15.お仕事はじめました ⑤
前回のあらすじ:女の勘を頼りにモモを探すよ
桃とグレアムは河の近くで相対しています。長い間外で立っていると寒さが体に滲みてきました。グレアムも同じ気持ちでいるのだろうと、桃は申し訳なく思いつつ、彼には近寄れないでいました。
気を紛らわそうとして、また空を見上げます。流れる水の音、瞬く星。遠くで浮かび上がる灯りと石造りの建物。恐ろしくて、美しい。夜に外へ出るのは珍しいからでしょうか、ほんの少しだけ楽しくなってきます。夜の街がこれ程綺麗だとは知りませんでした。
それでも、寒さが消えることはありません。むしろどんどん冷えていくような気さえします。
すると、夕闇の中に小さな光が一つ現れました。じっと目をこらすと見慣れたサムの顔。彼がグレアムの側まで歩いてきました。
「お疲れ」
「あ、サム君。ごめんね。桃ちゃんずっとこんな調子で、実は今日……」
「知ってる。あんたの父親から聞いた。俺たちまで避けられているのは腑に落ちないけど」
サムは納得したようなしていないような微妙な表情を浮かべました。
「それは言っちゃ駄目だよ。えーっと、ここからは僕の考えになるんだけど、あのせいで、男の人そのものが怖くなっちゃったんじゃないかな。彼女も辛いと思うよ」
「それが本当だったら、俺達が何をやっても意味ねーな」
「言われてみればそうだ。じゃあ、僕たちが安心安全だって思って貰えるまで待つしかないってことかあ」
「めんどくさ」
サムが肩をすくめているのが桃にもはっきりと見て取れます。
「まあいいや。後は俺がなんとかするから、もう帰って良いよ」
「え、でも――」
「明日も仕事あるんだろ」
「それはそうだけど、君一人にしておくのは……。僕が親父に言い聞かせてなかったせいでもあるし」
「どうせ後から五月蠅いやつらがくるから」
「そうなの? 誰」
「フランっていうお嬢様」
「え? どうしてあの子が? いつのまに君と仲良くなってるのさ」
「知ってるのか?」
「それなりに古い縁だからね」
「ふうん。そこが繋がっているのは予想外だった。ま、どっちにしろ今のうちに逃げておけば? 余計疲れる羽目になるのは目に見えてるだろ。知り合いなら尚更」
「それもそうだね……。僕にできることもあまりなさそうだし、後はお願いしていいかな。ごめんね」
「あとこれ返す。あんたの家で借りてきた。もう一個フラン達が持ってる」
「了解」
二人が何か話している様子でしたが、やがて光が遠ざかり、段々暗闇に消えていきます。グレアムが帰ったみたいです。明日も仕事があるので早く休みたかったのでしょう。
残ったサムが真っ直ぐ桃を見つめてきます。暗闇で顔はぼんやりしているのに、一瞬目が合ってしまいました。桃はゆっくり目を逸らします。向こうも困惑している様子でした。
すると遠くから人影が近づいて来ます。灯りを持ってきたのはフランと従者のスミスでした。フランは勢いよく抱きついてきます。急すぎて頭が真っ白になり、されるがままとなっている少女。服から花の良い香りが漂ってきました。フランが何か囁きかけます。狐が何を言っているのか教えてくれました。
『怖かっただろう? 辛かっただろうと』
(こわい……そう、私怖かったんだ……)
不意に涙があふれだし服を濡らしました。布が頬に触れます。フランが手巾で涙を拭ってくれていました。それは以前、桃が彼女の足に巻いたものでした。
『帰ろう、危ないからと、言っておる。我としてもここにいるのは勧められぬ。夜は魔物の時間とも言うからな。盗賊がいる可能性も高い』
「分かっています。分かってはいるんです」
サムがその場を離れるように歩き出すのがうっすらと見えました。家に帰ってしまうのでしょうか。
「Baig’es al!(行きましょう)」
フランに促され、桃達も彼を追います。家に入れる自信はありませんでしたが、ここで見逃したら、道に迷って二度と家に戻れなくなってしまいます。
河から離れるにつれて家が見えてきました。狭い階段を、手探りでのぼります。ミシミシ言う音が、いつも以上に心細く感じられ、気を付けないと踏み抜いてしまいそうでした。
三階の部屋のドアが大きく開き、炉に火が入れられます。ぼんやりと照らされる部屋。浮かび上がる彼の姿。あと一歩で暖かい部屋に入れます。フランと従者のスミスが後ろから桃を見守っていました。明日グレアムに謝ろう。そうすれば今まで通りの日常が戻ってくる、筈なのです。
それでも中に入れませんでした。フランとスミスが先に入り、桃の手を引きますが、動きません。
地面と足が鉛でくっついたようになり、上半身が小刻みに震えています。その状態に自分で驚く程でした。
このままでは寒い空気が入ってきて部屋がいつまで経っても暖まることはないでしょう。それに、フラン達が家に戻るには遅い時間。この狭い部屋で泊まっていくのであれば、四人より三人の方が良いはずです。桃は中に入ることを諦めることにしました。今夜は通路の端で寝よう。そう思うと体が軽くなり、足が動くようになりました。
フランとスミスから手を離し、部屋に背中を向けた時、何かが彼女の肩に掛けられました。柔らかくて温かそうな毛皮の羽織り物。古びていますが、丈夫で重厚感がありそうです。少しは体の冷えを抑えられるようにと思って渡してくれたことに気がつきました。
誰が掛けたのでしょう? 振り返って三人の顔を順番に見ていくと、サムがスッと目を逸らしました。目を伏せ、頬をほんのり紅くして、少し照れているような、今まで見せたことのない表情。誰が渡したのかすぐに分かります。
(こんなことをするなんて。なんだかんだ優しいんやね、あの人)
「……ありが、とう」
たどたどしい言葉が零れ出ます。毛皮の羽織りのおかげで、体がじんわりと温かかくなりました。




