41.木イチゴ畑のふたり 最終話
前回のあらすじ:ジャムを作ったよ
三階の部屋はすっかり暗くなっていました。
(サムさんはもう寝ているやろうなあ)
音を立てないようゆっくりと扉を開けて体を滑りこませます。そーっとドアを閉めていると後ろから
「おい」
と声を掛けられました。
「ひゃあ」
バタリと大きな音を立てながら扉を閉めてしまいます。横になってはいますが、まだ起きていたみたいです。
「ご、ごめんなさい」
小声で色々な意味を込めた謝罪をする桃。髪留めをほどいて、手探りで寝間着を引っ張り出し、大急ぎで着替えます。いそいそと自分の寝床に入ると、サムが寝返りを打ったのか藁のこすれる音がしました。
「早く寝ろ」
その声は、沢山問い詰めたいのをぐっとこらえているようです。桃も沢山話したいことがありました。サムの忠告を守れなかったことに対する謝罪だけではありません。リンともう一度会えたこと、木イチゴが美味しかったこと、結局好きな食べ物が聞けなかったやるせなさ。全てはき出したいのを抑えて、
「おやすみなさい」
と語りかけて目を閉じたのでした。
それから何日か経った時のこと。桃が仕事から戻ってくると、玄関前でうろうろしている人影がありました。頭をすっぽりと濃紺の布で覆っています。もしやと思って階段を駆け上がると、案の定リンでした。その手には小さな壺を抱えています。
「何ですか?」
と言って桃が駆け寄ると後ずさる彼女。しかし扉前の廊下は狭く、すぐ突き当たりに来てしまいます。暫くあちこち目を泳がせていましたが、意を決したのかリンは震える手で壺を差し出しました。
「あ、えっと、これ」
「私に?」
リンは小さく頷きます。壺を手にとって栓を抜くと、ふわりと甘みと酸味の混ざった香りが広がりました。あの時のジャムです。
「ありがとうございます!」
(わざわざお裾分けまでしてもらっちゃって。嬉しいけど、申し訳ないなあ。うち、まだ何もお礼できてないのに)
大事に食べようと心に決めて蓋をします。するとリンが「あ、あと」と話しかけてきました。首を傾げながら彼女に視線を移します。しかし、リンは下を向いて黙ってしまいました。
桃はじっと待っていることにしました。何か言いたそうにしていたからというのもあります。ですがそれ以上に、モジモジしている彼女の姿は、どこか二番目の弟、築次郎を思い出させたのです。
***
彼はその歳を考えても口数の少ない子でした。誰かと会うときは決まって家族の後ろに隠れ、皆と遊んでいる時はフラフラとどこかへいってしまう様な子。桃は正直、そんな弟を少し不思議な子だなあと感じていました。楽しさを分かち合う人が多ければ多いほど一層楽しくなるものだと思っていたからです。そして、誰かに嫌なことをされたのではないかと心配し、両親に相談していたのでした。
ある日のこと、一番目の弟、与一と幼なじみの栗木は学校へ、妹の松は父親と街へ行ってしまい、一人で築次郎の面倒を見るよう母親に頼まれたことがありました。母は身重で、遊び盛りの相手をしながら仕事をする訳にはゆきません。その日は弟と一緒にずっと虫や魚の様子を眺めて過ごしました。
どうせ川へ行くなら魚釣りでもした方が、ご飯のおかずにもなるし楽しいのになあ、と思っていましたが、折角二人でいるのだからとことん付きあおうと決めていたのです。ただひたすら築次郎のやりたいようにさせていました。
それはとても静かで、穏やかで、ちょっと退屈な時間でした。弟はじーっと虫や魚を見つめているのです。時々、イワナが跳ねるのを見つけると、
「姉ちゃん、飛んだよ、魚」
声を弾ませてぷっくりとした指を差し、
「本当やね、お魚飛んだね」
と返すと弟は
「飛んだよ!」
目を輝かせて繰り返します。そんなことを何度も何度もしていました。はしゃぎながらどこまでも行ってしまう弟。怪我をしないよう見守りながらついていく姉。その時、この子は皆と遊ぶよりも、一人、或いは限られた人と自然に触れあっている方が好きなのだと分かったのです。今日いつも以上に元気そうなのは、きっと付きあってくれる人がいるからでしょう。
もしかしたら、本当は誰かとちょっとした感動を分け合いたかったのかもしれません。でも皆がワイワイ遊んでいる中、それを伝えることができずにいたのかもしれません。どこかで気恥ずかしさを抱えていたのかもしれません。そう思い至ると
「ちくちゃん、ごめんね」
という言葉がこぼれ出ていたのでした。
***
昔のことを思い出していたせいか、はたまた夕飯まで時間の余裕があるおかげでしょうか。
(うちが言いたいことあっても言葉を思い出すのに時間がかかって、中々言えないみたいに、この子も伝えたいことがあっても言えないのかも。手紙を何度も書きなおしたみたいに、言葉を選び直したりしてるんかなあ)
と考えるようになっていました。そしてついにリンが口を開きます。
「――monicacy . Aa, wee, E hasclif. (木イチゴ。あー、えっと、好きなもの)」
「あっ」
前にした質問の答えを返してくれたのです。あの時尋ねたことは伝わっていました。想定していた答えとは随分違いましたが、おそらくずっとその答えを考えていて、言おうとしてくれていたのでしょう。
じっと答えを待っていた甲斐がありました。
好きな食べ物が木イチゴなら、きっとそれに合いそうなものなら気に入ってくれるはずだから。
「リン、さん。来て」
桃は勢いよく扉を開けて、リンを部屋の中に招き入れました。扉の前で立ち尽くしている彼女を手招きして机に座るよう促し、急いで竈の火をつけます。リンがきょろきょろしながらも座ったのを確かめると、半分になったパンを薄く切り、お皿に盛って、貰った木イチゴのジャムを掛けました。
「食べる、一緒に、良いですか?」
半ば強引に誘ってしまったことに気がつき、一抹の不安を抱えながら尋ねます。リンはこくりと小さく頷きました。桃は再び竈に行きます。狭い部屋の中には、木イチゴの香りに混ざって、お茶の香ばしい香りが広がっていました。
ちなみに、仕事から戻って来たサムが二人の様子を見て唖然としたことはいうまでもありません。




