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44.嵐の夜、すれ違う言葉 ③

前回のあらすじ:いじけている桃さん

 夜が明けて、桃達が目を覚ました後も、まだ雨は降り続いていました。窓から外を覗き込むと、建物の周りが殆ど水に沈んでしまっています。このまま降り続いたら浸水してしまうのではないかと心配になってきました。


「行くなよ。仕事」


 背後からサムの声がしました。


「はい」


 と返事をして桃は朝食の支度を始めます。


(お金が大好きなサムさんがお仕事に行くなというなんて……余程外は危ない状況なんやなあ)


 パンを買うお金が無いときは麦のお粥でしのぎます。それでも無い時はお昼までご飯を我慢します。器に火の通ったお粥をよそって完成。まだ横になっているりんにも冷めないうちに食べて貰おうと声をかけます。


「リンさん、起きて。朝ご飯ですよ」


 寝返りを打っただけで、返事がありません。


「あのー。起きてくれませんかね。寝床とか早く片付けてしまいたいんですが」


 サムも呼びかけます。 


「あの、すみません。起きて下さい」


 恐る恐る体を揺らして起こそうとすると、ぴしゃりと物凄い勢いで手がはねのけられました。咄嗟にもう片方の手で痛みを抑えます。リンはゆっくりと体を起こし、ぐしゃぐしゃになった頭を抱えながら


「え?」


 と殺気めいたものを含んだ低い声を発しながら睨みつけてきました。


「ドス聞かされても困るんだけど。俺らあんたになんかしたか?」


 肩をすくめるサムの声にも苛立ちが混ざってきます。リンは辛うじて上半身を起こしていましたが、フラフラと体を揺らしておりその瞳は虚ろでした。


「あ、あのう。ご飯、ですよー」


 桃が怖々と再び囁きかけてみます。


「あーー。うん」 


 リンは気の抜けた音を発し、半ば四つん這いになりながら机に向かっていきました。それを見届けた二人も席に着きます。一口スプーンで麦がゆを口に運んだかと思うと、机に突っ伏してしまいました。


(もしかして、具合が悪いんじゃ……。昨晩雨に濡れてまったせい?)


「大丈夫ですか!」


 桃は慌てて水の入ったカップを持って駆け寄っていきます。


「あのさ、多分まだ眠いんだろ」


 リンが僅かに頭を動かします。「うん」と言っているようにも聞こえました。


(毛布を干すことができないのは残念やけど、うちらもずっと家に居るし、眠いなら寝かせてあげた方がよさそうやなあ)


「寝ます?」


 と尋ねると、リンはムニャムニャと言いながら立ち上がり、寝床に入っていきます。その足取りは覚束なく、まだ目が覚めきっていない様子でした。


「朝、弱いんだな。あいつ」


 サムは、自分の食器を洗いながらため息をつきます。


「そうですね」


 やっと落ち着いてご飯が食べられるようになった桃は、慌てて味の薄いお粥をお腹にいれていきます。今日は特に出かける用事も無いのですが、日頃の癖でしょうか、できるだけ朝の支度を早く済ませようとしてしまうのです。


「そういや、あの日も朝だったな。ほら、荷物を渡した日」


「あっ、本当ですね」


 間違えてサムの部屋に届いてしまった荷物を渡しに行った時も朝でした。その日から熱い鍋を落としたり、馬車に轢かれそうになったりと怖いことが立て続けに怒ったのです。おそらくそこで呪いに掛けられていたのでしょう。後日リンがくれた手紙にはその朝、体調が悪かったということが書かれていたのでした。


(具合が悪かったってそういうこと? 眠くて機嫌が悪かったってこと? そんな理由で呪われてまったん、うち……)


 そう考えると何だかやるせなくなってきました。


(あの日以外でリンさんに会ったのって、夕方とか夜が多いなあ。朝に見かけたことって確かにないかも。普段はお昼まで寝ているのかな。お仕事とかどうしとるんやろ?)


 疑問が次々と沸きあがり、頭の中を駆け巡ります。


 結局リンが起きてきたのは昼食の準備が出来上がった後のこと。彼女は腫れ物に触れるような二人の態度を目にし、桃が早い時間に起こした時に怒っている様子だったことを伝えられると顔を真っ青にして何度も頭を下げました。サムは二人に聞こえないほど小さ声で呟きます


「さっきと態度違いすぎない?」


と。


 雨は降り続いていますが、午後になるとだいぶ弱まってきました。桃は刺繍を、サムは花作りの内職をしています。リンは膝を抱えて部屋の隅。見かねた桃は、縫いかけの布に糸を通した針を軽く刺して立ち上がりました。裁縫道具の入った籠を抱えて彼女の元へ。


「しますか?」


 道具箱を床に置きながら尋ねると、リンは首をふりました。桃は隣に座って刺繍の続きを始めます。もう少しで青い花が縫い上がるところでした。しとしと降る雨の日の穏やかな時間。


 隣に座っているリンの視線を受けて、気恥ずかしくなりながらも下絵通りに針を通していきます。とても緻密な作業でした。


(ずっと見ているだけでもつまらないやろなあ)


 折角長い時間リンが部屋にいてくれるのですから、仲良くなるチャンスのはず。桃が覚えている言葉でできる質問などたかがしれていますが、かといって好きなものをあれこれ尋ねるだけではわざとらしいでしょう。何か適当な話題は無いかと思案します。


