【第29話】 三種族和親条約と乙女たちの戦場
王都グラニアが、かつてないほどの最高潮の熱気に包まれていた。
人間・エルフ・魔族の三大種族の代表者が一堂に会する歴史的瞬間――『三種族合同和平条約調印式』の当日を迎えたからである。
大聖堂を改装した巨大な会堂には、銀の甲冑を纏う人間側の聖騎士たち、緑の装束を翻すエルフの精鋭、そして角や翼を持ちながらも格式高い正装を身にまとった魔族の使節団が並んでいた。かつては互いに血を流し合い、憎しみ合っていた種族同士が、同じ屋根の下で息を呑んで「その時」を待っている。
「――これより、歴史に刻まれし和親の儀を執り行う」
会場の中央、壇上に立つ私の声が、魔法の拡声装置を通じて大聖堂全体に響き渡った。
私の右隣には聖騎士団副団長クラリス。
左隣には神樹の巫女セレスティナ。
そして正面には、かつて魔王城の地下から救い出し、いまや旧魔王領の復興と魔族代表を務める少女・ミルカが立っていた。
各代表が羊皮紙に署名を刻み、私が勇者として、そして世界の調停者として最後の調印を終えた瞬間――。
ドォォォン……!
天を突くような祝砲と、万雷の拍手が会堂を揺らした。
「和平条約成立だ!」「世界に真の平和が訪れたぞーっ!」
人間も魔族もエルフも、互いに抱き合い、涙を流して喜び合っている。
神々の支配を退け、人が、魔が、精霊が自らの足で歩み始めた証。
(クハハ……本当に、大した光景だな)
かつて世界を更地にしようとしていた元魔王の胸に、どこか深い誇りと温かな満足感が込み上げていた。
しかし、感動の式典が終わり、王宮の大広間で盛大な記念宴会が始まった途端――私の平和は脆くも崩れ去ることとなった。
「レオン様! 式典での凛々しいお姿、感涙いたしました……! ぜひ、私と祝杯を!」
極上のシルクドレスを纏った神樹の巫女セレスティナが、美しく透き通る翡翠色の瞳を輝かせ、極上のエルフ酒をなみなみと注いだグラスを手に迫ってきた。
「ちょっと待ちなさい、セレスティナ殿!」
すかさず割り込んできたのは、凛としたドレス姿のクラリスだ。
「レオンは調印式の準備でここ数日、まともに睡眠も取っていないのよ! 酒を煽らせるなんて正気!?」
「まあ、クラリス殿。エルフの秘酒は滋養強壮と疲労回復の最高峰。レオン様の疲れたお身体を心身ともに癒やすのは、私の責務ですわ」
「なっ……『心身ともに』ってどういう意味よ!?」
火花を散らす二人。
だが、そこへ第三の勢力が参戦する。
「あの……レオンお兄ちゃん……!」
可愛らしい礼服を着た魔族の少女ミルカが、おずおずと私の外套の裾を引っ張った。
「ミルカ? どうしたんだい?」
「あのね……魔族の民みんなから、お兄ちゃんにお礼のプレゼントを持ってきたの。魔族の伝承で『一番大切な人』に贈るって決まっている、黄金の結晶のペンダント……受け取ってくれる……?」
「まあ、なんて愛らしいの……って、ちょっと待ちなさいミルカちゃん! それって魔族の求婚の儀式でしょう!?」
「ええっ!?」
クラリスの叫びにミルカは真っ赤になり、セレスティナは「ぬかりありませんね……!」と対抗心を燃やし始める。
(……おいおいおい)
私は冷や汗を拭いながら、一歩後ずさった。
神々との死闘や、概念を打ち破る爆炎の中のほうが、よっぽど安全だったのではないかと本気で思い始める。
「レオン様、エルフの国へ戻られた際は、神樹の最奥にて二人きりで夜を明かしましょう」
「レオン! 今夜は王城のバルコニーで、私と一緒に夜風に当たる約束でしょう!?」
「お兄ちゃん、私の作った魔族のお菓子も食べて……!」
一触即発のヒロインたちの視線が、一斉に私へと集中する。
周囲で見守る騎士やエルフの長老、魔族の幹部たちは「流石は勇者様だ……」「三種族の架け橋となられている……」と妙な感心をして暖かな眼差しで見守っているが、当人にとっては生きた心地がしない。
(レオン……お前の残したこのモテモテの遺産は、私には少々刺激が強すぎるぞ)
脳内で苦笑するも、いまや私の中に溶けた本物のレオンの魂は『ふふっ、がんばってね』と他人事のように笑っている気配がした。
「みんな、落ち着いてくれ」
私はレオンとしての優美で柔らかな笑みを浮かべ、両手を広げた。
「せっかくの祝宴だ。一人ずつ、じっくり話を聞こうじゃないか。今日という素晴らしい日を、みんなで祝いたいんだ」
私の言葉に、三人は顔を見合わせ、やがて呆れたように、しかし愛おしそうに微笑んだ。
「もう……本当に、人たらしなんですから」
「全く……レオンには敵わないわね」
「お兄ちゃん、大好き!」
賑やかな笑い声と音楽が、夜の王宮を満たしていく。
レオンとして始まった偽りの物語は、世界を救い、神々を倒し、いまやこうして最高に騒がしくも幸福な日常へと行き着いた。
世界を騙しきった男の前に広がる未来は、これからも退屈とは無縁の、賑やかで愛おしい毎日に満ちあふれている。




