■第十五話■ もう一つの力の覚醒
「蓮太郎……」
最早、体にまともに力を入れる事も出来ない。
そんな零は、自身を抱きかかえる蓮太郎を見上げ、呻くように呟く。
「ごめんなさい、私……」
「無事ならいい」
零を一瞥し、蓮太郎は微笑む。
そして視線を鋭くし、眼前を見上げた。
「まず、こいつだ」
見上げた先――【魔界】の触手植物、ヒュドラが蓮太郎に狙いを定めている。
判断、及び行動は迅速だった。
蓮太郎は、即座にヒュドラに向けて手を翳す。
その掌に、熱が生まれた。
《神波》を駆使しての、【アサシン】の戦闘技術――《遁術》。
《火遁》だ。
生み出された火の玉が、ヒュドラ目掛けて放たれる。
が、しかし。
「QUOOOO!」
牙の隙間から甲高い咆哮を上げ、ヒュドラが一本の触手を振るう。
火球はその触手に命中するが――燃え移り、一気に火達磨に、とはならなかった。
表面を覆う粘液で弾かれるのか、まず着火しない。
鞭を振るうように軽く揺すって、燻りさえ掻き消される。
「炎が……」
「駄目……この植物に、炎は効かない」
火炎を放ったと同時にその場から壁際へと離脱。
そして零を安静な状態にするため、座らせたところで、その光景を見て二人は呟いた。
「図書館の……本で、読んだ……この植物は……」
零の言葉を待たず、ヒュドラは蓮太郎目掛けて触手を伸ばす。
その先端に鉤爪を生やした触手で、全身を貫かんと攻撃を仕掛けて来る。
「伏せろ」
瞬間、冷気が駆ける。
蓮太郎に向かっていた触手の群れが、霜に包まれ凍結した。
鬼寺だ。
自身の《刃》を発動し、触手を凍らせたのだ。
「黛はどこだ」
油断無く構えを取りながら、冷静に問う鬼寺。
「黛は……捕食されました……自身が召喚した、この【魔界】の植物に」
零が答える。
「なるほど。ターゲットの捕獲は不可能となったわけか。ならば、まずこの怪物を斃すことが先決だ」
鬼寺の視線が、蓮太郎へと向けられる。
蓮太郎もその視線に答えるように頷くと、迅速に行動を開始した。
鬼寺によって凍らされた触手は、動きを封じられている。
変色し、萎れているように見えることから、既に壊死が始まっているようだ。
この植物、炎には強いが、冷気には弱いと見る。
触手を凍らせ動きを封じ、最終的に腐らせることができると知れたのは、僥倖。
攻撃手段が見付かった、これなら行ける。
「ふっ!」
蓮太郎は己の《刃》を召喚し、しかと握りしめる。
そして、鬼寺へと攻撃を開始したヒュドラへと、自身も飛び掛かる。
「はぁっ!」
交差の一瞬、数本の触手を切断。
絶叫を上げるヒュドラを振り返り、油断なく構えを取る。
「……行ける」
このまま攻撃を続ければ、倒せる。
しかし、それは蓮太郎の早計だった。
「QU……AAAAAAAAAAAA!」
「……っ!」
目前、予想だにしない現象が起こった。
ヒュドラが、自身の凍り付いた触手を纏めて束ねるように動かすと――それをまた、別の触手群を束ねて作った注連縄のような触手で掴む。
そして、自身の片腕でもう片腕をもぎ取るように、一気に引き千切ったのだ。「な……!」
凍結した体の一部を投げ捨てるヒュドラ。
刹那、その触手の断面が蠢いたと思うと、失われたはずの触手の先端が生え出した。
再生したのだ。
蓮太郎は動揺する。
一瞬前に自身の抱いた希望を、容易く打ち砕く光景に。
「天見!」
そして、その隙を突くように、ヒュドラは束ねた触手を蓮太郎へと放った。
「!」
逸早く気付いた鬼寺の声に反応し、寸前、地面を蹴っていたのは、後々考えたら不幸中の幸いだったかもしれない。
空中に浮いた蓮太郎の胴に、触手の重い一撃が食らわされる。
「がッ、あ!」
吹っ飛び、壁に叩き付けられる蓮太郎。
「かは……」
ずり落ち、地面に膝から落ち、そのまま倒れ伏した。
「天見!」
地面へと倒れた蓮太郎に、鬼寺が叫ぶ。
「……ちっ、朽木!」
蓮太郎が立ち上がらない様を見て、瞬時に朽木へと矛先を変える。
だが、零も零で、床に伏せ、微弱に身を痙攣させている様子だ。
「く……」
鬼寺は、装束の首巻で口元を覆っている。
ゆえに効果が出るのが遅れてはいるが、それでもわかる。
この甘い匂い、ヒュドラの発するこの匂いは、身体を麻痺させる毒である。
先程から徐々にだが、動きの速度や反応速度が落ちてきている事から推測できた。
「まずい……」
鬼寺はヒュドラの振るう触手の攻撃を避けながら、何とかこちらからも反撃を加えようとする。
しかし、自陣がたった一人では防戦一方。
攻撃のタイミングも掴めない。
ジリ貧である。
「………」
撤退が、頭を過る。
この状況、あまりにも不利な状況だ。
撤退し、体勢を立て直す……そもそもターゲットが死亡したとなれば、この任務は終了しているようなものだ。
