第9話 水路(前)
「おはようございます、接続者さまー!」
スマホの画面いっぱいに、アミちゃんの笑顔が広がった。
今日も元気そうで何よりである。
ログインボーナスを受け取り、適当にゲームを進めた。画面の中では、アミちゃんが派手なエフェクトを撒き散らしながら敵を倒していた。
その様子を眺めながら、枕元の時計に目をやる。
……まずい。思ったより時間がない。
今日は土曜日だが、学校がある。文化祭なのだ。
そういえば昨日のホームルームで、実行委員が長々と注意事項を説明していた気がする。一般客の受付がどうとか、飲食物の取り扱いがどうとか、校内での撮影がどうとか。正直、ほとんど覚えていない。とりあえず、遅刻さえしなければ大丈夫なはずだ。
僕は名残惜しくもないゲームを切り上げ、ベッドから起き上がった。机の上では、アクリルスタンドのアミちゃんがいつもの笑顔を浮かべている。それを一瞥して、制服に着替え始めた。
文化祭だからといって、特別な準備があるわけではない。
僕の担当は呼び込みだ。教室の外で適当に客を案内するだけの、実に簡単な仕事である。執事服を着る必要もなければ、注文の品を運ぶ必要もない。我ながら、悪くない役を引き受けたと思う。
もっとも、呼び込みなど本当に必要なのかは疑問だった。わざわざ文化祭に来るような人間は、ほっといても勝手に校内を歩き回るだろう。喫茶店に入りたければ入るし、入りたくなければ入らない。廊下で声を張り上げたところで、どれほどの効果があるのだろうか。
まあ、僕が心配することではない。
決められた仕事を、決められた時間だけやればいい。それで十分だ。
電車に揺られていると、同じ学校の女子が三人乗ってきた。
「昨日、結局何時まで残ったの?」
「七時くらいかな」
「えー、そんなに? 私たち六時には帰ったよ」
「だって飾り付け終わんなかったんだもん」
「でも、めっちゃいい感じになったよね!」
三人が笑う。朝から元気なことだ。たかだか一日の行事なのに、ずいぶんと張り切っている。
まあ、昨日までのうちのクラスも似たようなものだったけど。黒い画用紙を広げてメニューを作ったり、机の配置を何度も変えたり、窓に折り紙を貼り付けたり。
あれだけ大騒ぎして、結局やることは飲み物と菓子を売るだけなのだから、何とも大げさな話である。
僕は吊り革につかまりながら、窓の外を眺めた。空はよく晴れていた。
雨が降れば屋外の出し物は中止になるらしいが、少なくとも、今日の文化祭は予定どおり始まりそうだった。
学校へ続く道は、普段とは少し様子が違っていた。
校門の前には大きな看板が立てられ、色とりどりの飾りが風に揺れている。正門の脇では、実行委員らしい生徒たちが受付の準備を進めていた。
まだ一般客の入場時間前のはずだが、校内はすでにずいぶん賑やかだ。
どこかのクラスが慌ただしく机を運んでいる。別の生徒たちは模造紙に描いた看板を壁へ貼り付け、廊下の向こうからは何かを落としたらしい大きな音と、それに続く笑い声が聞こえてきた。
僕は上履きに履き替え、二年三組の教室へ向かった。
二階の廊下に出ると、教室の前にはすでに何人もの生徒が集まっていた。
壁には手作りの案内板が貼られ、入口の上には大きな文字で『メイド&執事カフェ』と書かれている。
僕は教室の中へ足を踏み入れた。
教室の中は、昨日までとはすっかり様変わりしていた。
机は二つずつ向かい合わせに並べられ、その上には白いテーブルクロスが掛けられている。窓には色とりどりの折り紙が貼られ、黒板にはチョークで大きく店の名前が書かれていた。
