【第32話】 《勇者の休日・初日》聖騎士の乙女心と黄昏の誓い
「勇者レオン全休計画」の第一日目。
朝日が王都の街並みを黄金色に染め上げる頃、
私は指定された待ち合わせ場所である王城の庭園へと向かっていた。
公務の鎧を脱ぎ捨て、上質な深緑のジャケットと白シャツという、仕立ての良い旅装に身を包んだ私。自慢ではないが、元魔王としての気品と勇者レオンの造形美が合わさったこの姿は、街を歩けば間違いなく二度見される出で立ちだ。
「おはよう、レオン」
庭園の東屋で私を待っていたクラリスが、振り返って微笑んだ。
その瞬間、私は思わず足を止めた。
いつもの硬質な白銀の甲冑でも、式典の重厚なドレスでもない。淡いプラム色のスカートに、胸元に控えめなレースがあしらわれた白いブラウス。風が吹くたび、柔らかな金色の髪がふわリと揺れる。
「……似合わないかしら? 普段は甲冑ばかりだから、こういう服は少し照れくさいのだけれど……」
不安そうに首を傾げ、少し頬を染めるクラリス。その可憐さは、魔王として数多の宝玉や美を見てきた私の目から見ても、息をのむほどだった。
「いや、驚いたよ。あまりにも綺麗で……目を奪われてしまった」
私が甘い微笑みを向けると、クラリスは「もう……いきなりそういうことを言うんだから」と耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
(クハハ……戦場では『鬼神』と恐れられる聖騎士副団長が、これほど可愛らしい顔を見せるとはな)
脳内で元勇者の魂が『ね? クラリスって本当にかわいいでしょう?』と得意気にはしゃいでいる。
「さあ、行きましょう。今日は一日、私があなたを独占する日なのだから」
クラリスは意を決したように私の右腕をギュッと抱きかかえると、弾むような足取りで歩き出した。
クラリスが用意していたデートプランは、二人の「思い出」を辿るような行程だった。
最初に向かったのは、王都の裏手にある広大な聖騎士団の旧訓練場。
かつて若い騎士たちが汗を流したその場所は、今や美しい緑の公園として整備されていた。
「覚えている? レオン」
木漏れ日の中、並んでベンチに腰掛けながら、クラリスが懐かしそうに目を細めた。
「あなたと私が初めて手合わせをした時、私は自分の剣技に絶対の自信を持っていたの。でも、あなたはいとも簡単に私の剣を叩き落として……そのくせ、転んだ私に優しく手を差し伸べてくれた」
「ああ、懐かしいね……」
(いや、それは本物のレオンの記憶だがな)
脳裏に本物のレオンの記憶が鮮明に再生される。
未熟だったクラリスをあたたかく見守り、共に成長してきた日々。その記憶が、いまや私の心と完全に同期し、愛おしい感情となって胸を満たす。
「あの時からずっと、私はあなたの背中を追いかけてきたわ。あなたが魔王軍と戦う時も、神々と戦う時も……いつだってあなたは、誰かのためにその剣を振るっていた」
クラリスは私の手を両手で包み込むと、まっすぐな瞳で私を見つめた。
「でもね……今のあなたは、昔のあなたよりもずっと『人間らしい』気がするの」
「人間らしい……?」
「ええ。昔のあなたはどこか完璧すぎて、遠い存在に見えることがあった。でも今のあなたは……困った顔をしたり、美味しいものに目を細めたり、私たちが強引に誘うと苦笑いしながら付き合ってくれる。……今のあなたの方が、ずっとずっと愛おしく感じるの」
「……!」
胸が強く跳ねた。
魔王としての冷徹な自我と、勇者レオンの心が、彼女の言葉によって優しく解かされていく感覚。
私は彼女の手を静かに握り返した。
「クラリス……君がそう思ってくれるなら、私は何よりも嬉しいよ」
昼下がり、私たちは王都で一番と評判のカフェテラスへと向かった。
「はい、レオン! あーんして!」
「えっ……ク、クラリス?」
大きな苺が乗った特製ミルフィーユをフォークで掬い、私の口元へと差し出すクラリス。
周囲の客たちが「あれって勇者様と聖騎士様じゃない……?」「お似合いねぇ」とニヤニヤしながら見守っている。
「ほら、早く! 周りに見られて恥ずかしいのは私なんだから!」
顔を真っ赤にしながらも譲らない彼女の意地らしさに負け、私は観念して口を開けた。
「……ん。美味しいよ、クラリス」
「ふふっ、でしょう? 私、ずっとこうしてみたかったの」
無邪気に笑う彼女の姿に、私の中の「魔王」としての影は完全に霧散していた。
世界を支配したいという野望も、神々への憎しみも、この温かな日常の前には何の意味もなさない。
その後も、二人は街を歩き、お揃いの羊革のブレスレットを買い、大道芸人のパフォーマンスに拍手を送った。
ただの「男」と「女」として過ごす時間。
何物にも代えがたい、穏やかな時が流れていく。
やがて陽が傾き、王都全体が朱色と紫の美しいグラデーションに包まれる頃。
私たちは、王都が一望できる「誓いの丘」の上に立っていた。
心地よい夜風が、二人の髪を静かに揺らす。
「今日一日、本当に楽しかったわ……ありがとう、レオン」
クラリスは夕日を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「明日からはセレスティナ殿、ミルカちゃん、エレナがあなたをエスコートするわ。みんな、あなたを心から愛している。……もちろん、私も負けるつもりはないけれど」
彼女は振り返り、夕陽を背にして私の胸にそっと身を寄せた。
トクトクと、彼女の小さな鼓動が伝わってくる。
「レオン。あなたがどんな存在であっても、どんな過去を抱えていても……私の命と愛は、永遠にあなたのものよ」
その言葉には、聖騎士としての忠誠ではなく、一人の女性としての絶対の愛が込められていた。
(……やれやれ)
私は心の中で、深く、深く降参の溜息をついた。
偽りの勇者として始まった私の二度目の人生。
だが、この胸に宿る温かな情念と、彼女を抱きしめたいと願う衝動に、何一つ偽りなどなかった。
「クラリス」
私は彼女の華奢な肩を抱き寄せ、その額に優しく口づけを落とした。
「私の命が続く限り……君のその愛に応え続けよう。約束する」
「レオン……っ」
クラリスは感極まったように私の胸に顔を埋め、固く腕を回した。
夕闇が静かに街を包み込み、街灯のあたたかな光がぽつぽつと灯り始める。
「全休計画」の初日は、甘く、そして強く結ばれた二人の絆と共に、静かに幕を閉じたのだった。




