106.魔法境界に現れし月 ②
前回のあらすじ:オタク語りをするベラ
「エリ様、この機会だから聞きたいことがあるのだけれど、良いかしら」
お茶とナッツを味わっている間に落ち着いてきたベラが、豆を口いっぱいに詰め込んでいたエリに尋ねます。
「なにー?」
「転送魔法についてです。話すと長くなるのだけれど、モモってどう見ても異国の人でしょう? 実は遠い国から転送魔法で連れてこられたと思うんです。母もこの街で魔術師をしているので、この前故郷に帰す方法がないか聞いてみたのですけど、何も言えないみたいで」
ベラはその際に母親と喧嘩して部屋を出て行ってしまったのですが、そこに残っていた桃は、誰かが不正に利用したせいで神経質にならざるを得なかったという事情を聞いていました。そして桃がこの街へ来て最初に出会ったのがベラの母親だったこと、この二つのことを合わせて考えるなら不正利用の結果運ばれてきたのが他ならぬ桃であったことも知っています。しかしそれを皆の前で、特にベラの前で話すべきなのか悩みます。
(うちらの前では勝手に使った人がいたって教えてくれたってことは、娘さんさんだからこそ話したくなかったのかもしれへん)
フランとグレアムも身を乗り出して聞いています。二人にとっても桃が一人でどのようにしてこの街に来たのか、気になっていたのです。
「うーん、異国からねえ。どれくらい離れているところ?」
『南の海を越えたところにある大陸の東の端と言えば分かるかの』
「え、今、変な声が聞こえなかった?」
ベラが怯えながら部屋のあちらこちらを見渡しています。
「あら、気のせいじゃないかしら」
「そう? はっきり聞こえた気がするのだけれど」
「エリも聞こえたよー。動物っぽい声だったね」
「エルフは動物と会話ができると聞いたことがありますわ。きっと鳥の声でも聞こえたのでしょう」
乾いた笑い声を立てながら、フランが慌てて狐の口を塞ぎました。
『しまった、彼女は慣れておらなんだのか』
「気をつけなさいよ。モモと故郷が近いからって話をしすぎたのよ」
『うむ』
「僕も、モモちゃん達が話しているのを聞いているうちにそんなものだと思ってた。普通は驚くよね」
グレアムもこっそり桃に耳打ちします。
「遠いなあ」
エリが腕を机の上に投げ出しました。皆が彼女に注目します。
「ぶっちゃけるとさ、基本的に移動魔法で国を超えることはできないんだよ。国境付近の隣国ならいける時もあるけどね。要は魔法境界の内部でしか使えないってことだ。いくら魔法陣があってもそれを越えて移動することはできない。だから、移動魔法で来た可能性はかなり低いんじゃないかな」
「魔法境界だっけ。それについて詳しく教えてくれませんか?」
グレアムが小さく手を上げます。
「私も初めて聞きましたわ。魔法には使える場所と使えない場所があるということかしら? ベラは知ってる?」
「うーん、習ったことはあるはずだけど、よく覚えていなくて」
「まあ、見た方が早いよ。雑に説明しておくと、この範囲の中でしか使えないっていう制限があるんだ。例えばもし魔法境界がこの街を覆うような形であったとしよう。すると街の外に向かって火を放っても境界のところで消えてしまうし、箒に乗って空を飛んでいたら境界に来た時点で墜落する。境界の外の様子を知りたいからって鏡に魔法をかけたところで何も映らない。つまり、街の中から外に向かっては魔法をかけられないって訳」
「ということは」
エルフの説明の後にグレアムが口を開きます。
「もし箒に乗っていたとします。その境界のところにきて飛べなくなってしまったとして、一旦歩いて境界を越えてまた箒に乗り直したらどうなるのかな?」
「そしたらまた飛べるかもね。可能性は低いけど」
「そうなんだ。なんとなく分かった気がする」
グレアムと狐は頷きましたが、フランとベラ、そして桃は首を傾げたまま。ベラが腕を組みます。
「何が起きるのかは分かったわ。どうしてさっき移動魔法で来た可能性が低いと仰ったのかも。でも、どうしてそんなことが起こるの? 魔法境界はどうやってできるのかしら、本当にそれを越えて魔法を使う方法はないのかしら」
脚を空中でぶらつかせていたエリがにやりと口角を上げます。魔法の指南役を引き受けたり、リンに魔法を教えたと公言するだけあって人に物を教えるを楽しんでいる様子。
「面白い質問だね。それは魔法の仕組みにも関わってくるんだよ。けどさあ」
言葉を一旦飲み込んだエルフの顔が曇ります。
「その話をすると、大体が冒涜的だって言い出すんだよね。世の魔術師達はそれが原因で礼拝所の人達と揉めに揉めたらしいし。エルフだからって括られるのは反吐が出るけど、どうも魔法の仕組みを聞いて当たり前って思うのはエリ達エルフの感覚みたい。本当に意味が分かんないけど。それでも聞く? どうする? 聞くよね?」
「聞かないと言ったらどうなさるのかしら?」
