【第30話】 勇者のお忍びと国境のひまわり
祝宴の大騒動から一週間。
王都グラニアの執務室で、私は再び書類の山と向き合っていた。……が、現在の悩みは仕事の量ではない。
「レオン様、本日の昼食はエルフの郷特選の薬膳スープをご用意いたしましたわ」
「レオン! 聖騎士団特製の栄養満点スタミナお弁当よ! さあ食べて!」
「お兄ちゃん、魔族の伝統的なハーブティー淹れたよ……!」
日替わりどころか「毎食」のように豪華な手料理や差し入れを持って押し寄せてくるヒロインたちの愛に、私の胃袋と精神は嬉しい悲鳴を上げ続けていた。
(クハハ……神々の攻勢より、乙女たちの愛の攻防戦の方がよっぽど退路がないぞ)
「……よし、決めた」
私はペンを置くと、高度な認識阻害魔法を展開し、身に着けていた白銀の甲冑を地味な旅人の服へと変幻させた。たまには一人で静かに風に当たり、自分が作った「新しい世界」をこの目で見つめ直す時間が必要だ。
私は窓から静かに飛び出し、王都の空へと消えた。
風に乗って向かったのは、王都から遥か東、人間領と旧魔王領のちょうど境目に位置する街「アルザス」だった。
かつてこの場所は、魔王軍と王国軍が熾烈な血で血を洗う死闘を繰り広げた最前線であり、荒れ果てた廃墟と化していた場所だ。
だが、上空から舞い降りた私の目に映ったのは、驚くべき光景だった。
灰色の戦場だった台地は見渡す限りの黄金色――咲き誇る巨大なひまわり畑に覆われ、新築の木造家屋が立ち並んでいる。街道では角の生えた魔族の行商人と人間の職人が笑い合いながら資材を運び込み、復興の活気に満ちあふれていた。
(……本当に、世界は変わったのだな)
感慨深く街道を歩いていると、ひまわり畑の奥から幼い泣き声が聞こえてきた。
気になって覗き込んでみると、そこには人間の小さな少女と、小さな翼を生やした魔族の少女が、二人で抱き合って泣いていた。
「どうしたんだい、二人とも?」
私が膝をついて目線を合わせると、少女たちは驚いたように涙を拭った。
「あ、あのね……二人で飼ってたポムちゃん(小型のモコモコした魔導生物)が、ひまわり畑の奥に迷い込んじゃって……」
「探してたら、私たちも迷子になっちゃったの……ううっ……」
「なるほど、それは災難だったね」
私は優しく微笑むと、かつて魔王として大陸全土を把握していた知覚魔法を、ごく微弱に展開した。広大なひまわり畑の生体反応を探ると、すぐにコロコロとした小さな魔力の反応を捉えた。
「大丈夫、すぐに見つかるよ。おいで」
畑の奥へと進み、ひまわりのかげで丸くなっていた毛玉のような魔導生物を抱き上げると、二人組の少女たちは「ポムちゃん!」と歓声を上げて抱きついた。
「すごい! お兄ちゃん魔法使いなの!?」
「うん! 本物の勇者レオン様みたいに強いんだね!」
目を輝かせる幼子たちに、私は苦笑いを返した。
「勇者様ほどではないけれどね。……二人は、仲が良いんだね」
「うん! 私たち、お隣同士なんだよ!」
「お父さんたちがね、昔はこの場所ですごい喧嘩(戦争)をしてたんだって。でも今はね、二人で仲良くこのひまわり畑を作ったんだよ!」
無邪気に笑う少女たちの言葉が、胸の奥深くに温かく染み渡っていく。
かつて私が魔王として与えた傷跡は、確かに残っている。しかし人々はそれを乗り越え、新しい絆を芽吹かせ、こうして美しい花を咲かせているのだ。
「……そうか。良い街になったな」
私が静かに呟いたその時。
「――本当に、良い街になりましたわね。レオン様?」
「見ーつけた! 街を抜け出してどこへ行ったかと思えば……」
「お兄ちゃん、追いついたよ!」
ひまわり畑の入口から、風に髪をなびかせながら歩いてくる三人の姿があった。
認識阻害の魔法など綺麗に破られ、完璧に居場所を特定されていたらしい。
「クラリス、セレスティナ殿、ミルカ……」
苦笑いする私に、少女たちは呆れたような、しかし心底楽しそうな笑みを向けた。
「まったく、勇者様が勝手にお忍びで出歩かないでちょうだい。心配するでしょう?」
「ですが、この街の風景……レオン様が守った未来の形そのものですわね」
「うん……とっても綺麗なお花畑……!」
駆け寄ってきた三人を取り囲むように、先ほどの子供たちが「あ! 本物の聖騎士様だ!」「お兄ちゃんのお友達?」と目を丸くして大はしゃぎし始めた。
変装を解いた私の金髪が、夕日に照らされて黄金色に輝く。
「あ……! ほんもの……本物の勇者レオン様だーっ!」
子供たちの歓声がひまわり畑に響き渡り、遠くの街からも人々の賑やかな声が聴こえてくる。
「さあ、帰りましょうレオン。王都でみんなが……あなたの帰りを待っているわ」
クラリスが差し出してきた手を、私は静かに握り返した。
魔王として世界を滅ぼそうとし、勇者として世界を救った男。
偽りから始まった私の物語は、いまやこの温かな世界の一部となり、これからも愛おしい仲間たちと共に続いていく。
「ああ……帰ろう、私たちの街へ」
見上げる空には、どこまでも澄み渡る、美しい夕焼けが広がっていた。




