43.嵐の夜、すれ違う言葉 ②
前回のあらすじ:方言だったんだ……。
寝床にうずくまっていると、扉の開く音がしました。サムが帰って来たのです。雨の音が一段と強くなっている気がします。本来なら暖炉に火をつけたり、大きめの手ぬぐいを持っていったりするところですが、動きません。
(ずぶ濡れになってるんやろうなあ……ううん。うちより年上なんだから、自分で体くらい拭けるはずやもん。別に良いやろ)
サムとはつい先ほど「おはよう」を「Seu batac」と発音すべきか「Seu batec」と発音すべきかで揉めたばかりでした。自分が間違えていただけならあっさり譲ったでしょう。しかし、それは何度かフランに教えて貰った言葉でした。確かに「Seu batec」と言っていたのです。サムの言うことに同意したら、フランが間違っていたことになってしまいます。
言葉をはじめ色々なことを教えてくれる先生であり、友達とも言うべき人を否定されるのはとても嫌な気持ちでした。フランが「Seu batec」だと言っていたこと、それが聞き間違いではないことを訴え続けるしか無かったのです。
案の定彼は機嫌が悪くなり、イライラした様子で頭を掻きむしりながら部屋を出て行ってしまいました。
(居候のうちが追い出されるのが普通なんだろうなあ。でも、あっちから出て行ったんだもん。うちは出て行けなんて言ってないもん。居てくれたって良かったもん。あの人がここに居るのが嫌になったから、勝手に出て行っただけやもん。そう……やおね)
毛布を引き寄せながらそう自分に言い聞かせます。仲直りをしたくても、合わせる顔も、掛ける言葉も思いつきません。
(朝、起きたら機嫌良くなっていたりせんやろか)
という淡い期待を抱いてしまうのでした。
物音がしなくなったかと思うと、今度は藁のガサガサという音がしてきます。寝床に入った様です。少し様子を見ようとして、くるまっていた毛布から顔を出してみました。するとたまたま彼が桃の方を向いて横になっており、一瞬目が合ってしまいます。すぐさま寝返りを打うち、チッという舌打ちの音が小さく聞こえた様な……。
(急に寝返りを打ったら、避けているみたいやん。どうしよう)
決まりの悪い雰囲気の中では、些細なことが気になってしまうもの。あれこれ言い訳を考えると、いそいそと立ち上がり窓に向かいました。
(ほら、嵐みたいやし。外が気になったってことにすればええやん)
返って不自然なことにも気がつかず、窓から外の階段を見下ろします。激しく雨が打ち付けられ、階段を水が流れ落ちていました。地面には水たまりが広がっていて、池が出来上がってしまいそうです。
その時、大きな布を抱えたリンが一階下の部屋から出てきました。相変わらず黒い外套を羽織っていてフクロウの様な鳥が彼女の肩の上をうろうろしています。
(こんな時にどうしたんやろ?)
彼女は階段を降りていき、中庭の方向へ曲がります。桃は向かいの壁に取り付けてある窓に向かいました。リンは抱えていた布を下ろすと、フクロウと一緒に物置の方へ消えて行きました。暫くすると、何かを抱えた彼女が青々とした葉がしげる畑の前に立ちどまります。強まる雨に打たれながら、布を広げようとしていました。畑のくぼんだところには雨が溜り始めています。
(そういえば、最近は人参みたいなのを作るって話しとった。もしかしてあの布を被せて雨から守るつもりなんかな?)
