【第33話】 《勇者の休日・二日目》精霊の泉と巫女の誓約
「全休計画」の二日目。朝靄が静かに立ち込める刻、私は王都の門外で待っていた。
二日目の案内人である神樹のエルフの巫女――セレスティナとの待ち合わせだ。
「お待たせいたしました、レオン様」
静謐な空気とともに現れた彼女の姿に、私は思わず息を呑んだ。
王宮での荘厳な巫女装束でも、豪奢なドレスでもない。繊細な銀糸の刺繍が施された、シースルーの薄緑色の旅衣。風にたなびく白銀の髪と、陽光を受けて透き通るような翡翠色の瞳。
彼女を取り巻く空気そのものが、まるで清らかな森林の香りを孕んでいるかのようだった。
「本日は王都の喧騒を離れ、エルフの聖域――『月明かりの秘苑』へとご案内いたします。疲れたお心とご体躯を、私と精霊たちが心を込めて癒やさせていただきますわ」
セレスティナは優雅に微笑むと、細く白い指先を私の手へと絡めてきた。エルフ特有のひんやりとした熱と、柔らかい感触が伝わってくる。
「……よろしく頼むよ、セレスティナ」
私が柔らかな笑顔を返すと、彼女は少しだけ頬を染め、嬉しそうに私の手を引いて森の奥へと歩き出した。
転移陣を抜け、辿り着いたのは人里離れた太古の原生林だった。
光の粒子が舞い散る巨木の木立を抜けると、目の前に広がるのは水晶のように透き通った巨大な泉――『月明かりの秘苑』。水面には色鮮やかな精霊たちが光の蝶のように群れ飛び、見上げる天空からは木漏れ日が柔らかなカーテンとなって注ぎ込んでいる。
「ここはエルフの王族と巫女しか立ち入りを許されぬ聖域。ですが……今のレオン様には、我が身もこの聖域もすべて捧げられた同然です」
セレスティナは静かに泉のほとりに腰掛け、私を誘うように自分の膝を軽く叩いた。
「さあ、レオン様。こちらへ。……膝枕、でございます」
(くはは……聖騎士クラリスが『思い出と甘い甘味』なら、巫女セレスティナは『圧倒的な癒やしと密着』で攻めてくるわけか)
私は彼女の差し出す膝へと身を預けた。
頭を受け止める柔らかい太ももの感触。そして、セレスティナが私の髪に指を通し、優しく梳いていく。
「神々との戦い、そして世界を一つに束ねる大業……本当にお疲れ様でした。……レオン様がどれほど重いものを背負い、どれほど傷つかれてきたか、私は知っております」
彼女の奏でる子守歌のような声と、髪を撫でる指先から注がれる温かな精霊力。
体内の「魔王」としての疲弊と、内なる「勇者」の記憶が、みるみると解きほぐされていく。
「あ……レオン様、動かないでくださいね」
戯れに現れた光の精霊たちが、私とセレスティナの周りをくるくると踊り始めた。
精霊たちは二人の仲を祝福するように、キラキラとした光の粉を振り撒く。
「精霊たちも、レオン様のことが大好きなのですわ。……もちろん、私以上に好きということはあり得ませんが」
セレスティナは少し悪戯っぽく微笑むと、顔を覗き込んできた。
視線が至近距離で交差する。息が届くほどの距離。翡翠色の瞳に、私の顔がはっきりと映っていた。
「レオン様。私はかつて、世界の平穏を守ることこそが巫女としての存在理由だと思っておりました。ですが……今の私にとっての世界とは、あなたそのものなのです」
彼女の手が私の頬に優しく触れる。
「たとえあなたがどれほど遠い存在になろうと、どんな運命を背負おうと……私は生涯、あなたの傍らでその傷を癒やし続ける盾となり、糧となりましょう」
言葉と同時に、彼女は静かに目を閉じ、顔を寄せてきた。
薄桃色の唇が、私に重なる。
柔らかく、清らかで、しかし確かな情熱を秘めた口づけ。
精霊たちの光が二人を包み込み、神秘の泉全体が黄金色の輝きに満たされていった。
唇が離れた後、セレスティナは桃色に染まった顔で、愛おしそうに私を見つめていた。
「……私のすべてを、受け止めてくださいますか?」
私は身を起こすと、彼女の細い肩をしっかりと引き寄せ、強く抱きしめた。
「ああ。君の捧げてくれた温もりと祈りを、決して手放しはしない。……ありがとう、セレスティナ」
「レオン様……っ」
彼女は幸福感に満ちた溜息をつき、私の胸に身を預けた。
かつて冷酷な破壊の権化であった私が、エルフの巫女の聖なる愛に包まれ、心満たされている。
魔王と勇者、そしてエルフの巫女。種の壁も過去の業もすべて超えた絆が、いまここに結ばれた。
秘苑に静かに夕刻の帳が下り、満天の星と月光が水面を照らし始める。
極上の癒やしと愛に満ちた二日目は、深く静かな誓いと共に過ぎていった。