問題は、この怪物を野放しにするわけにはいかないという、別件となる。
ならば、撤退は何の不都合でも無い。
だが……問題は、天見蓮太郎、朽木零、そして空蝉時雨の存在だ。
二人は戦闘不能、一人は行方不明。
場合によっては……彼らを見捨てる形となる。
「………」
鬼寺は決して、情に絆される様な人間ではない。
だからこそ、冷静に見極める。
撤退か、継続か。
救える可能性を追うか、見捨てるしかないか……。
――一方。
「ぐ……」
蓮太郎は、殴打を受けた腹部を押さえながら、身を起こそうとしていた。
唸り声を上げ、体に力を込める。
鈍痛と痺れが胴体を席巻し、動作を鈍らせる。
「くそ……」
駄目だ、強すぎる。
生物としての規格が、桁違いだ。
せめて……全体を一瞬で氷結できたなら……。
「……ここで、終わるのか」
【アサシン】として。
任務のリーダーとして。
何も成せぬまま、誰も救えぬまま、消えるのか……。
目の前に落ちた、自身の《刃》を見る。
いや……。
同じように地に伏している、零の姿を見る。
必死に敵へと立ち向かう、鬼寺の姿を見る。
自分は指揮官だ。
ここで倒れ、仲間を見殺しにするわけにはいかない。
こんなところで――。
「終わって、たまるか!」
左手で伸ばし、《刃》を握る。
自身の意気地を鼓舞する。
立ち上がれ――立ち上がれ!
そして、戦え!
――その瞬間、蓮太郎の左目に紫電のような痛みが走った。
「がっ!」
いつぞやかにも味わった覚えのある、この痛烈な痛み。
腹の底で、頭の奥で、心臓の中心で、発生する何かが壊れる音。
自身の中の何かが、確実に破裂した感覚。
まさか――。
その蓮太郎の思惑を肯定するように、彼の視界の中――左目で見た視界の中。
自身の握る《刃》……日本刀の刀身が、〝漆黒〟に染まっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
触手の一閃が、鬼寺の右肩に命中を果たした。
「ぐっ!」
遂に――攻撃を受けてしまった。
迂闊――そして、判断を見誤った。
撤退を最優先の選択肢に考えておきながら、まさか最後まで抵抗する道を選んでしまうとは。
……よもや、若い【アサシン】達に対して、少なからず情が動いてしまったのか。
未熟だった。
膝を落とした鬼寺へと、ヒュドラは触手を鞭のように撓らせ、渾身の一撃を叩き込もうとする――。
鬼寺の前に、蓮太郎が立った。
「ッ! 天見――」
名を呼ぼうとした鬼寺の喉が、そこで止まった。
振り向いた蓮太郎の目――その〝左目〟に、異変が起こっていた。
黒色だ。
白目は黒く染まり、黒目は紅く輝いている。
眼光は迸り、黒い雷のような電光を発生させている。
この目は――まるで――。
「立てますか?」
蓮太郎が言う。
言いながら、その〝左手〟に握った自身の《刃》――日本刀を振り上げる。
刀身が漆黒の一色に染まった、日本刀を。
「何を――」
と、言う暇も無かった。
――振り下ろされた刃が、鬼寺の体を切り付けたのだ。
「……!」
いきなりの蓮太郎の凶行に、鬼寺は反応できず――ただただ驚愕するしかなかった。
この状況で錯乱したのか。
一瞬、そう思った。
だが――不思議な事が起こった。
「……傷が」
切り付けられたはずの鬼寺の体には、全く傷が無いのだ。
まるで刃が、鬼寺の体を擦り抜けたかのように。
「立てるようであれば――協力をお願いします」
鬼寺へと振るった刃を、左手で持ったまま、蓮太郎はヒュドラへと向き直る。
そして、空いている方の右掌を、ヒュドラに向かって翳した。
「ここが、正念場です。奴を、倒すための」
瞬間、だった。
――蓮太郎の翳した掌から、冷気が迸った。
「!」
これは――鬼寺の《刃》。
冷気を生み出し対象を凍結させる《刃》――《鬼颪》。
鬼寺へと振り下ろされようとしていた触手が凍り付き、ヒュドラは絶叫を上げる。
そう、蓮太郎が、鬼寺の《刃》を使用したのだ。
「お前……」
鬼寺は、理解した。
蓮太郎の漆黒に染まった左目、漆黒に染まった《刃》。
そして、起こった現象は、そう納得させるに申し分無かった。
「もう一つの力が、目覚めたのか」
「………」
「巳義家と対を成す、龍堂家に伝わる、もう一つの原初の【アサシン】の《刃》……《月蝕眼》。〝見た相手の《刃》をコピーする〟という能力……それが」
「立てるのですか? 立てないのですか?」
語る鬼寺に対し、蓮太郎は端的に言い放つ。
「無駄口を喋っている場合ではないのは、貴方だってわかっているはずです」
「………」
先程までの彼からは想像できない、酷薄で無機質な物言い。
能力の覚醒に伴い……人格にも影響が出ているのか?