壁には見覚えのあるメニュー表も貼られている。昨日、僕たちが作っていたやつだ。こうしてほかの飾りと一緒に並べてみると、案外悪くない出来に見えた。
「お、佐藤。おはよ」
声をかけられて振り向くと、宮田がいた。
「おはよう」
「結構それっぽくなってるっしょ」
宮田は教室をぐるりと見回した。
「まあ、そうだね」
「昨日、最後の方すごかったんだよ。みんな帰る時間になっても準備が終わらなくてさ」
「へえ」
「でも、何とか間に合ってよかった」
そう言って、宮田は満足そうに笑った。
僕はもう一度、教室を見渡した。
確かに、これだけのものを用意するのは大変だっただろう。僕は昨日、ある程度のところで帰ってしまったから分からなかったが、みんなはいつまでやっていたのだろうか。僕以外の全員で前夜祭とかもやっていたのだろうか。まあ、別にいいけど。
「あ、宮田! ちょっとこっち手伝って!」
教室の奥から呼ばれて、宮田が顔を上げる。
「了解。じゃ、またあとで」
「うん」
宮田は小走りで教室の奥へ向かっていった。
僕は何をしようか。呼び込みの担当ではあるが、一般客の入場まではまだ時間がある。かといって、ほかに何か手伝えることがあるのかも分からなかった。
周囲では、メイド服や執事服を着た生徒たちが忙しそうに動き回っていた。注文の取り方を確認している者もいれば、飲み物の置き場所を相談している者もいる。
普段は見慣れた顔ばかりのはずなのに、服装が違うだけで妙に落ち着かない。特に、女子のメイド服は目のやり場に困る。別に、見てはいけないものというわけでもないのだが。
「佐藤くん、呼び込みだよね?」
不意に声をかけられて振り向くと、実行委員の女子が紙の束を抱えて立っていた。
「あ、うん」
「これ、呼び込みのとき使って。お店の案内が書いてあるから」
差し出されたのは、小さなチラシだった。
「廊下で配ればいいの?」
「うん。あと、入口のところでお客さんに声かけてもらえると助かる。混んできたら、中の人に確認してから案内してね」
「分かった」
「よろしくね」
実行委員はそう言うと、また別の生徒のところへ向かっていった。
僕は手元のチラシに目を落とした。なるほど。呼び込みというのは、ただ立っていればいいというわけでもないらしい。とはいえ、難しい仕事ではなさそうだ。
その後も教室では、椅子の位置を直したり、備品を並べたりと細かい準備が続いていた。僕も頼まれて、入口の近くに椅子を運んだ。
そうこうしているうちに、開場の時間が近づいてきた。
「そろそろじゃない?」
「準備できてる?」
あちこちから声が上がる。
実行委員が入口の扉を大きく開けた。
僕はチラシを手に、廊下へ出る。
さて。何と言って声をかければいいのだろう。
「いらっしゃいませー。二年三組、メイド&執事カフェやってまーす」
とりあえず、そんなことを言ってみた。自分でも驚くほど抑揚のない声だったが、別に間違ったことは言っていないはずだ。もっとも、僕が声を張り上げる必要など、最初からなかったのかもしれない。
開店早々、教室の前には次々と人が集まってきた。
「ねえ、おむすびさんってここにいるの?」
「メイド服着て接客してくれるんですか?」
案の定、彼女目当ての客ばかりだった。
こうなることは事前に予想されていたらしく、混乱を避けるため、水尾さんには特別な役割が与えられていた。
教室の一角に立って、客に手を振る。以上である。
しかも、両脇にはクラスメイトでもないガタイのいい男子が二人、サングラスをかけて腕を組みながら、ボディーガードよろしく控えている。いったいどこから連れてきたのだろうか。
あれらをおかずにしてスイーツを食えと?
