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42.嵐の夜、すれ違う言葉 ①

前回のあらすじ:言葉を勉強中の人VS口下手

 外国から来た変な少女、モモが家に来てからいつの間にか半年以上経っていた。家賃はまだ払わずに済んでいるが、流石にギルドは目敏い。きっちり半年で上納金を要求してきた。おかげでサムの懐は一層寂しいことになっている。


 ここ最近は追い出すタイミングを見失っているような気がしていた。彼女の稼ぎが僅かに生活の支えになりつつあるというのも大きな理由だが、いざ出て行く話を切り出そうとすると、風邪をこじらせて寝込んだ日のことが頭をよぎってしまうのだ。


あの時、モモが薬を探しに行っていなかったら彼は今頃この世にいなかっただろう――。その借りくらいは返すべきだと心の中で叫ぶもう一人の自分がいるような感覚がしていた。勿論、彼女にはあまり長居して欲しくないのも本音。


(人は信用しない方がいい。少しでも寄りかかろうとしたら、足もとから崩れ落ちていく。……ま、恩人とも言える人の元を去ったというのに勝手な話だ)


 サムは一人、自嘲気味に嗤ってジュースを口に含んだ。喧噪の中を縫うように店員のミックが向かってくる。からかい甲斐のある奴を見つけたと言いたげに。


「よっ。奥さんと喧嘩したのか?」


「奥さん? 人違いじゃありませんか? 俺未婚なんで」


「おいおい、そりゃないぜ。で、実際のところどうなのさ」


 机に寄りかかって話しかけてくるミックから、微かに葡萄酒の香りがした。酒を運んでいるせいだろうが、彼なら多少飲んでいてもおかしくないと思ってしまう。入り口の掲示板を覗いている客が抱えている上着から、雫が滴り落ちていた。


「ま、したと言えばしたし、してないと言えばしてないな」


 喧嘩とまでは行かないが、揉めそうになっていたことは確かだった。モモは「Seu batacおはよう」を「Seu batec」と発音していた。指摘しても全然直らない。最初はどうしても発音が難しいのだろうと思っていた。「ウァ」が「ア」になってしまうみたいに。


ところが毎日モモと会話をしていくうちに、それとは幾分か状況が違うことに気がついた。AとEを間違えるのはこの言葉だけなのだ。発音するのが難しいのならあらゆる言葉がEに変わるはずである。


つまり、彼女はあえて「Seu batec」と言い続けているということ。意図が全く分からなかったサムは、ついに直接聞いてみることにした。


「なんで「Seu batec」って言うわけ?」


と。すると彼が予想だにしなかった答えが返ってきた。はじめは「Seu batac」と言っていた。けれどある日「Seu batac」と言ったらフランに直されたというのである。普段はいちいちモモの細かい発音など気にすることはない。が、流石にAをEと言うのはあり得ないような気がした。


「それはおかしいだろ。マジで言ってたのか?」


 と言ったが、モモは


「本当です」


 の一点張り。結局お互いが譲らないまま、サムの胸にもやもやだけが残った。問題はこの街で生まれ育ったお嬢様のフランが直したという妙な理論武装をしている点。モモの言っていることが正しければ、フランがそう指摘した理由は何なのか、本当にEと発音するものなのか。どうにか解き明かしたかった。


 淡々とサムが話すのをミックは机にもたれ、腕を組みながら聞く。


「普通「Seu batac」だろ」


「それは「batac」だな。けど……お前たまーに訛ってるからなあ」


「は、マジで?」


 自分が訛っているとは思いもよらず、驚きを隠せない。冷静に考えればこの街の外で育ったのだから十分あり得る話なのだが、気づかぬうちに田舎者呼ばわりされていたんじゃ無いかとか考え出すと気味の悪い汗が滲みだした。


「マジで。最近は治ってるけど、昔はbiedottありがとうがbiedaatになってたし。あとなんかあったかなあ」


 思い出そうとしているミックをよそに、サムはジュースを飲み干す。恥ずかしさのせいだろうか。喉がカラカラになってしまった。金はかかるがおかわりをしたいとぼんやり思っていた時、


「あ、あれだ」


 とミックが机を叩いた。


「お前さ、人じゃ無いのにtey(彼女)使う時あるよな。河辺でさ、『あの船壊れてんな~』って俺が言ったとするじゃん? すると『彼女も寿命だな』みたいなこと言うだろ。それ聞いた俺は、え、彼女って誰? てなるわけ」


「そこは普通に船のことだろ。話の流れ的に」


「察するけどさ、けどね。船にteyを使う方がおかしいって。何でそうなるのか理解できねえもん。物なら素直にbibそれって言えよ」


「えー。いやそうなんだろうけどさ。やっぱ船にbib使うのは違和感ある」


「無い。全然ないから」


「あーはいはい。ソウデスネ」


「だって船は物。人じゃない」


 未だ納得がいっていないが、言い合いを続けるのが面倒になってきたサムは適当に相づちを打っておくことにする。だが、ミックのおかげで少し糸口が見えたような気がしていた。


「方言の違いってのはあり得るかもしれないよな」


 そう呟くとサムは勝手に出された豆のスープを飲む。作りすぎた日は、このようにサービスをしてくれる時があるのだ。


「「Seu batec」のこと? 方言の違いなあ。同じ街の中なのに変わることってあんのか?」


「それを知りたいんだよ。ま、この街よそ者多いからあり得るんじゃねえかなって思ったんだけどさ」


「うーん。かもしれないけど……」


 サムはそれから暫くミックと他愛ない話をした後、重い腰を上げて雨に打たれながら家に帰って行った。この大雨では暫く家から出られそうにない。その間、言い合いしたばかりのモモと四六時中顔を合わせていなければならないのだ。


(自宅へ帰るのに気が重いっておかしくないか? 一人だったらこんなことにならないのにさ。やっぱ早いところ追い出そう)


 服が雨を吸って重くなってくる。家が見えてくるにつれて地面が泥のようになってきた。大きなため息を吐く。


(段々激しくなってるな、雨。ああ、そうだ。この雨が上がったら人手のいる作業があったんだ。丁度いい。わざわざ知り合いに頼むことでもないし。あいつに手伝わせてから追い出すことにしよう。非力でアテにはならないだろうが、居候は最後まで使い倒さないとな)


 心の中でにやりと笑いつつドアを開ける。薄暗く、狭い部屋。いつもなら何かしら持って掛け寄ってくるはずのモモが、毛布にくるまってふて寝をしていた。


本日より週3回(火曜日、金曜日、日曜日)の更新に戻したいと思います。お付き合いありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

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