【第6話】 血の誓約と裏切りの剣
勇者一行の故郷を巡る旅を終えた私は、大陸の中央に位置する王国の要衝――「鉄壁の砦バルザック」の展望台に立っていた。
眼下に広がるのは、人間界と魔族の領土を分かつ広大な「黒の荒野」だ。
かつて私が魔王城の玉座から指一本で進軍を命じ、無数の人間を食い散らかさせた破滅の滑走路である。
風が死臭と硫黄の匂いを運んでくる。
「……そろそろ、限界か」
私は胸元に触れた。懐には、アルドの少女から貰った安っぽいお守り、聖女の遺した亀裂の入ったロザリオ、大賢者の手記、そして武国の「誓いの鍔」が重なっている。
私が「勇者レオン」として人間たちの感謝を一身に受け、世界の歪みを秘かに抑え込んでいた数ヶ月の間。
主を失った魔王城は、混迷を極めていた。
魔王直属の四幹部「四魔将」。
彼らは私の失踪を「勇者の残留思念による封印」あるいは「人間どもの狡猾な罠」だと断定し、いよいよ痺れを切らして人間界への全面戦争を決意したのだ。
「報告! 黒の荒野より膨大な魔導反応! 魔王軍の先鋒部隊がこちらに向かって集結しつつあります!」
見張り台の兵士が蒼白な顔で叫んだ。
砦に駐屯する数千の兵士たちに動揺が走る。魔王が死んだ(ことになっている)はずなのに、
なぜ魔王軍がこれほど統率の取れた動きで見軍を進めてくるのか。
「怯えるな!」
指揮官である老将軍が剣を抜き放つ。
「我らには、世界を救った大英雄――勇者レオン様がついている!」
「うおぉぉぉっ!」
兵士たちの視線が一斉に私へと注がれる。
期待、依存、狂信に近いほどの信頼。
私はレオンの柔らかい笑みを浮かべ、彼らに応えるように深く頷いて見せた。
だが、心の中では冷めた溜息をついていた。
(……阿呆どもめ。お前たちが頼りにしている男こそが、あの軍勢を率いていた元締めだというのに)
荒野の地平線が赤黒く染まり、大地が地鳴りを立てて震え始めた。
現れたのは、数万の魔獣と重装魔族で構成された侵攻部隊。
そしてその中央、巨大な黒竜の頭上に仁王立ちしていたのは――四魔将の一人、「赤雷将軍ヴォルガス」だった。
全身に赤黒い稲妻を纏い、身の丈三メートルを超える巨躯を誇る鬼神。
かつて私が直々に力を与え、数々の国を焦土に変えさせた忠義の将である。
「聞けぇ! 哀れな人間どもよ!」
ヴォルガスの咆哮が、雷鳴となって砦全体を揺らした。
「我が絶対の主、魔王様が城からお姿を消されてより百日! 我らは悟った! 貴様ら下等生物が、汚らわしい呪詛によって魔王様をどこかへ拐かしたのだとな!」
砦の兵士たちがざわつく。
「何をバカな……! 魔王は勇者様が倒したはず
だぞ!?」
「呪詛で拐かしただと!?」
「黙れぇっ!」
ヴォルガスが巨大なバトルアックスを振るうと、真紅の雷撃が跳ね、砦の外壁が一瞬で爆砕された。
「魔王様が滅びるはずがない! あの絶対の存在が、貴様らごときの剣で死ぬはずがないのだ! 我らはこの大陸を血の海に変え、土をすべて掘り返してでも魔王様をお探しする! 一人残らず死ねぃっ!」
ヴォルガスの叫びは、どこまでも純粋で、どこまでも狂信的な「忠義」に満ちていた。
私は砦の崩れた外壁の上に、一人静かに降り立
った。
金色に輝く髪、純白の甲冑、そして手には聖剣エルシド。
「――そこまでだ、ヴォルガス」
レオンの声で、静かに言い放つ。
私の登場に、魔王軍の足が止まった。
黒竜の上のヴォルガスが、血走った眼で私を見下ろす。
「……その姿。貴様が……我が忠義の部下たちを討ち、魔王城へ足を踏み入れたという『勇者レオン』か!」
「そうだ。魔王は私が倒した。お前たちの探している主は、もうどこにもいない」
「戯れ言を失せよっ!」
ヴォルガスが激昂し、空を割るような勢いで黒
竜から跳躍した。
巨躯が落下の加速度と赤雷を纏い、私の頭上へと振り下ろされる。
「魔王様が消えたあの夜、魔王城から放たれたのは聖なる光などではない! あれは魔王様が放たれた極大魔力の一端だ! 貴様のような羽虫が魔王様を殺せるものかァッ!」
ドォォォォン……!!