ちなみに、水尾さんだけはほかの生徒と違い、自前の高そうな特注メイド服を着ていた。
滅茶苦茶可愛い。
「おむすびさん、写真撮ってもいいですか?」
「すみません、撮影はご遠慮ください」
僕が答えると、客は少し残念そうな顔をした。別に、僕が決めたルールではない。
それでも客足は途絶えず、教室の中はあっという間に賑やかになっていった。
「二年三組、メイド&執事カフェです。よかったらどうぞ」
僕は相変わらず、通りかかる人に声をかけていた。別に楽しい仕事ではない。しかし、かといって苦痛というほどでもなかった。
人が少し減ったところで、何気なく教室の中を覗いてみる。
メイド服を着た女子たちが注文を取り、執事服の男子たちが飲み物を運んでいる。水尾さんは、明らかな営業スマイルで手を振っていた。
あちこちから笑い声が聞こえる。普段の教室とは、まるで違う場所のようだった。
その中に、見覚えのある三人がいた。田野と久我と宮田である。
三人とも執事役をやっていることは知っていたが、実際にその格好を見るのは初めてだった。
田野は背筋を妙に伸ばしてトレーを持ち、久我はぎこちない手つきで客に飲み物を差し出している。宮田に至っては、何がおかしいのか、客と一緒になって笑っている。
正直、誰一人として執事服が似合っていない。三人揃って、どうしようもなく冴えない。僕がやった方がマシだ。たぶん。
でも、なんだろう。三人はなんだか楽しそうだった。
客に何か言われて久我があたふたすると、宮田が横から口を挟み、田野まで笑い出す。
まったく、何をやっているんだ。馬鹿じゃないのか。
僕はチラシの束を持ち直した。
別に、あの三人が羨ましいわけではない。執事服なんて着たくもないし、あんなふうに人前で愛想を振りまくのも御免である。そもそも、僕が呼び込みを引き受けたのは、そういう面倒な仕事を避けるためだ。
だから、これでいい。
「すみません」
声をかけられて、顔を上げた。入口の前に、二人連れの客が立っている。
「あの、まだ入れますか?」
「あ、はい。少々お待ちください」
僕は教室の中を覗き、近くにいた接客担当の生徒に声をかけた。空いている席を確認してもらう。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
二人は軽く頭を下げ、教室へ入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、僕は再び廊下に向き直る。手元には、まだチラシが何枚も残っていた。
教室の中からは、相変わらず笑い声が聞こえている。
僕はもう一度、声を張った。
「いらっしゃいませー。二年三組、メイド&執事カフェやってまーす」
「佐藤くん、そろそろ交代でいいよ」
声をかけられて時計を見ると、いつの間にか昼を過ぎていた。
「あ、分かった」
僕は残ったチラシを実行委員に渡した。
「お疲れさま」
「ああ、うん」
……さて、どうしたものか。一人で文化祭を回るのも何だかなあ。かといって、教室に残っていても仕方がない。
とりあえず、どこか行ってみるか。
特に行きたいところもないので、適当に廊下を歩く。さっきまでは通りかかる客に声をかけていたが、今はそんな必要もない。
そういえば、昼飯を食っていなかった。
何か食べようかとも思ったが、別に今すぐでなくてもいい。どうせ模擬店はいくらでもあるだろうし。
そんなことを考えているうちに、渡り廊下のところまで来ていた。
『フリーマーケット開催中!』
……そうか、この手もあったのか。家からガラクタを持ってくるだけで済むから楽だし、頭がいい奴もいたもんだ。
まあ、別に欲しいものがあるわけではないが、見るだけならタダだ。入ってみるか。
教室に入ると、机の上には文房具やぬいぐるみ、古本などが所狭しと並べられていた。よく分からない置物に、やけに立派な花瓶まである。
文化祭で花瓶を買う人間がいるのだろうか。
奥の方には漫画やゲーム関係のものも並んでいた。ちょっと覗いてみる。
古いゲームの攻略本に、見覚えのあるアニメのキーホルダー。それから、何年か前に流行った作品のフィギュアが一体。
値札には五百円と書かれていた。安い、のか?