《天道眼》の白い《刃》を発現した際には、正義感が強いながらも強かで柔和な印象を受けた。
それに対し、《月蝕眼》が目覚めた今は……。
「……まるで、光と闇……実際の巳義家と龍堂家のようだ……」
「鬼寺さん」
「わかっている。今はお前が指揮官だ。お前の言葉には従う」
鬼寺は立ち上がる。
勝機は見えた。
ならばここが、蓮太郎の言う通り正念場で間違いない。
「行きます。何をするべきかは、わかっているはずです」
「ああ」
言うが早いか、蓮太郎の体がその場から消えた。
彼はまっすぐ、ヒュドラに向けて飛び掛かったのだ。
「QUOOOOOOOOO!」
襲来する蓮太郎に向けて、ヒュドラの触手の群れが無尽蔵の波状攻撃を仕掛けてくる。
だが――。
「……――」
蓮太郎は、その攻撃の波を、回避している。
迫り来る触手を、時には足場にし、時には皮一枚で躱す。
普段の鍛錬で培った身体能力……だけではない。
まるで、襲い来る触手達……空間に蠢くすべての触手の位置が、わかっているかのような動作だ。
「……蓮、太郎」
その光景を、横たわった零が見上げて呟く。
零には、彼が何故、敵の攻撃を軽やかに避け切れているのか、その理由がわかっていた。
先刻、あの漆黒の《刃》で、零もまた切り付けられていたのだ。
切った相手の《刃》をコピーする力。
それにより今、蓮太郎は《聲崩》を使っている。
風の声を聴き、触手の動きを把握し、攻撃を回避しているのだ。
「――シッ」
躱し、邪魔な触手は切り落とし、そして蓮太郎は、触手の群れを抜けて、先程までいた地点とは反対側にまで駆け抜ける。
即ち、鬼寺と逆の位置取りに。
「鬼寺さん」
「おお!」
そして、それを合図に、二人が同時に《鬼颪》を発動した。
両サイドから放たれた、渾身の冷気が、ヒュドラの全容を挟み撃ちにする。
「QUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
ヒュドラが絶叫を上げるが、その口もまた凍結されていく。
霜に包まれ、ヒュドラの全身が氷漬けとなった。
「ぐ……」
力を使い果たし、鬼寺は膝を折る。
「か、勝った?」
零が呟く。
だが……。
「いや……〝足りない〟」
すぐさま状況を冷静に把握し、そう歯噛みした。
そう、ヒュドラは氷漬けにし切れていない。
鬼寺に比べて、薄血の蓮太郎の《神波》は、そこまでの容量が無い……それが、一因だった。
「QU……OO……」
身動きは封じられているが、徐々に、ヒュドラは体を動かし始めている。
凍った部位が徐々に溶け、壊死した部位や凍ったままの部位は切り落とし、また再生する。
それで、元通りだ。
倒し、切れなかった。
「いや、これでいい」
――その中、蓮太郎が地面を蹴って、ヒュドラに突貫する。
先刻、零に聞いた。
この植物の特性をある程度把握している零に、弱点はないのかと。
ヒュドラには核……心臓がある。
しかし、その部位は個体によって様々で、外部からは把握し辛い。
だが先程、《聲崩》をコピーし、触手の動きを把握してわかった。
明らかに、触手が密集し守ろうとしている場所があったのだ。
「その場所こそ――この植物の、核」
蓮太郎は到達する。
身動きを封じられ、守る術の無いヒュドラの本体。
巨大な口が開く、茎の下部の、ある地点。
氷漬けとなり破壊がたやすくなったその場所に、《刃》を振るう。
砕け散る肉片の中から――脈打つ奇妙な塊が露わとなった。
「終わりだ」
蓮太郎は、その部位を、容赦無く《刃》の切っ先で貫く。
――氷漬けとなったヒュドラが絶叫を上げ、そしてやがて動かなくなるまで、時間は要さなかった。
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