嵐の日といえば、父親が田んぼの様子を見に行こうとするのを皆で止めていたことを思い出します。黒い雲が出てきた時は大体準備をしておくのですが、急な雨の時は大変。水が溜りすぎると駄目になってしまうし、父親が言うには、余分な水を流し過ぎると近所の人や、川の下流にある村の人に怒られてしまうのだそうです。
(やっぱり、丹精込めて作った畑やもん、心配やおね。一人じゃ大変やないかなあ)
上を見上げたリンが目を見開いていました。桃に気がついた様です。手を振ってみると目を逸らし、外套のフードを被り直します。嫌がられたかな、と不安が広がった時、小さく手を振っているのが見えました。
ずっと雨の中にいたら、風邪を引いてしまうでしょう。心配になった桃は、蝋の塗ってある外套を羽織って外に飛び出して行きました。滑りそうな階段を一段一段ゆっくりと降り、畑に向かいます。
すると、一瞬にして布が大きく開いて舞い上がり、ゆっくりと畑を覆い被さるように降りて行くのを目にしました。リンは側に立っているだけです。布の内側には、白い線で丸や星形といった模様や、文字がびっしりと書かれています。どこかで見たことのあるような模様でした。その時、彼女は時々そういう不思議な力を使うことを思い出したのです。
(これも狐さんが言っとった魔法なんかなあ。便利やなあ)
とぼんやりと思ったのもつかの間、桃はぬかるんだ地面を走って布を抑えに行きます。リンは杭を持って四隅を固定しようとしていました。しかし風が強くて大きくはためき、作業の邪魔になっていたのです。
桃がリンの向かい側に来て布を抑えつけます。向かいにいるリンの隣では、丸っこい姿のフクロウが布の上に乗っては風に煽られ転げ落ち、はためいた布の端を掴みに行く、という動作を繰り返していました。桃はけなげなフクロウを助けてあげたくても、その場から動くことができません。
リンはフクロウの方をチラチラ見ながら何か言い、それに合わせて首を振っている様に見えましたが、雨音が大きいのか、声が小さいのか桃の耳までは届きませんでした。
杭を打ち付ける音が雨に混じって響いてきます。容赦無く桃の顔を濡らし体の中まで入っていく雨。体温が奪われているのか感覚が無くなっていく手先、どんどん冷えていく体。リンは強風に煽られて作業が進んでいません。彼女もまたかじかんだ手が震えているのです。
薄ぼんやりと二人の元へ来る人影がありました。
「何してんだよ」
影は一度立ち止まり雨にかき消されないよう声を張り上げています。『守る』という言葉が咄嗟に出てこなかった桃は
「花、駄目になります。雨で」
とできるだけ大きな声で言い返しました。サムは手間取っているリンの側に置いてあった別の杭を持っていき、転がっていた石で打ち付けます。思いの外すぐに固定されました。桃が抑えている側の端にもやってきて作業を進めます。リンも一本、二本と四隅とその間に打ち付けていきました。
「終わりました」
風が吹き荒れる中、桃が伸びをします。
「帰るぞ」
サムはさっさと階段を上って行きました。桃が追いかけていきますが、一旦後ろをついてくるリンの方を向きます。
「私達の部屋、来ます?」
雨の中一人で体を拭いて、眠るのは心細いだろうと思ったのです。桃自身、サムと二人は気まずく、寂しいとさえ感じていました。彼女は何の反応も示しません。ただ、自分の部屋に戻りかけたリンにもう一度手招きすると、そのまま階段を上って小さく頭を下げながら桃達の部屋に入りました。遠くでゴロゴロと空がうなり声を上げています。
体を拭き竈に火を入れ、温かいスープを飲みました。そして三人で夜を明かすことになったのです。
暗闇に光が走り、雷の轟音が家を揺らしています。桃は隣で横になっているリンの腕にしがみついてしまいました。リンはおもむろに寝返りを打ち、桃に顔を向けます。そっともう片方の手を桃の背中に乗せ、ぎこちない手つきでさすりはじめました。
落ち着いてくると、恥ずかしさがこみ上げてきます。もう14歳なのに雷で人に慰めてもらうなんて。ここに弟達はいないけれど、本来なら桃が背中をさすってやる立場なのです。また、一生懸命落ち着かせようとするリンの努力が感じられて、温かい気持ちになってきます。
(こんな夜の日は、三人いると賑やかになっていいなあ)
ほんの一年前までは家族で七人、時には友達や祖父母が来て八人、九人と一つの部屋で眠っていたのです。二人だけの夜はいつも静かで。静か過ぎる位で。どちらかに何かあればひとりぼっちになってしまうし、させてしまう。荒天の日の夜は特にそんな恐怖心を募らせながら寝床に入っていました。人数がいつもより多いというだけで安心したのか、すぐ瞼が重くなり――。




