【第5話】 剣聖の遺した誇り
大陸北方に位置する武国バドラは、岩肌が露わになった峻険な山々に囲まれた、厳酷な風土の国だった。
ここで暮らす者たちは、幼少期から剣を握り、腕を磨くことを至上の誇りとしている。生ぬるい王都の空気とは異なり、街道を行き交う人々もみな鍛え上げられた肉体と鋭い鋭気を纏っていた。
そしてこの国は、勇者一行の不屈の盾であり、最高の剣であった「剣聖」ガレスの故郷でもあった。
「――お前が、レオンか」
バドラの入り口、数千の剣士たちが集う巨大な練武場。
そこに佇んでいたのは、白髪混じりの巨躯を誇る老剣士だった。背には身の丈ほどもある大剣を背負い、その全身からは尋常ではない殺気と覇気が漂っている。
ガレスの師であり、この国の全剣士を統率する「剣神」バルバロッサ。
「……はい、バルバロッサ師父。ご無沙汰しております」
私はレオンの記憶を辿り、武人としての礼を執った。
周りを取り囲む何百もの剣士たちが、息をのんで私を見つめている。王都や聖都のような熱狂的な歓声はない。代わりにここにあるのは、踏み込み一歩で互いの命を削り合う武人特有の、
冷たく研ぎ澄まされた静寂だった。
「噂は聞いている。魔王を倒し、世界を救ったとな」
バルバロッサの隻眼が、鋭く私を射抜く。
「……だが、ガレスはどうした。奴の気配が、お前の背後に感じられん」
私は静かに首を振った。
「ガレスは……私を護るため、魔王の刃の前にその身を投げ出しました。最後まで我が身を盾とし、武人としての誇りを貫いて……散りました」
静寂が、より一層深くなった。
集まった剣士たちの間で、拳を固く握りしめる音がそこかしこから聞こえる。
バルバロッサは長きにわたり沈黙した。そして、天を仰いで太い息を吐き出した。
「そうか。……奴らしい最期だ」
その声には、弟子を失った深い悲しみと、死ぬ瞬間まで武人であったことへの誇りが混ざり合っていた。
ガレスが生前に使っていたという、山の頂近くにある古い道場へと案内された。
そこは飾り気のない素朴な木造建築で、木刀の打ち込み傷が無数に刻まれた太い柱が立っていた。ガレスはこの場所で血と汗を流し、世界最強の「剣聖」へと上り詰めたのだ。
道場の奥の神棚には、ガレスが旅立つ際に置いていったという一振りの刀――彼の生家である「一刀流」の象徴が祀られていた。
「レオンよ。教えてくれ」
バルバロッサが、道場の板間にどっかりと座り直した。
「ガレスの最期だ。あやつは……最期まで恐怖に怯えることなく、正々堂々と魔王と渡り合ったか?」
「……あぁ」
私は嘘偽りのない事実を語り始めた。
魔王城の謁見の間。
最初に私へ肉薄してきたのは、他ならぬガレスだった。
彼の放った一撃――自らの命と全存在を注ぎ込んだ「神速の一閃」は、私の右頬にかすかな切創を作った。数千年の時を生きてきて、私の体に刃を届かせた人間は、後にも先にもガレスただ一人だった。
『ハハッ! 届いたぞ、魔王! これが俺の、俺たちの生きてきた証だ!』
首を半ば切断され、血の噴水のように血を流しながらも、ガレスは笑っていた。
命が潰えるその瞬間まで、彼の瞳には絶望など一切なく、ただ最高峰の強者と刃を交えられた歓喜と、仲間に未来を託す意志だけが宿っていた。
私の手でその心臓を穿つまで、彼は一度たりとも膝をつかなかった。
「……そうか。あのバカ弟子は、魔王の頬を切り裂いたか」
バルバロッサの隻眼から、一筋の涙が溢れ落ちた。
豪快な老剣士は、膝の上に置いた巨大な拳を震わせた。
「上等だ。よくぞやった、ガレス……! わが門下最高の誇りだ!」
私はその光景を、冷めた目で見つめていた。
(誇り、か……)
人間の語る誇りとは、なんと滑稽で、なんと美しいものか。
ガレスが私につけた頬の傷など、数秒で塞がった。彼らの犠牲は、魔王である私を倒すことには何一つ結びつかなかった。
だが――彼らは「無駄死に」したと思っていない。
そして遺された者たちもまた、その死を「誇り」として胸に刻み、強く生きようとしている。
私の内に、またしても不快な痒みが広がった。
殺したはずの男の魂が、この偽りの姿をした私の中に、重く冷たく居座り続けているような感覚だ。
その夜、武国バドラを絶望の地鳴りが揺らした。
ゴーッ……!!
山々が震え、道場の天井から粉塵が舞い散る。
外へ飛び出すと、夜空を焦がすような不気味な紫色の雲が、北方の霊峰カズベクを覆っていた。
「な、なんだあの気配は……!?」
「カズベク山の封印が解けたというのか!?」
剣士たちが騒然となる中、バルバロッサが蒼白
な顔で山を見上げた。
「古代巨獣……『グラファス』だ……!」
グラファス。かつてこの国を崩壊寸前まで追い詰め、三代前の剣神が命と引き換えに霊峰の奥深くに封印したという、山ほどもある超大型の魔導巨獣。
「なぜだ……封印の結界は完璧だったはず……!」
(……また私か)
私は即座に察した。
魔法都市フェルゼンと同じだ。魔王という絶対的な重力が世界から消えた(と世界が誤認した)ことで、古代の強力な封印結界が次々と破綻を起こしているのだ。
私が正体を隠して「平和な勇者」を演じている代償が、世界各地で災厄となって噴き出している。
ドスン! ドスン!
