心の闇、それすなわち愛(かもしれない)
「やあ、サーシャ」
相変わらずライアンの姿は痛々しい。
いたるところに巻かれた包帯、左目にかけられた眼帯。まるであの話の主人公そのもの。
「こうして会うのは久しぶりだな。すまない、邪竜の手下どもとの応戦で──」
「そういうの、もういいわ」
「……なんだって?」
目を見開くライアンに、サーシャは表情を変えずに口を開く。
「『邪竜滅殺伝』」
その本の名前を口にしても、ライアンは表情を変えなかった。不思議そうに「なんだ、それ?」なんて惚ける。
「今、市井の子どもたちに大人気なんですって。ライアンはご存知ない?」
「知らないけど……どういう話なんだ?」
「邪竜を封印した勇者が転生し、復活した邪竜を倒すお話なのだけど……おかしいわ。わたし、この話を最近どこかで聞いた気がするのだけど」
「へえ、それは偶然だな。オレの話に瓜二つじゃないか。もしかしたらそれを書いた作者も、オレと同じで前世の記憶があるのかも」
あくまでもライアンはしらを切るつもりのようだ。
ならば、わたしにも考えがある。
「……ライアン、このお話の主人公の言動、あなたにそっくりだわ。もしあなたの言う通り、このお話を書いた作者にあなたと同じように前世の記憶があって、それを元にこのお話を書いたのだとしたら──あなたのその包帯の下がどうなっているのか、見せてちょうだい」
「だから、これは呪いの痣と、邪竜の手下どもとの戦いでできた傷が……!」
「『邪竜滅殺伝』では、呪い痣を見てもそれが誰かに移ることはなかったし、聖痕も同じだったわ。それとも……わたしが見るとなにか不都合なことでもあるの?」
「それは……」
物語とでは違うし……ともごもごと言うライアンに一歩近づく。
「ちゃんとした理由があるのなら、はっきり言って!」
「サーシャ……もしかして、怒ってる?」
怒ってる? そんなの言われるまでもない。
「怒っているに決まっているでしょう!」
そう言って、ライアンの包帯の巻かれた手首をぎゅっと握ると、彼は微かに呻き声をあげて苦悶の表情を浮かべた。
──やっぱり。わたしの想像通りだった。
「どうして……どうしてこんなお芝居までして隠そうとするの……? 全部、怪我を隠すための演技なんでしょう?」
「……」
ライアンは困った顔をしてわたしを見つめる。
たかたが小娘一人が手首を掴んだだけでこの痛がりよう。相当手酷くやられたに違いない。
本当はこうしているのもライアンにとっては辛いのかもしれない。
ライアンが怪我をしていることは、城に勤めるメイドや医師の証言から知っていた。
だけど、まさか掴むだけでこんなに痛そうにするほど酷いとは思わかなった。
「……バレちゃったかぁ」
ライアンはそう言って肩を落とした。
そして、諦めたように笑う。
「我ながらいい演技ができていると思ってたんだけど、なんでわかった?」
「いきなり過ぎるのよ。頭を打ったのをいい機会だと思ったのでしょうけれど、四年間あなたと一緒にいたわたしの目は欺けないわ」
「そっか……そうだよなあ。一番サーシャといる時間が長いもんな」
納得したように頷くライアンに再び問う。
「どうしてこんなことをしたの?」
「……このままだと、サーシャと結婚することになるだろ?」
「え?」
意外なライアンの言葉に目を瞬かせる。
それはつまり……わたしとの結婚が嫌だから、こんなことをしたってこと?
そんなわたしの疑問が顔に出ていたのか、ライアンは苦笑した。
「勘違いするなよ、別にサーシャと結婚することが嫌なわけじゃない。だけど……オレと結婚すると、君が困ることになるから」
「はい……?」
どういうことだろう?
ライアンと結婚するとわたしが困る? なぜ?
「……ある人に言われたんだよ。このままオレが公爵家を継ぐと、サーシャが不幸な目に遭うって」
「……」
なぜライアンが公爵家を継ぐとわたしが不幸な目に遭うのだろう?
なにか嫌がらせを受けるとか? それくらいは公爵家の一員として覚悟はしているし、多少の嫌がらせ程度、軽くいなせなくては社交界ではやっていけない。
それか──公爵家に準ずるもしくはそれ以上の権威がある誰かに狙われる、とか?
