアムが目を丸くしました。桃も驚いています。
「なわけねーだろ。雰囲気だよ雰囲気」
「冬に別荘へ来ないかって話をしていましたのよ。別に貴方が来たって構いませんけど?」
「ふうん。行ったところですること無いけど……まさか、飲食代を出せって仰いませんよね?」
「私が誘っているのに金銭を要求するはずがないわよ、どこぞの守銭奴と一緒にしないで頂戴」
するとサムが突然、フランの手をとり、猫なで声を出し始めました。
「この世で一番美しく才に溢れたフラン様―。どうか私めをその別荘とやらに招いていただけないでしょうか」
その声を聞いた人達全員、あまりの変貌ぶりと奇妙な声色に鳥肌が立ちます。フランは彼の手を思いっきり払いのけました。
「何よいきなり。気持ち悪いわね。来れば良いじゃないの」
「っしゃ。タダ飯」
(サムさんが乗り気で良かった。タダでご飯が食べたかっただけみたいやけど)
ホッとしたような、呆れたような複雑な気持ちです。
「で、別荘にいるのはいつまで? 冬の間中?」
「それほど長い時間は無理よ。精々長くても半月かしら」
「僕は行き帰り合わせて四日くらいかな」
(なら、うちも一緒に帰らんと、グレアムさんの仕事が始まるのに自分だけ休むなんてできへんし)
「あんたも四日で帰る気?」
サムの視線が桃に向けられたので、小さく頷きました。
「だよなあ」
「そうそう、貴方のペンフレンドも誘ってみませんこと?」
「リンちゃん、だっけ? 石板でやりとりしている子のことだと思うよ」
ペンフレンドという言葉が分からなかった桃にグレアムが助け船を出しました。
「良いのですか?」
「気になってはいたのよね。一度ゆっくりお話をしてみたかったの」
「分かりました」
咄嗟にそう言ったものの、一抹の不安がこみ上げてきます。
(けど、リンちゃんはフランさんに会ったことはないはずやし、来てくれるやろうか)
「二、三日の間にまた立ち寄るわ。その時に返事を教えて頂戴」
「はい」
先ほどとは打って変わって弱々しい声でそう返事をしたのでした。
桃が案じていた通り、リンの反応はあまり思わしくないものでした。友人の知り合いとはいえ、リンにとってフランは赤の他人。気楽に乗れる誘いではありません。そのことをフランに伝えると、直接リンを誘うと言い出してしまいます。押し切られた桃はフランをリンの部屋へ連れて行くことに。急な来客に彼女は気が動転したのか、フランがまくし立てるように別荘の説明をしている間、桃の背に隠れてずっと首を振っていました。ところが、
「近くには薬草園がありますの。山奥にしか生息していない植物も栽培していましてよ。維持費はお父様も出しているし、少しくらいなら摘んだってかまわないわ」
と言ったとき、リンの動きがピタリと止まりました。色々な野菜やお花を畑で育て、時々薬を作っているので、興味が沸いたのでしょう。
「気になりますか」
桃は背後に頭を向けて、柔らかい声で話しかけます。背中にぴったりとついた額が動いているのを感じます。
「一緒に行きましょう」
「その、申し訳ない……僕、なんか、が」
「私が誘っているのだから謝る必要はどこにもなくてよ。嬉しいわ。当日はモモと一緒にグレアムの家へ来て下さればいいわ。ではまた」
ということで、リンも来ることになったのです。