遥か山頂から、大地を破砕する足音が響いてくる。
雲を突き抜け、姿を現したのは、岩石と紫黒の魔力で形成された、体長百メートルを超える巨獣だった。その単眼が赤く光り、口から放たれた極大の魔導砲が、山麓の村を一瞬で灰へと変えた。
「全員、武器を取れっ!」
バルバロッサが叫ぶ。
「民を逃がせ! 剣士の意地を見せるときだ!」
だが、集まった剣士たちの顔には恐怖が張り付いていた。
人間の剣など届かない圧倒的な巨大さ。一足で街を潰す圧倒的な暴力。
誇りを重んじる武国の剣士たちとて、神の領域の化物には術がない。
「くそっ……ガレスがいれば……! ガレスの『剛剣』があれば、あの外皮を断てたかもしれんのに……!」
誰かが悲痛な声を上げた。
その声を聞いた瞬間。
私の足は、勝手に前に踏み出していた。
「下がっていろ、バルバロッサ師父」
私は背中の聖剣エルシドを引き抜いた。
「レオン!? お前一人で行く気か! あの巨獣の皮膚は、山をも跳ね返すぞ!」
「問題ない」
私は静かに答えた。
「ガレスの剣は……ここに生きている」
私は疾走した。
人知を超えた速度。背後の景色が置き去りにされ、一瞬で山道を駆け上がる。
巨獣グラファスが私を察知し、その巨大な岩石の腕を振り下ろしてきた。大気を押し潰す圧殺の衝撃波。
私は回避しなかった。
レオンの身体能力を極限まで引き出し、跳躍する。
巨獣の腕を足場にし、垂直の岩壁を登るように
巨獣の頭部へと駆け上がっていく。
「ルオオーーーッ!」
巨獣が咆哮し、全身から紫色の魔力針を全方位に放った。逃げ場のない死の雨。
私は聖剣を構えた。
頭の中で再生されるのは、魔王城でガレスが見せた、あの最期の立ち回り。
無駄を削ぎ落とし、ただ一筋の威力を追求した
「一刀流」の極意。
(ガレス……お前の剣技、こうだったな?)
私は魔王としての絶対的な魔力を、レオンの練り上げた最高峰の「気」へと偽装し、聖剣の刃に収束させた。
黄金の光が、聖剣エルシドから爆発的に噴き出す。
「見よ――これぞ、ガレスが私に遺した剣だ!」
虚構の叫び。だが、刃に宿る殺意と威力は本物だ。
――一刀流奥義・『天断』。
閃光が、夜空を横一文字に切り裂いた。
巨獣の放った魔力針の雨が、空間ごと真っ二つに断ち切られる。
そして、その光の軌跡はそのまま巨獣グラファスの巨躯を斜めに走り抜けた。
「…………ガ!?」
巨獣の動作が止まる。
一秒の静寂。
次の瞬間、百メートルを超える巨獣の岩石の身体が、すっぱりと二つに滑り落ち、山から転がり落ちて砕け散った。
ドォォォォン……!!
爆発的な砂塵と衝撃波が山を駆け巡り、やがて静けさが戻った。
山頂に立つ私のもとへ、バルバロッサをはじめとする武国の剣士たちが駆け上がってきた。
彼らは二つに切断された巨獣の残骸と、私の手にある聖剣を見比べ、絶句していた。
「あ……あの巨獣を……たった一撃で……!?」
「今のは……ガレスの……一刀流の奥義……!?」
バルバロッサが、震える足で私の前まで歩み寄った。老剣士の隻眼には、溢れんばかりの感涙が宿っていた。
「レオン……お前、ガレスの剣を継いでくれたのか……!」
「ガレスは死に際、私に己の技の全てを託してくれました」
私はレオンの澄んだ瞳で、淀みなく嘘を吐いた。
「彼が命をかけて守ろうとしたこの国を、私が滅ぼさせるわけにはいかない」
「おお……! ガレスよ……! お前の誇りは、お前の魂は、この大英雄の中に生き続けているぞっ……!」
バルバロッサが天に向かって叫び、剣士たちが一斉に剣を掲げて雄たけびを上げた。
「勇者レオン!」「剣聖の継承者!」「我らの救世主!」
武国バドラを揺るがす歓喜の声。
私は彼らに背を向け、聖剣を鞘に収めた。
聖剣エルシドが、悲しげに、だがどこかわずか
な誇らしさを込めて微かに震えた。
(……愚かな人間どもめ)
私は心の中で呟いた。
私が振るったのはガレスの剣技ではない。ガレスの技を、魔王の暴力的なスペックで完璧に「模倣」しただけの偽物だ。
だが――この人間たちは、それをガレスの魂の継承だと信じ、涙を流して感謝している。
私の懐には、幼い少女のお守り、聖女のロザリオ、大賢者の手記、そして今、武国から贈られたガレスの生家の「誓いの鍔」が納められていた。
勇者一行の故郷を巡る旅は、これで終わった。
彼らの愛した者たち、彼らの遺した爪痕、そして彼らが命をかけて救おうとした世界の現実。
そのすべてを、私はこの目で見届け、この手に救ってきた。
「……さて」
夜空を見上げる。
魔王城のある方角――大陸の最果て「黒の霊峰」の空が、仄暗く疼いていた。
「そろそろ、魔王城の部下どもが痺れを切らす頃か」
勇者の皮を被った魔王の旅は、ここから新たな局面へと向かう。
世界を滅ぼすはずだった男が、偽りの救世主として世界を救い続ける、より深き混沌の渦へと。