「聞いてよお」
「まあ拝聴しますわ。ああ、ベラとグレアムは嫌になったら耳を塞げばよろしくてよ」
「私は大丈夫だと思うわ。その論争については本に載っていたのを少し見たことがあるから。むしろフランが一番心配よ。熱心に礼拝所へ通っているのでしょう?」
「今はサボり気味なの」
「じゃあ話すよ。まずね、君たちというか人間達は一柱の神様が世界を作ったって思っているみたいだけど、そんなのあり得ないから。今でこそ君たちが信仰している神様はそれくらいの力を持っているかもしれないけど。ここで言いたいのは、この世界には神様と呼べるような存在がいくつもいるってこと」
三人は驚きの声を上げます。それはクレア王国の中で生まれ育った人達にとって、常識とも言えるものを根底からひっくり返されるほどの衝撃をもたらしました。グレアムとベラは唖然としたまま固まっていますが、フランは、驚きはしたもののすぐに真顔に戻り、
「そのことが魔法の仕組みとどう関係するのかしら」
と話の続きを促します。桃は狐にこっそり簡単な言葉に直してもらっていても、話の壮大さに目が回りました。
(え、山とか川とか街とか、うちやサムさんとかフランさんとかの人がどうやってできたのかってこと? 全然考えたことあらへん。魔法を使う人って難しいことを考えなあかんのやなあ、大変や。だって、神様は色々いるもんやろ。山の神様だって、川の神様だって、狐さんだって昔は神様やったみたいやし、ブラッドリーにも礼拝所へ行けば神様にお祈りする。それが揉めるようなことなんかな?)
「神様って本質的には妖精とか、天使とか、悪魔と変わらないんだ。力が弱ければ妖精だし、強ければ天使とか悪魔になるし、もっと強ければ神様と呼ばれる。この国の人間達の間では精々天使か悪魔って扱いになるみたいだけど。魔法ってのは平たく言えばそういう精霊たちにお願いごとをしているだけなんだ。呪文だって杖だって薬だって魔法陣だって、結局はお願い事をするための道具。精霊との相性が良ければ何もしなくたって魔法が使えることもあるし、機嫌を損ねれば、魔力があっても、正しく呪文を唱えても何も起きない。彼らにとって魔力はご馳走みたいなものだから、あるに越したことはないんだけどね」
「そうなんですね」
狐に教えて貰いながら、桃は相づちを打ちます。
「で、この世界にはエリ達がいるところと重なりあうように、精霊が住んでいる見えない世界があって、そこにも国みたいなものがあるらしいんだ。見たことないから知らないけど。ほら、国が違うと言葉も服も変わるでしょ。精霊達も一緒で、私達が呪文を唱えても他の国の精霊達は基本的に理解できない。魔法境界ってのは、精霊達の世界の国境みたいなものなんだよ」
そこまでまくし立てたエルフの女性は、お茶をごくごくと飲み干します。桃がお代わりを注ぎました。ベラが立ち上がります。
「凄い……未だかつてないくらい素晴らしいお話でしたわ。学校では絶対に聞けませんもの。エリ様が私に個別授業だなんて……ああ、神よ、感謝いたします。生きてて良かったですわ、黒魔女の会の皆も呼んで聞かせて差し上げたかったですわ」
「話分かってんのかなあ」
感動のあまりに両手を胸の前で組み、目を潤ませながら天を仰ぐベラを前にして、エリは再び腕を机の上に投げ出し、頬をつけました。「疲れた」と言って席を立ち、気になったのかグレアムの父親が働いている工房の方へ向かいます。「良い物持ってるじゃん、筆があるなら貸してよ。その色なんかダサくない? こっちの方が良いって」という声と、「いきなりなんだ。この色以外ありえないだろ」というお父さんの低い怒鳴り声が聞こえてきます。
一方フランは頭を抱えて突っ伏していました。
『あやつは今、眠気と戦っておるぞ。座って話を聞くのを苦手としておるからな』
そしてグレアムはボーッとした様子で首を傾げています。
「僕が空を飛べるのは精霊さんのおかげってこと、だよね。確かに夢のある話だけど」
彼はそもそも見えない精霊がいるということを信じきれていないようです。魔法を勉強しているベラや、幽霊や精霊の類いを見ることができるフランにとっては身近な存在でも、大半の人にとって精霊というのは所詮物語の世界に生きものでしかありません。
魔法を使うことすらできない桃にとってもかつては遠い存在でした。しかしこの街に来て、魔法使いのリンと関わり合っていくうちに様々な怪奇現象を目の当たりにし、そしてフランの秘密を知ったことで、いつしか精霊達はどこかにいるのだと思えるようになっていたのです。
バタバタと足音がします。台所の扉が開いて、ついさっき工房に行ったはずのエリが戻ってきました。
「あんなに怒ることないじゃん」
と独り言をいうと、後ろを向いて
「だから座らないって、ムリムリ。描かれる為に来てないの」
と喚いています。どうやらグレアムのお父さんにちょっかいをかけて喧嘩した上に、モデルを頼まれてしまったようです。滅多に会えない種族なので気になるのも頷けます。
