【第25話】 名もなき王と天門突破
天界から『神罰の天輪』という審判が突きつけられてから、王都グラニアは驚くべき変貌を遂げつつあった。
神々が目論んだ「人間同士の裏切り」は起きなかった。勇者レオンのために、人間だけではなく旧魔王領の魔族、神樹の森のエルフたちまでもが王都へ結集していたのだ。
我らには真の王など不要。ただ一人、世界を護り抜くあの男に命を預ける――。
全種族が一つに束ねられていく様を、私は城塞の最上階から見下ろしていた。
私にはかつて名前などなかった。人間どもが恐れをなして勝手に呼んでいた数多の称号など、闇の渦には何の意味も持たない。だが今、私は「勇者レオン」という名を得て、数百万の生命の「祈り」をその身に宿している。
『……すごいね』
脳内で、内なる勇者の魂が静かに囁いた。
『かつて君が力で叶えられなかった世界の統一が、こんな形で完成するなんて。君はもう、ただの魔王じゃない。みんなの思いを背負う、本当の英雄だ』
「黙れ、レオン」
私は自嘲気味に口元を歪めた。
「私はただ、天の神どもが気取った面で私の作った庭を荒らすのが気に入らんだけだ。お前たちの青臭い正義に流されたわけではない」
そう言い放ちながらも、私の手は自然と全軍の配置図へと伸びていた。人々の命を無駄に散らせぬよう、魔王時代の緻密な戦術と聖気の加護を融合させた、完璧なる防衛陣形を組み上げている己に呆れながら。
「レオン! 東門の魔導結界、ならびにエルフ族の精霊砲の設置が完了しました!」
クラリスが息を切らせて駆け込んでくる。その瞳には恐怖の色はなく、ただ私への絶対の信仰
と決意が宿っていた。
「頼もしいな、クラリス。……恐れはないか?」
「ええ。あなたと共に戦えるなら、相手が神々であっても恐れることはありません」
彼女は強く頷き、私の手に己の手を重ねた。その体温が、私の中に残る冷酷な魔王の核を、優しく、そして確実に溶かしていく。
そして訪れた、七日目の朝。
天を覆う紫黒の雲が割れ、空に刻まれた『神罰の天輪』が太陽をも覆い隠すほどの殺戮の光を放ち始めた。天界の軍勢――数百の使徒と光の兵器群が、雲の隙間から滑空して降り切ってくる。
「愚かな蟲どもよ! 歪みし勇者を差し出さぬ選択をしたこと、死をもって後悔せよ!」
天を揺るがす神々の怒号。
だが、王都の地上から上がったのは、悲鳴ではなく咆哮だった。
「全軍――迎撃せよ!」
私が掲げた聖剣エルシドから、黄金と漆黒が混ざり合った巨大な光の柱が天へと貫いた。
ドォォォォォン……!!
天空を覆う『神罰の天輪』から降り注ぐ白銀の閃光と、地上の連合軍が放つ魔導の砲火が激突し、夜明け前の空が真昼のように眩しく爆ぜた。
「ひるむな! 勇者レオン様が共におられる!」
「我らの未来を、不条理な神々に奪わせるなッ!」
最前線で声を張り上げるのは、王宮聖騎士団を率いるクラリスだ。その横には、かつて人間と刃を交えていた魔族の将や、神樹の森から駆けつけたエルフの射手たちが並び立っている。
かつて数百年間にわたり争い続けていた種族たちが、背中を預け合い、押し寄せる天使や使徒の群れを押し返している。
「ほう……見事なものだな」
私は戦場の中央、空中に展開した魔法陣の上に立ち、冷ややかな感嘆の声を漏らした。
魔王として世界を統治しようとした時代には、恐怖と武力でしか縛れなかった者たちが、いまや「一人の英雄への信仰」と「自らの意志」によって、天界の神軍と対等に渡り合っている。
『言葉とは裏腹に、君の口元は緩んでいるよ、魔王……いや、「僕たちの勇者」さん』
内なるレオンの爽やかな声が、脳裏に響いた。
「戯れ言を。……そろそろ『雑魚散らし』を終わらせるとしよう」
私は聖剣エルシドを両手で構えた。
「全軍、伏せろ!」
私の声が戦場全域に轟くと同時に、地上軍が一斉に盾を掲げて身を屈めた。
天から降り注ぐ数百の使徒と、巨像のごとき光の兵器群が、私という「最大の目標」を目掛けて集中的に殺到してくる。
『歪みし勇者よ! 神々の審判を受けよ!』
使徒たちの放つ無数の光の槍が、幾重もの帯となって私を穿とうとした。
だが、私は逃げない。
聖剣の刃に、体内の漆黒の魔力と、地上の人々から集まる黄金の祈りを等しく流し込む。
正反対のエネルギーが激しく反発し合い、私の体内で奇跡的な超循環を起こす。
「滅びよ――『聖魔領域・無垢の闇』!!」
ドバァァァァァン……!!