箱はないし、台座には細かい傷がついている。そもそも僕はその作品を途中までしか見ていない。欲しいかと言われれば、別に欲しくない。なのに、しばらく眺めてしまった。
「それ、気になります?」
売り子の男子に声をかけられた。
「あ、いや。ちょっと見てただけっす」
「たぶん安いですよ、それ」
「……そうっすね」
なんだこいつは。文化祭の売り子のくせに、服屋の店員みたいなことをやりやがって。そういうことをされると、僕みたいな人間はかえって買いにくくなるというのに。
僕は曖昧に頷いて、そそくさとその場から逃亡する。
しかし、危なかった。あいつがいなかったら買ってしまったかもしれない。別に五百円くらい惜しくはないが、買ってどうするのだ。部屋に飾るならアミちゃんだけで十分である。アミちゃんラブ。
さて、今度こそ何か食べよう。
中庭ではいくつもの模擬店が出ていた。焼きそば、たこ焼き、フランクフルト。どこもそれなりに人が並んでいる。
僕は比較的列の短い焼きそば屋に並んだ。
「焼きそば一つください」
「はい、三百円です!」
紙の容器に盛られた焼きそばを受け取り、近くのベンチに腰を下ろす。
しかし、学生の作ったものなんて食って平気なのだろうか。あいつら全員素人だろ。そういえば、食品を扱っている奴らって検便を出したんだよな。僕は呼び込みだけだから出さなかったけど。
うげ……食事の前に何を考えているんだ、僕は。
まあいいや。いただきます。
……あれ、うまい。
いや、普通の焼きそばである。特別な具材が入っているわけでもないし、麺が妙に柔らかい。中学の給食で出た焼きそばも、こんな感じだった気がする。それでも、こういう場所で食べると、なぜか美味く感じるものらしい。
いつもの癖で、アミちゃんに会いに行こうとスマホを取り出しかけて、やめる。まあ、焼きそばくらいゆっくり食うか。時間はまだまだあるし。
それから校舎へ戻り、三年生の教室が並ぶ階をぶらぶら歩いていると、廊下の先に妙な看板が見えた。
『三年一組 CASINO』
カジノ? 高校の文化祭で?
入口には黒いベストを着た男子が立っていた。三年生だからだろうか、妙に大人っぽく見える。
「いらっしゃいませ! 入場料三百円で遊び放題ですよ!」
三百円か。
「な、何ができるんですか?」
「ブラックジャックとルーレットです!」
「へえ」
まあ、三百円くらいならいいか。僕は財布から百円玉を三枚取り出した。
教室の中は、思ったより本格的だった。窓には黒い布が掛けられ、机には緑色のシートが敷かれている。どこから調達したのか、ディーラーらしい格好をした生徒までいた。随分と気合が入っている。
「こちらへどうぞ」
案内された席に座る。
「ブラックジャックのルールはご存じですか?」
「まあ、はい」
カードの合計を二十一に近づければいい。さすがにそれくらいは知っている。最初に配られたカードは、七と九。十六か。微妙だな。
「どうされますか?」
「……もう一枚」
配られたのは八だった。二十四。
「バーストですね」
「はい」
終了である。あまりにもあっけなかった。
「もう一回やります?」
「……お願いします」
せっかく三百円も払ったのだ。一回で終わるのはもったいない。今度こそ勝つ。
二回目は十八で止めた。ディーラーは十九だった。
いや、おかしいだろ。
「もう一回」
「かしこまりました!」
三回目。今度は二十になった。
これはさすがに勝っただろう。
そういえば、これって景品とかないのか? 三百円も払っているんだし、何かくれてもいいだろうに。
いや、待てよ。勝ったら景品がもらえるって、賭博罪に当たるんじゃないか? よく知らないけど。
しかし、ディーラーは平然と二十一を出してきた。
「残念でした」
「……はい」
何だこのゲーム。こんなもの、運じゃないか。いや、もちろん最初から分かっていたことだが。
というか、イカサマしてないか? 袖にカードを仕込んでたり。
「もう一回いきます?」
僕は時計を見た。
……やめておこう。こんなところで時間を潰すくらいなら、他の出し物を見た方がまだ生産的だ。
「ありがとうございましたー!」
妙に明るい声に見送られて、教室を出た。結局、一度も勝てなかった。三百円も払って、三連敗しただけである。
何をやっているんだ、僕は。まあ、いいけど。
教室を出ると、廊下は相変わらず賑わっていた。