それもありえない話ではない。誰かを蹴落とし、踏み台にすることなど、貴族の間ではよくあること。
しかし、我が公爵家は遠くなったとはいえ王家の血を汲む家。それ以上に権威のある家や人など、限られてくる。
「……ジャレッド様に脅されたのね」
ライアンはわたしの台詞に頷くことなく、話し始める。
「サーシャとの婚約が解消されてもオレならなんとかなる。もともと市井で暮らしていたし、今までもらった服とか装飾品とかを売ればしばらくは生活にも困らない。なんとかなるから、大丈夫」
だから婚約を解消しようと、ライアンは諦めた笑みを浮かべて言う。
そんな彼にわたしは──心の底から、腹を立てた。
「市井に降りたらまずは仕事探さないとな。王子サマなんてならせてもらったお陰でいろいろ勉強できたし、仕事には困らな──」
ライアンが台詞をいい切る前に、わたしはライアンの胸元に掴みかかった。
「──いい加減になさいよ、さっきから黙って聞いていれば勝手なことばかり言って……!」
「サ、サーシャ……?」
「腹が立つの、そういうの。自分だけが犠牲になればなんとかなるって勝手に諦めて。ふざけんじゃねえよ!」
貴族としてはありえない言葉遣い。『邪竜滅殺伝』に出てきた台詞で、ちょっと言ってみたいなと思っていたものを使う機会がこんなところであるなんて!
「そもそも、やられっぱなしで悔しくないの? こんなわたし程度の小娘の力で呻くくらい痛めつけられたのでしょう? やられたら、やり返しなさいって何度も言っているでしょう!」
「で、でも……」
「でもじゃない! 相手が誰あろうと、受けた屈辱は倍にして返す。それが我が公爵家の家訓よ、覚えているでしょう?」
「それは……覚えているけど……」
「ならやりなさい! わたしもお父様もそのために使っていいのよ!」
「いや、それはどうだろう……」
「いいの! あぁっ、もう! どうしてもっと早くわたしに言わないのよ! こんな……こんなふうになるまで、我慢なんてする必要ないのに……」
左目の眼帯を外すと、綺麗な紫色の瞳が見えるはずなのに、その目は半分も開かれていなかった。
瞼は腫れ、痛々しい大きな痣ができていた。
──なんて、酷い。
「こんなこと、王子にしていいはずないでしょう……」
「サーシャ……ごめん」
「ごめんで済まされることじゃないわ……」
ライアンが耐えてきた痛みを思うと、涙が出てきた。
ライアンはずっとこれに耐えるつもりだったのだろうか。わたしとの婚約が解消されるまでずっと?
「あなたは馬鹿よ……どうしてそこまでできるの」
「オレは……サーシャに幸せになってほしいんだよ。オレと結婚することでサーシャが不幸になるって言うのなら喜んで身を引くし、オレが耐えることでサーシャが幸せになれるなら、痛みにだって耐えてみせる」
「だから、どうしてわたしなんかのために……?」
わからない。わたしはライアンにそこまでしてもらえるようなことなんて、なにもしていない。
むしろ、自由にのびのびと市井で生きていた彼を、王族というがんじ絡めになった鳥籠に押し込めて自由を奪った張本人なのに。
「……オレはサーシャに救われているんだ。王子になんて突然なって戸惑っていたオレに、普通の友達みたいに接してくれた。それでどれだけオレが救われたか……きっとサーシャにはわからない。サーシャはオレのたった一人の、大切なお姫様なんだよ」
「わたしは……」
そんなふうにライアンに思ってもらえる資格はない。
「オレ、サーシャと城下を歩くのが好きだった。貴族とか偉い人たちは、城下に住む庶民の暮らしなんて興味ないし、知ろうともしない。でも、サーシャは知りたいって、城下を楽しそうに歩いてくれた。それがオレはすごく嬉しかったんだ」
わたしも、ライアンと城下を歩くのが好きだった。
得意そうに城下のことを話すライアンの笑顔、城下の人たちと王子になっても親しげに話しかけるライアンと、それに嬉しそうに対応する城下の人たち。
それを見ているのが好きだった。一人で眺めているわたしをライアンが見つけて、輪に入れてくれたことも嬉しかった。
「サーシャには笑っていてほしい。たとえ隣に、オレがいなくても」
そう言ったライアンの声音は穏やかだった。
少し寂しそうな表情をしながら、笑っていた。
わたしはすっと大きく息を吸って目を閉じる。
そして──カッと目を開いた。
「……うるさい」
「え……?」
「うるさいって言っているの。どこで笑うかなんて、わたしが決める。わたしは笑いたいときに笑うし、笑いたくなければ笑わない」
「い、いや、そういうことを言ってるんじゃなくて……」
「うるさい!」
淑女としてどうかと思うくらい声を荒らげ、ライアンにぐっと顔を近づけた。
「あなたは黙ってわたしたちに守られていればいいの! わかった!?」
キッとライアンを睨む。
これも『邪竜滅殺伝』に描かれていたことだ。意外と役に立つ本だった。
ライアンはわたしの勢いに押されたのか、力なく「は、はい……」と頷いた。
ライアンの胸ぐらから手を離すと、彼はヘナヘナと座り込む。
そんなライアンを一瞥し、ニコリと笑う。
わたしのその笑みを見て、なぜかライアンの顔が青ざめた。
「よくもわたしのライアンを酷い目に遭わせてくれたわね……目に物をくれてやるわ……!」
「サ、サーシャ……なんか性格変わってない……?」
ギラギラと闘志に燃えるわたしに、ライアンの呟きは届かなかった。




