109.魔法境界に現れし月 ⑤
前回のあらすじ:箒の練習をしてみたよ。
お出かけの当日になってもエリは行方知れずのままでした。移動魔法陣をベラの母親に持っていって貰うことも叶わず、街の東側にある門の近くに集合して箒で行くことにします。桃とサム、そしてリンは一生懸命早起きして歩いて向かいました。グレアムは箒に乗って飛んできました。テカリのある外套を羽織っています。金具できっちりと留められた鞄も箒に取り付けられていました。地上に降りてくると、先に到着していた桃とサム、そしてリンに手を振ります。
「おはよう。今日は飛べるみたいだ」
ほっと胸を撫で下ろしています。グレアムは時折空を飛べなくなってしまうのです。
「おはようございます。良かったです」
桃が挨拶を返します。
「全くだよ。これで飛べなかったら何の意味もないもん」
予兆も特にあるわけではないので、今日飛べるかどうかというのは彼にとって完全に賭けでした。原因はよく分かっていません。しかし、魔力の少なさが影響しているのではないかと桃に話していたことがありました。昔ビアソネ石を持って魔力を量った時は黄色に変化しており、魔法は使えるものの魔術師として働くには遠く及ばないレベルだったと言います。
程なくしてフランとベラが一頭引きの小さな馬車から降りてきました。御者に謝礼を払うと、馬車は来た道を戻っていきます。お喋りをしながら皆のところまで荷物を持って来ました。
「アシュリーは無理だって」
「まだ誘う気でいたの?」
「勿論」
「難しいでしょう、聖職者なんだから。私達が休みの日が仕事の日よ?」
「分かってる、分かってるけど……きっと彼も気になると思うのよ」
「いつか一緒に行ける日が来るわよ。いかにも彼が食いつきそうな場所じゃない」
「簡単に言ってくれるわね」
二人は珍しく下にズボンを穿き、リボンやフリル、ボタンの一切ついていない上から被るタイプの外套を着ています。花や鳥の刺繍だけが彼女らのお洒落さを物語っていました。というのも、落ちてくると危ないアクセサリーやボタン、髪留めの類いはしないようにとグレアムに指示されていたのです。空を飛ぶときのルールのようなものでした。また、ドレスや丈の長い上着はまたがるのに不便で、地上の人に下着を見られてしまう可能性もあります。したがって女達もズボンを穿いていくことになりました。桃も故郷で山登りのときに穿いていた股引を身につけています。髪の長い桃とフランは風で視界を防がれないようリボンできつく上に束ねていました。
桃はリンの箒に、サムはグレアムの箒にまたがります。フランとベラはそれぞれ自身の箒に乗りました。狐は主人のフランではなく何故かサムの肩に飛び乗ります。彼は小さな獣を抱え上げ、襟から外套の中にその体を入れてやりました。首元から顔を出している狐の額を撫でています。これまでさほど狐に興味を示していなかったサムですが、その手つきはまんざらでもなさそうでした。狐も気持ちよさそうに目を細めています。
「悪いんだけど、しっかりつかまっていてね」
遠慮がちにグレアムが呼びかけるとサムはあっさりと承諾しました。腰に手を回すとグレアムの方がのけぞります。
「自分で言ったんだろ」
「うん、まあ。怖いくらい素直だなって」
「パンを焼くならパン屋に任せろっていうからな」
(自分より詳しい人の言うことはちゃんと聞くんやなあ)
桃はリンの背中にもたれかかりながら、そんな男達の様子を眺めていました。
いよいよ六人は早朝のブラッドリーを飛び立ちます。方向は東。グレアムが先頭を飛び、リン、ベラ、フランと続きます。遠くに見える山から昇る朝日を追いかけるように進む箒の群れ。空の上は想像以上に肌寒く、風も強く吹きつけるので言われた通り雨よけの外套を羽織ってきて正解だったと桃は思い直しました。薄い雲が足元に広がっています。地上から見上げていただけの頃は、雲は綿のようなものだと信じていましたが、上から覗き込むと、それはまるで湯気のように見えました。
柔らかい追い風に乗ってどれくらい飛び続けたのでしょうか。フランは最初は呑気に歌を口ずさんでいましたが、鳥達を避ける度に大きくそれていき、修正に忙しく息を切らしていました。
「グレアムさんってずっと飛んでいられるの?」
ベラが近づいていって、素朴な疑問を口にします。魔法使い志望のベラも流石に疲れてきたのか、片手を離しては握ったり開いたりを繰り返していました。
「無理だよ。長く飛ぶと魔力切れを起こすから。ちょくちょく休むのがコツ」
と言って手首にくくりつけていた紐を引っ張りました。すると箒の先端に取り付けられていた緑色の旗がぱっと開いてはためきます。
「あそこの街で休もう」
グレアムが示した先には、森と畑の広がる中にぽつんと家々が密集している場所があり、城壁で囲まれていました。城壁の外に立てられている堅牢そうな塔の上に同じく緑色をした旗が立てられるのが見えました。
「来ても良いって」
大回りをしながら少しずつ高度を落として塔に近づいていきます。さっきの旗は街に降り立ちたいという合図だったのです。石づくりの塔はかなり広く、六人がほぼ同時に降り立つことができました。軍服姿の中年男が見張りに立っていて、グレアムはその人に箒の使用許可証を見せに行きます。
「仕事以外で来るなんて珍しい」
「ええ、まあ」
「どこに行くのかい?」
「ドラゴンの国に」
「はあ、どの辺だ。聞いた事はあるけど場所は知らないなあ」
グレアムは地図を取り出して指し示します。
「こりゃ遠いな。無理するなよ。しっかり休んでいきなさい」
「はい。いつもありがとうございます」
談笑していることから、どうやら顔見知りの様子。仕事の時も休憩場所として使っているのでしょう。その時は見張りの人が振る舞ってくれた焼きリンゴを頬張って休息を取り、また箒に乗って街を後にしました。
それからは街に降りては休み、また次の街へ。日が傾いてくると街の中で宿をとって休みます。フランが宿代を払ってくれたのでそれなりの場所にありつけましたが、持参しているお金には限りがあるので気前よく使うわけには行きません。
長時間慣れない箒に乗っているせいで体の節々が痛みます。宿に着くなり夕飯を用意する桃とサム以外は仮眠をとるためさっさとベッドへ潜ってしまいました。休みながらとはいえ魔力の消費も激しく、かなりの疲労を伴うようでした。
それから先は過酷な旅とまではいかないものの、体の痛みとすり減る魔力、食料、そしてお金と戦う旅路でした。しかもグレアムは仕事に差し支えないように戻って来なくてはなりません。山の上は天気が変わりやすく、しばしば雨で足止めされたり、遠回りを迫られたりしました。