私を中心に放たれたのは、光すら飲み込む漆黒の球体と、すべてを穿つ黄金の刃が混ざり合った絶対破壊の領域だった。
私に群がっていた数百の使徒と光の兵器群は、悲鳴をあげる暇すら与えられず、一瞬で分子レベルに分解され、夜空のチリとなって消滅した。
たった一撃で、天界の先鋒部隊が全滅したのだ。
「……バカな……!? 人間と魔王の力が合わさり、これほどの威力を……!?」
雲の奥に潜んでいた天界軍の上位指揮官――『審判長』ヴァリエルの戦慄する声が響いた。
「動揺しているヒマはあるのか?」
瞬伸。
一瞬で空を切り裂き、私はヴァリエルの目の前に滞空していた。
「な……神速……!?」
ヴァリエルが動揺し、光の盾を展開しようとした瞬間、私の内に宿る本物のレオンの感覚が、完璧な剣の軌道を提示した。
(そこだ、レオン)
『うん、ここだね』
私とレオンの意思が完璧に重なり合う。
私(魔王)の圧倒的な魔力による圧迫と、レオン(勇者)の隙のない剣技。
二つの魂が完全に同調した一撃が、ヴァリエルの光の盾を紙くずのように切り裂き、その巨躯を縦一文字に叩き斬った。
「グアァァァァッ……!? 愚かな……天に抗うか……っ!」
光の粒子となって崩れ去るヴァリエルを見下ろし、私は聖剣についた神聖力を振り払った。
地上からは、地鳴りのような大歓声が巻き起こっていた。
「勝った……! 勇者様が神の軍勢を退けたぞーっ!」
「レオン様万歳! レオン様万歳っ!」
民衆や兵士たちが歓喜の声を上げる。
だが、私の視線は地上ではなく、はるか上空――空に刻まれた『神罰の天輪』に向けられていた。
「終わらせるぞ」
私は地上で戦うクラリスや全軍に向けて、声を行き渡らせた。
「地上での防衛戦はここまでだ。……これより、こちらから『天界』へ殴り込む!」
「え……!? 天界へ……!?」
動揺する地上軍をよそに、私は聖剣エルシドを天輪の中心に向けて突き立てた。
倒した上位使徒たちの残光と、体内の全魔力を注ぎ込む。
ズズズズズズズ……!!
空に浮かぶ『神罰の天輪』が激しく亀裂を起こし、やがて逆方向へと回転を始めた。神々が地上を消し去るために開いた門が、私の力によって強制的に**「天界への渡り路」**へと書き換えられていく。
雲が割れ、天輪の奥に輝く美しい神々の都――
『神聖天界』の姿が露わになった。
『いこう、魔王。神々の勝手な都合で、この世界を壊させはしない』
内なる勇者レオンが、心強い笑みを浮かべる。
「ふん、言われずともだ。私が築き上げたこの最高の劇場を、神どもの思い通りにさせてたまるか」
私は身を翻し、地上で私を見上げるクラリスに一瞬だけ優しい視線を送った。
「留守を頼むぞ、クラリス」
「レオン……! 必ず……必ず帰ってきてね!」
クラリスの叫びを背に受けながら、私は足元の魔法陣を爆発させ、一筋の光となって天輪の開いた『天界門』へと跳躍した。
神々が君臨する聖域へ、魔王と勇者の魂を宿した一人の男が踏み込む。
天界を舞台とした、本当の決戦が始まろうとしていた。