さて、次はどこへ行こうか。
パンフレットを見返してみたが、特別行きたいところもない。途中、お化け屋敷を覗いてみたものの、入口には長い列ができていたのでやめた。ああいうのは、恋人と入るもんだ。僕みたいな奴が一人で入ったら向こうが驚くだろう。
その後もしばらく校内をぶらつき、中庭に戻った。
さっきまであれほど混んでいた模擬店も、少しずつ客が減り始めていた。先ほどの焼きそば屋も「最後の一食でーす!」と叫んでいる。
もう、そんな時間か。
校内放送が流れた。一般公開の終了が近いので、来場者は時間までに退場してほしいという案内だった。
周りを見れば、制服ではない客たちが、ぽつぽつと校門の方へ歩き始めている。小さな子供の手を引いている親もいた。誰かの父親だろうか、不審者みたいな奴も帰っていく。
昼間はあんなに人がいたのに、いなくなると早いものだ。僕は何となく、そのまま中庭のベンチに腰を下ろした。
空はまだ明るい。ただ、日差しは朝よりずっと傾いていて、校舎の影が中庭の半分ほどを覆っていた。もう十月だというのに、まだ暑い。秋ってこんなものだったっけ。
ぼんやりしていると、どこかで生徒たちの笑い声が聞こえる。片付けを始めた模擬店からは、机を引きずる音も聞こえてきた。
何だか、あっという間だったな。
別に、僕が特別何かをしたわけではない。呼び込みをして、焼きそばを食って、カジノに三百円も使っただけである。
それでも、終わってしまうとなると、少しばかり惜しい気もした。
……まあ、文化祭なんてそんなものか。
僕はベンチから立ち上がった。そろそろ教室に戻ろう。
教室では、すでに片付けが始まっていた。
メイド服や執事服を着ていた連中も、いつの間にか制服に着替えている。机を元の位置に戻し、壁の飾りを剥がし、ゴミをまとめる。僕も近くにあった椅子を持ち上げ、元の場所へ運んだ。
黒板には、まだ『メイド&執事カフェ』の文字が残っていた。誰かが黒板消しを手に取り、端から文字を消していく。
あれだけ大騒ぎして準備した店が、あっという間になくなっていく。何ともあっけない話である。
「佐藤、ちょっとそっち持ってくれない?」
声をかけてきたのは宮田だった。机の片側を持ち上げ、こちらを見ている。
「あ、うん」
僕も反対側を持ち、二人で机を運んだ。
「いやー、疲れたなあ」
「ああ、うん」
机を下ろすと、宮田はまた別の机を運び始めた。僕もそのまま片付けを続けた。
しばらくして、教室はすっかり元の姿に戻った。机と椅子がいつもの位置に並んでいる。
「はーい、お疲れさま! 片付け終わった人から後夜祭に行っていいよー!」
実行委員の女子が声を上げた。教室のあちこちから返事が上がり、生徒たちが次々と教室を出ていく。
宮田たち三人も、何やら話しながら教室を出ていった。
僕は鞄を肩にかけた。
後夜祭というのは、一般客が帰ったあと、在校生と教職員だけで行われる催しだ。参加は自由だが、毎年ほとんどの生徒が見に行くらしい。
らしい、というのは、僕は去年参加しなかったからである。去年は文化祭の仕事が終わるなり帰った。別に見たいものもなかったし、わざわざ残る理由もなかった。
だが今年は少し事情が違う。水尾さんがバンドで出演するのだ。
もちろん、それだけのために残るつもりはない。せっかくの文化祭だし、後夜祭というものを一度くらい見ておくのも悪くないだろう。それに、あの女がどんな演奏をするのか、少しは気になる。少しだけ。
……結局、僕は肩にかけた鞄を机の横に戻し、教室を出た。
体育館へ向かう廊下には、同じ方向へ歩く生徒が何人もいた。
昼間とは違って、私服の客も、小さな子供もいない。目に入るのは、見慣れた制服ばかりだ。廊下の壁には、文化祭の飾り付けがまだ残っている。けれど、教室の前に立って客を呼び込んでいた生徒たちの姿は、もうどこにもなかった。
それなのに、さっきまでよりずっと賑やかに感じる。
廊下のあちこちから笑い声が上がり、何やら楽しそうに話している連中もいる。数人で肩を並べて歩く者もいれば、前を行く友人を追いかけて走っていく者もいる。
階段を下りる頃には、同じ方向へ向かう生徒がさらに増えていた。
体育館の入口が見えてきた。中からは、大勢の話し声が聞こえている。
どうやら、思っていた以上に人が集まっているらしい。
僕もその流れに混じって、体育館へ入った。




