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108.魔法境界に現れし月 ④

前回のあらすじ:人を誘うのは大変。

 それから数日たち、フランが箒の使用許可が下りたことを知らせに来ました。それと同時に、ベラが魔術師として勤務している母親にその話をしたところ、同時期にドラゴンの住む地域へ研修に行くメンバーに選ばれており、先に着いていたら宿の予約をしておいてくれることになったのです。ついでに桃はサムが一緒に行く気になったことをそれとなく伝えます。フランはさほど気にしていない様子で「全く、素直じゃないんだから」とクスクス笑っていました。


 あっという間に出かける日が近づいていきます。この日、皆がグレアムの家に集まって旅支度をしていました。必要な荷物をそれぞれ持ち寄って、足りない分を買い足しに行ったり、壊れているものを直したりしています。


「グレアム、まだ悩んでいるの?」


 その中でグレアムだけが未だ一緒に行くかどうか決心できていませんでした。フランが苛立たしげにしています。グレアムは地図から目を離さずに「うーん」と唸っていました。手にしている地図は古ぼけた羊皮紙で色があせており、端のほうは破れかかっています。使い込まれたものであることがうかがえました。桃が覗き込んでみると、道や川を表しているであろう線が描かれているのは辛うじて分かりますが、ドラゴンのいる地域への道のりは見当もつきませんでした。


「国境の外だよね、一日中箒を飛ばしたって行くのに二日、三日かかるんだよなあ。一日泊まると考えても往復で一週間。うん、流石にそんなには休みがとれないね」


「無理にとは言わないわよ」


「けど、君たちは箒に乗って遠出したことある? いくつも街を越えるような旅だよ」


 部屋には桃とサム、フラン、ベラ、リンがいましたが、全員首を横に振ります。一方グレアムは仕事柄、荷物を届けるためにいくつもの街を訪ねて回ることがありました。


「空の旅にもルールとかマナーが色々あるんだよ。自分達だけじゃない、地上の人にとっても危険だからね」


 魔法境界を見に行こうと決めた時は気づいていなかったことですが、エリの行方が分からない今、そこへ行くにはグレアムが頼り。一方で彼は、街とその周辺しか箒で移動したことがない人達だけになることを不安に思っているようです。


「困りましたね」


 桃が肩を落とします。するとベラがあっけらかんとした調子で


「何日なら休めるの? 片道だけなら行けるかしら」


 と尋ねました。


「長くても五日かな」


 首を傾げながら答えます。


「良い方法があるわ」


 ベラは得意げに指を鳴らしました。


「ここに魔法陣を仕掛けておいて、同じ模様の魔法陣を大きな布か紙に書くの。それを向こうに持っていけば帰りは時間がかからないわ」


「それは名案だわ」


 フランが興奮気味にベラの肩を叩きます。


「上手くいけば私達もそれで帰れるわよ」


「僕の家に?」


「そうなるわね」


「いいよ。そんな方法があるんだね、便利だなあ」


「あのさあ、よく分からないのに悪いけど、俺らまでそれを使って帰ったら、紙だの布だのが向こうに残らないの?」


 サムが箒の穂を束ね直しながら疑問を口にします。ベラは緊張気味に声を震わせつつ答えました。


「や、宿の人にお願いして捨ててもらおうと思っていたの。もしそれが難しくても、帰ってきたらすぐにここの魔法陣を消してしまえば、もう使えなくなるわ」


「そうなんだ。良いんじゃないの」


 その言葉には一切の皮肉も感じられませんでした。


「あれ、でもさ、お母さんが宿の予約を取ってくれるってことは一足先に行くんだろ? 持って行って貰えば行きでも使えるんじゃない?」


「確かにそうだわ」


 サムの提案にベラがハッとします。


「旅の醍醐味の分からない男ね。道中が楽しいんじゃないの」


「分かってないのはあんただ。行きの時間を短くできればグレアムも長く向こうにいられるだろうが」


「けど、ママは仕事先の人と行くみたいだし、あまり仕事場を離れる訳にもいかないから、今回の旅は自分達で頑張りなさいって言われたわ。宿屋はその町に一つしかないらしいからすぐに分かるだろうって」