「そんなことよりさあ、魔法結界が気になるなら見に行った方が早いよ。どこに行くにしろ数日はかかるけど、案内してあげる」
「エリ様の課外授業……素敵ですわ。アシュリーも誘っちゃおうかしら」
ベラは未だ恍惚としています。フランも頷きました。
「面白そうじゃない。ところで魔法結界というのはどこにありますの」
「えー、北のほうから南の方までよりどりみどりだよ。近い所なら、南東に行って隣国のドンナ・シュラークに入ったところにあるし、北東方面ならドラゴンの住処があるよ」
「ドラゴンって、あのお姫様をさらっていったりするあのドラゴン?」
グレアムが身を乗り出しました。桃もドラゴンの話は近所の子どもから聞いたことがあったので、とても気になります。
「そうだよ。あの辺にドラゴンと共存する人達の国があって、境界はその中にある。でもぉ、ドラゴンって図体でかいのに偏屈だし、山ばかりで遊べるところが何にも無いからつまんないよ」
エリはそうぼやきますが、人間の若者達の間には伝説の生き物に会えるかもしれないという期待感が漂っていました。そこからはさくさくと話が進みます。
「行くのに数日かかるってことだから一、二週間は見ておいた方がよさそうね」
「多少は学校を休むことになるとしても、行くなら祝福祭(春のお祭り)の時期かしら。フランはそれで大丈夫?」
「ええ、ぜひそうしましょう」
「箒で行くなら申請書を出さないといけないよ」
「お役所に出せばいいのでしょう? ならこの私が出しておこうじゃないの」
フランが胸を張ります。
「助かるわ」
「持ち出す箒の本数を書かなきゃいけないから、まずは誰が行くか確認しないといけないね」
「そうねえ、エリさんはまあ自分で乗るとして私とベラと、グレアム、貴方もいらっしゃるの? 祝福祭の時期は休みでしょう?」
「でも、一週間はあけられないからなあ、どうしよう」
「どうにか調整できないかしら」
「上司に聞いてみないと、何とも」
「仕方無いわね。そこは保留にしておいて、桃は誰かの箒に乗せてもらえばいいわよね」
「あ、モモちゃんは行ってくるといいよ。帰る方法が見つかるかもしれないし、折角の機会なんだから」
「ですが……いつも何かあると休みます」
グレアムはそう言ってくれましたが、桃は行かない方が良さそうだとどこかで思っていました。まず、グレアムと桃がいなくなったら誰が父親の食事を作るのでしょうか。それにサムの部屋の家事もこなさなくてはなりません。貧乏暮らしなので少しでも多くのお金が欲しい上に、空を飛べない魔法も使えない桃は完全に足手まとい。
「仕事のことは気にしないで。いつも綺麗にしてくれているから、数日なら大丈夫。行った方が良いよ」
「ですが、お父さんやサムさんのご飯を作ります。あと、迷惑です、皆さんの」
「迷惑だなんて考えなくて良いのよ、モモ。寂しいじゃない」
フランが桃の肩に手を掛けます。
「そうよ。それに貴方、自分がどうやって来たか知りたくないの? 帰る方法を知りたくないの? 本来使えないはずの魔法が使えた、きっと何かあるはずよ。ママの歯切れが悪かったのもそのせいかも。ね、もし今回の旅で方法が見つからなくてもヒントがあるかもしれないじゃない」
「お父さんの食事のことはどうにかしなきゃいけないけど、数日でかけた位でお金に困るなら私がなんとかして差し上げるわ。歌った時の報酬を分ける位なら誰にも文句を言われませんもの。それに、サムのことだけれど、彼ごと連れていってしまいましょう。そうすれば家事のことなんて気にしなくていいでしょう?」
「そ、そうでしょうか」
困惑する桃にエリもはっぱをかけます。
「たまには息抜きも大事だよ。ずっと同じ街にいると飽きるじゃん?」
「飽きるかは分かりませんが……行きたいです」
「よしっ、そう来なくっちゃ。ところで、サムって、モモと一緒に住んでいる人?」
ガッツポーズをしたままベラが尋ねます。
「そうよ。ひとまずはグレアムも人数に加えておいて、申請書は四本で出すわね。二人位飛べない人がいたって問題ないわ、二人乗りすれば良いんだもの」
「二人乗りできる人が何人いるかによるけど、モモちゃんとサム君を乗せるだけならどうにかなるんじゃないかな。彼を誘うのには賛成。モモちゃんだけを行かせるのは心配だろうから。本人は嫌がりそうだけどね」
「なんだかんだ心配性だもの。それにサム、出かけること自体はきっと好きよ」
「この前は楽しそうでしたよ」
以前フランに誘われて山奥の別荘に泊まったことがあります。そこで温泉に浸かったり植物園に出かけたり、豪華な食事を食べたりしました。男風呂で波乱が起きていたことを知らない桃は、サムが珍しくリラックスしているように見えたのです。
「そうかなあ」
風呂場で散々な目に遭ったグレアムは首を傾げていました。