爆風と衝撃波が荒野を削り取る。
私は聖剣でその巨大な刃を受け止めていた。
衝撃で足元の大地が数十メートルにわたって陥没する。だが、私の身体は1ミリたりともブレていなかった。
「ぬ……ぐぅぅっ!? この力……ただの人間で
はない……!?」
ヴォルガスが目を見開く。
互いの刃が交差し、顔が至近距離で対峙する。
ヴォルガスの瞳には、主を失った絶望と、怒りと、命を懸けた忠誠が激しく渦巻いていた。
(……ヴォルガス)
私は思考する。
こいつは私に忠実だった。私が「死ね」と言えば喜んで己の首を刎ねる男だった。
私の退屈を紛らわせるためなら、世界中を敵に回して戦い続ける狂戦士だった。
その忠臣が今、失われた私(魔王)を取り戻すために、勇者となった私(魔王)へ命を賭して襲いかかっている。
なんと悲しく、なんと歪んだ滑稽さか。
「ヴォルガス」
私は刃を押し返しながら、誰にも聞こえない超小声で、魔族だけに伝わる古代語の固有振動を吐き出した。
『――相変わらず、頭の悪い振る舞いだ』
「……は!?」
ヴォルガスの動きが、完全に凍りついた。
その声。その波長。その冷徹で、世界の誰よりも高位にある絶対者の威圧。
「ま……まさ、か……? なぜ……なぜ貴様が……その声……その……っ!?」
ヴォルガスの巨躯が、歓喜と恐怖と混乱で激し
く震え始めた。
彼の頭脳が、目の前の「憎き勇者」と「全能の主」を同一人物だと理解しようとし、破綻を起こしかけている。
私はその隙を逃さなかった。
レオンの身のこなしでヴォルガスの懐へと滑り
込み、聖剣エルシドを彼の胸の中央――魔族の核へとしずかに突き立てた。
ズブリ、と肉を断つ嫌な音が響く。
「がっ……は……っ!」
ヴォルガスが血を吐いた。
だが、その表情には先ほどまでの激怒も狂気もなかった。
核を貫かれ、崩壊していく身体の中で、彼は胸の聖剣と、私の碧色の瞳を交互に見つめた。
『……お戯れが、過ぎますぞ……魔王様……』
ヴォルガスが、消えゆく意識の中でテレパシーを伝えてきた。
その声には、怒りではなく、どこか呆れたような、そしてどこまでも愛おしそうな苦笑が混ざっていた。
『なぜ……そのような偽りの姿を……? 我らを捨ててまで……人間どもに紛れる理由が……あるのですか……?』
私は突き立てた剣の柄を握り直し、レオンの顔
のまま、静かに心の中で返した。
(……退屈しのぎだ。それ以上でも、それ以下でもない)
『フフ……相変わらず……お人が悪い……。ですが……貴様……いや、あなた様がご無事でおわしたなら……我らの望みは……果たされた……』
ヴォルガスの巨躯から赤黒い雷が消えていく。
『……お楽しみください……魔王様……。この愚かな世界が奏でる……最後の……喜劇を……』
ヴォルガスの身体が、サラサラと黒い灰となって崩れ去った。
四魔将が一角、「赤雷将軍ヴォルガス」――消滅。
「な……赤雷将軍が……一瞬で!?」
「勇者レオンだ! 勇者レオンが四魔将を討ち取ったぞーっ!」
荒野に、そして砦の上に、耳をつんざくような歓声が巻き起こった。
「勝利だ! 人類の勝利だ!」
「勇者様万歳! レオン様万歳!」
指揮官も、兵士たちも、涙を流して抱き合い、私の偉業を讃えている。
幹部を失った魔王軍の残党は、恐慌を来して黒の荒野の奥へと逃げ出していった。
私は一人、風が吹き抜ける荒野の中に立ち尽くしていた。
手の中の聖剣エルシドが、これまでで最も強く、悲痛な振動を返してくる。
主の仇である魔王(私)が、己の忠臣を切り捨て、人々に讃えられているという狂気。その不条理に、聖剣すらも打ち震えているのだ。
懐の「誓いの鍔」が、ヴォルガスの灰を吸ってほんの少し冷たくなった気がした。
「……ふっ」
私の口から、低い笑いが漏れた。
魔王としての私を愛し、追ってきた忠臣を、私は勇者として自らの手で殺した。
人間たちの笑顔を守るために、己の過去を、己の配下を、一つずつ切り捨てていく。
誰一人として本当の私を知らない。
人間は私を救世主と崇め、魔族は私を裏切り者の敵として憎む。
世界中で、ただ一人。私だけが、この孤独で完璧な「戯曲」の全貌を知っているのだ。
「いいだろう、ヴォルガス」
私は空を見上げた。黒い雲の隙間から、一筋の
月光が差し込んできた。
「せいぜい楽しませてもらうさ。私という悪魔が演じる、世界で一番完璧な『勇者』の物語をな」
こうして、魔王軍幹部との直接対決という新た
な血のページが開かれた。
偽りの英雄の歩む先には、さらなる混乱と、世界の真実が待ち受けているのだった。