「ふうん、そういうことならあまり手を煩わせる訳にもいかないか」


 ベラの母親の事情を聞かされるとサムはあっさり納得します。


「描くだけ描いて一回ママに聞いてみるわ。どこか使っても良い部屋あるかしら。要らない布があればもっと嬉しいのだけど」


「物置とかどう? 冬に綺麗にしたばかりだし。そこに古いキャンバスの布もあったはずだから、その裏とかどうかな」


「いいの?」


「うん、外しに行くよ」


 階段を上るグレアムについていこうとしたベラが、部屋の隅でうずくまっているリンに近寄ります。


「リン、あなたもいらっしゃい」


 リンが肩をビクッと上げます。ゆっくりと顔を上げました。


「転送魔法描くから。手伝ってよ」


「あっ、その、邪魔になるだけじゃ……」


「何か言ったかしら?」


「いや、な、なんでもない……です」


 リンはフラリと立ち上がり、覚束ない足取りでベラの後ろをついていきます。残された三人の間で生ぬるい空気が流れましたが、程なくしてグレアムが戻って来ました。


「サム君、進み具合はどう?」


「大体、できたっ」


 足で穂を押さえながら麻紐をしっかりと結びます。すると、グレアムがそれぞれの家から持ち寄った箒を並べました。棚から一つの木箱を取り出し、昼間だというのにランプに灯りを灯します。箱の中には適当な形をした蝋の塊がいくつも入っていました。


「何をしますか?」


「これを箒に塗るんだよ。急な雨が降ってきても多少水をはじいてくれるから。外套にも塗った方がいいかも」


 グレアムは蝋をランプの火にかざします。溶けてきたのをすかさず箒の柄に擦りつけました。


「分かりました」


 桃は一つ蝋の塊を取り出し、火に当てて溶かしながら箒に塗っていきます。暫くすると蝋が固まって滑りが悪くなるので、温めては塗るという作業を繰り返しました。


「穂の部分も?」


 同じように蝋を塗っていたサムが汗を拭います。


「そうだね」


 グレアムが大きなため息をつきました。かなり根気のいる仕事です。フランは眉をひそめながらひとかけらつまみ、片手で掴みきれないほど太い箒の柄に軽くこすりつけると、すぐに蝋を置いて蝋のついた指をすり合わせました。


「ベタベタして気持ち悪いわね」


「だったら他の仕事をしてくれる? 鞄や外套のほつれを直したり、靴を磨いたり、食べ物を詰めたり」


「針仕事はできないわよ。手を怪我したら楽器が触れないじゃない」


 と言いつつ、食べ物を触るのも気が乗らないようで、フランは渋々灰色がかった蝋のかけらを再び手に取りました。すると丸めた布を持ったベラとリンが降りてきました。


「描けたわよ。これでグレアムさんも半分の日数で往復できるわ」


 ベラは満面の笑みを浮かべています。グレアムも顔をほころばせました。


「ありがとう。じゃあ、僕も行くことにする。長居はできないけど」


 グレアムは蝋を塗り終えた箒を一本持つと、降りてきたばかりのリンを手招きします。床に置かれた荷物に足を引っかけそうになりながら彼に近寄りました。グレアムは気遣わしげに顔を覗き込んでいます。


「箒に乗る練習をしておこうと思って。あまり自信がないって聞いていたから」


 リンはぺこりと頭を下げました。


「モモちゃんも来てくれるかな?」


 無我夢中で蝋を塗りたくっていたところに声を掛けられ、桃は慌てふためきながら二人のいる玄関へ向かいます。


「お待たせ、しました」


 グレアムは片手で箒を担ぎつつ、麻布と革でできた帯のような物を一枚持って外に出ます。人の間を縫うように河岸に向かって歩いていくと開けた場所に辿り着きました。辺りには小麦畑が広がり、緑色の穂をつけた小麦が波打つように揺れています。収穫の時期はもう少し先でしょう。