 お祭りで飾り付けをするための造花を籠に入れているサムの姿が目に入ります。今日は言い方に迷って朝の挨拶はできずじまいでした。


(そうだ、リンさんの意見も聞いてみよう)


「貴方は「Seu batac」っていいますか、「Seu batec」って言いますか?」


「えー」


 リンが小さな声を漏らすと、サムが布を巻き付ける手を止めて二人を一瞥します。彼女は首を傾げたままで、何も言い出しません。桶の中に水が滴り落ちる鈍い音がやけに大きく聞こえます。普段は多少雨漏りしていても布を敷いておけば気にならないのですが、ここ二、三日は酷かったのです。


(そろそろ桶の水を捨てないといかんなあ)


 と考えていた時でした。


「batec、かなあ……」


「マジで?」


 サムがすかさず反応します。リンはビクッと肩を震わせて、桃の後ろに隠れました。


「でも、batacって言う人多いかも……あれ、どっちだったっけ。……分かんなくなってきた」


「大丈夫ですよ」


「ごめんなさい、本当、ごめんなさい」


 頭を抱えてブツブツ呟いています。雨雲のように空気が重くなってきました。内職の続きに取りかかったサムでしたが、チラチラと桃達の様子を伺っている様です。リンが膝を抱えて座り直しました。


「あのさあ、ここんとこ家を開けていたみたいだけど、何で」


 サムが柔らかな声で尋ねます。極力気を遣っている様にも見えました。ところが、リンは下を向いてしまいます。


「……寮に入ってた」


 と、くぐもった声でぽつり。


「魔法学校とか?」


「うん」


「辞めたの?」


 とサムが尋ねると、リンは首を傾げました。


「分かんないってこと? 大丈夫か、それ」


 小さく首を振りながら、絞り出すような声で呟きます。


「帰れって、言われた……それだけ」


「何でですか?」


 桃の問いかけに彼女はなかなか答えようとしません。抱えた膝に顔を埋めています。僅かに見える白い肌は一層青白く、小刻みに肩を震わせているようにも見えました。


(あまりこの話をしたくなかったんかな。学校ってお勉強したり、色々な子と遊んだりするところやろ? なのに全然楽しそうやないし。ああ、栗ちゃんは勉強面倒くさいとかぼやいとったっけ。それとは雰囲気が違う感じやなあ。リンさんにとって楽しいところではなかったんかなあ。うちはあんまり通えへんかったから)


「壊したから――建物、寮の」

「あら」

「お、おお」


 予想もしていなかった答えに二人はたじろぎます。何を壊したのか聞き取れていませんが、リンから「壊した」という言葉が出てきたことに驚いていたのです。


「そりゃ帰れって言われるよな」


 と小声でサムが呟きます。


「元々……教室……にもあんまり、入れなくて」


「つまり、ほぼ寮の中で引きこもってた訳?」


「う、うん。ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ますます落ち込んでいくリンの背中を桃がさすります。


「リンさん、悪くないです」


(なんか壊してまったのは悪いかもしれんけど)


 内心そう思いつつも、思い詰めている彼女に元気を取り戻してもらうには、どんな言葉を掛けたらいいのかよく分からなかったのです。


「私も、ごめんなさい……その、聞いちゃって。余計なこと」


 傷を抉るようなことを聞いてしまったことに頭を下げます。リンは顔を少し上げて首をふりました。


 人の機敏に疎い方だと言われる桃でも、内気で思い詰めやすいリンが学校生活で人と関わり合うことに苦悩し、そんな自分を責めてますます落ち込んでやがて部屋を出るのさえ億劫になってしまう姿が目に浮かんでしまいました。だからこそ、なぜ学校から追い出されるほど大変な物を壊すようなことをしてしまったのか気になります。しかしこれ以上詮索したらますます傷つけてしまいそうで、聞くのを諦めることにしました。


 ふと窓を見ると、雨がすっかり止んでいるようでした。雲の切れ目から太陽の光がさしこんでいます。


「あら、雨が」


 桃が窓を指すとリンがおもむろに立ち上がり、そわそわと干してあった自分の服を集めはじめます。


「帰りますか?」


 と尋ねると、生乾きの服を抱えてこくりと頷きました。玄関の外に出て、彼女を見送ります。


「来て下さいね……また」

「……うん」


 彼女はうつむきながら頷きます。


「あ、えーっと、ありがと――」


 リンがそう言いかけた時、


「おい、あそこ」


 桃の隣に立っていたサムが、太陽に背を向けて指をさしていました。二人がそちらに顔を向けます。


「あー」

「わあ、綺麗」


 赤、黄色、緑、青。白い雲の上を彩る大きな虹。桃の心がぱあっと明るくなって、ふと隣を見るとサムもリンも普段より晴れやかな顔に見えました。珍しい空のショーに魅入られた三人は、時を忘れてその場に立ち尽くします。


 虹が消えかかってゆき、階段を降りていくリンに手を振る桃。一度だけ振り返った彼女は虹のおかげでしょうか、少し笑っているように見えます。


(もっとあんな風に笑ってくれるようになったらいいなあ)


 と思いながら部屋に戻りました。


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