「この辺なら邪魔にならないだろうから、試しに飛んでみない? 蝋を塗ったばかりだからちょっと手が滑るかもしれないけど」


 グレアムは慣れた手つきで箒の柄に麻布を巻きつけて、リンに渡しました。彼女は周囲を見渡して他に見物人がいないことを確かめ、箒にまたがります。軽く地面を蹴って、ふわりと浮き上がる体、外套がはためいて僅かにのぞく足首。大きく螺旋を描きながらぐんぐん上昇していきます。強い風が吹いていない為でもありますが、段々小さくなっていくリンの姿はさながらカラスのようでした。


 河の上まで出ると旋回して地上にいる二人に近づきながら高度を下げていきます。桃の腰辺りの高さまで下がると、箒を浮かせたまま地面に降り立ち、力が抜けるように下へ落ちてゆく箒を捕らえました。その瞬間にわき起こる拍手。リンはぼんやりと立ち尽くしたまま、両手で抱え直し、グレアムの反応を窺います。


「めっちゃ上手じゃん。僕より安定感あるよ」


「いや、そんな……」


「自信持って良いと思うな」


 グレアムはリンに近づいて箒の柄に革の帯らしきものを取り付けます。詰め物がしてあるのか帯にしては分厚く、金属の留め具がついていました。


「この調子で二人乗りを試してくれないかな? モモちゃんと一緒に」


「私もですか?」


「そのために呼んだんだよ。ベラちゃんが二人乗りできるのは知ってるけど、もしリンちゃんにもできたらゆとりができるかなって思って」


 箒に乗れない桃とサムは誰かに乗せてもらわなければならないのです。口ぶりからして、サムは男同士グレアムが乗せていく心づもりなのでしょう。また、持ち寄った箒には小さいものと大きいものがありましたが、大きい方を持ってきた理由もはっきりしました。


「すみません」


「謝らないでよ。君がいなかったら一生行く機会が無かっただろうから。むしろ感謝しているよ」


「本当ですか?」


「少なくとも僕はね。多分、皆もなんだかんだ楽しみにしてるんじゃないかな。多少無茶してでも行こうとするくらいにはさ。僕だって本当はもっとゆっくりしたかったけど、仕方無いよね。若いっていいなあ」


 遠い目をしていたグレアムが、二人に箒の乗り方を伝えます。一人はたった今取り付けた革の上に乗り、もう一人が穂のくくりつけられている部分に座ると、お尻の痛みを軽減できるとのこと。そこでリンが前に座り、桃が穂のところに腰を下ろしてリンの腰に手を回します。


「なるべく離れないようにしてね」


 というグレアムのアドバイスを耳に、リンはもう一度空へ飛び上がりました。耳の横を、髪の毛を風が鋭く通り過ぎていきます。木のてっぺん辺りまで浮き上がると、風が穏やかになりました。急に高度をあげると体を痛めるので、緩やかに円を描きながら上って行くのがコツのようです。


 目の前にはリンの背中がありますが、少し体を横にずらすと遙か先まで見通せました。広大な畑と放牧地が続いた先に、ぽつんと建物の密集している場所が見えます。周りが壁で囲われていることから、あれが別の街だということが分かりました。河の反対側に目を向けるとやはり暫くは畑が広がっているようですが、やがて鬱蒼とした森に行き当たりました。森は果てが見えないほど広大で、神秘的な雰囲気さえ湛えています。


 フランに乗せてもらった時は、ゆっくり景色を見る暇もないほど右へ行ったり左へ行ったりしましたが、今は進む方向が変わっているはずなのにほとんど体が揺さぶられません。


(同じ箒で飛ぶ魔法なのに、全然乗り心地が違うやん。長い時間乗るならこっちの方が楽やなあ)


 桃は彼女の背中に額をつけて、伝わってくる温もりに身をゆだねます。


「大丈夫?」


 急にもたれ掛かってきたことに不安を覚えたリンが、後ろを向いて尋ねます。桃はその低い声さえ心地良いと思いました。


「気持ちいいですよ」


 額をつけたまま呟くと、お腹の底から何かがせり上がってくるような奇妙な感覚がしてきました。足元から風が吹き込んできます。箒が一気に地上へ近づいていたのでした。


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