【第24話】 神殺しの聖者と天の刻印
天界の使徒ゼフィロスが散華してから三日。王都グラニアは、未だかつてない狂熱と崇拝の渦の中にあった。
「勇者レオン様は、不敬なる偽りの神をも退けた!」
「我らを導くのは天の神々ではない、勇者レオン様ただお一人だ!」
民衆の間では、私が「神をも超えた絶対の救世主」として語り継がれ始めていた。かつて魔王として世界を恐怖で包もうとした男が、いまや神々の裁きから人類を守る「神殺しの聖者」として神格化されている。
王宮の執務室で、クラリスは複雑な表情を浮か
べながら書類を置いていた。
「レオン……街の熱狂は留まることを知らないわ。でも、私は恐ろしいの。あの使徒が言っていた言葉……『神の理を揺るがす歪み』だなんて……。天界の神々は、本当に私たちを敵とみなしてしまったの?」
「案ずるな、クラリス」
私はレオンの穏やかで気品に満ちた笑みを浮かべ、彼女の手にそっと重ねた。
「神々が語る『理』とは、彼らにとって都合の良い秩序に過ぎない。民が傷つき、虐げられることを容認する神なら、私は何度でもその刃を撥ね退けるまでだ」
「レオン……」
クラリスの頬が微かに赤らみ、その瞳に熱い感銘の色が宿る。
(ふん……我ながら完璧な言葉だ)
だが、彼女の手の温もりが伝わるたび、胸の奥でカチリと不気味な音が鳴る。
かつてなら「愚かな人間の情など」と切り捨てていたはずの感情が、いまや私の胸を温かく満たしてしまう。
私は静かに手を引き、窓の外を見つめた。
その夜。自室の静寂の中で、私は一人鏡の前に立った。
鏡に映るのは、美しき金髪と碧眼を持つ勇者レオンの姿。だが、その瞳の奥を凝視すると、とき折、禍々しい紫黒の光が揺らめく。
『ねえ……魔王。君はどこまで本気で、僕の『正義』を演じるつもりだい?』
頭の中に、内なる勇者レオンの魂が直接話しかけてきた。
以前のような刃を交えるような険しさは薄れ、どこか切なく、それでいて力強い響き。
「お前に答える義務はない、レオン。私は私自身の愉悦のためにこの舞台を演じているに過ぎ
ん」
『嘘だね。君はさっき、クラリスを安心させるために心の底から温かい言葉をかけた。……君の魔王としての魂は、すでに僕の肉体と、人々の祈りによって染まりかけているんだ』
「黙れと言っている」
私は己の胸を強く掴んだ。
使徒ゼフィロスとの戦いで「民衆の祈り」と「聖剣の聖気」を限界まで取り込んだ影響は、刻一刻と私の自我を塗り替えていた。冷酷無情だった魔王の思考回路に、「弱者を救いたい」
「世界を守りたい」という強烈な倫理観が混ざり込んでいく。
侵食されているのではない。
私という存在そのものが、魔王と勇者レオンという二つの魂を融合させた、**『新たなる存在』**へと変貌しつつあるのだ。
『もし……君が最後に「勇者」として死ぬことになったとしても、君は後悔しないかい?』
「くく……ハハハハハ!」
私は鏡の中の己に向かって、不敵な嘲笑を投げかけた。
「後悔だと? 笑わせるな。魔王として散るか、勇者として昇天するか……そのどちらであっても、私がこの世界の歴史を完璧に弄んだ事実は変わらん!」
その時だった。
――ガギィィィィン……!!
突然、世界の「概念」そのものが軋むような不快な音が、天と地の狭間から響き渡った。
王都の夜空を見上げると、満月の周囲に黄金色の巨大な魔法陣――『神罰の天輪』が浮かび上がっていた。
使徒一柱の降臨などとは比にならない、天界そのものがこの地上を消し去らんとする絶対的な破壊の気配。
天輪の中心から、地響きのような厳かな声が大陸全土へと轟いた。
『――地上に生きる愚か者どもよ、聞くが良い』
それは、天界を統べる主神たちの意思そのものだった。
『我が使徒を討ち、世界の理を歪めし悪意の存在・勇者レオン。ならびにそれを崇める不敬なる人類よ。……七日の猶予を与える』
『七日の内に、歪みの元凶たるレオンの首を天へ捧げよ。さもなくば――天輪の光をもって、この大陸の全生命を消滅させる』
空に刻まれた、残虐な選択肢。
神々は、民衆に「自分たちの英雄を自らの手で差し出せ」と命じたのだ。
「七日、か……」
王都が再び恐怖と混乱の悲鳴に包まれる中、私は自室のバルコニーで空に浮かぶ天輪を見上げていた。
神々は、人間という生き物の弱さを知っている。
どれほど英雄を崇めていようと、自分たちの命が懸かれば、手のひらを返して英雄を裏切る。それが人間の浅はかな本質だと分かっているのだ。
「レオン……っ!」
部屋へ駆け込んできたクラリスや兵士たちの顔には、激しい動揺と絶望が滲んでいた。
「神々は……あなたを差し出せと言っている……! そんなの……そんなの酷すぎるわ! あなたは世界を救ってくれたのに!」
クラリスは涙を流しながら、私の鎧の胸元に顔をうずめた。
周りの騎士たちも、拳を固く握りしめ、悔しさに歯噛みしている。
私を差し出せば、彼らは助かるかもしれない。
だが、そこに「勇者を売る」という選択を選ぶ者は、この場には一人もいなかった。
「泣くな、クラリス」
私は彼女の頭を優しく撫で、空の天輪に向かって冷ややかな視線を向けた。
(神どもめ……人間の足元を見たつもりだろうが、甘いな)
彼らが与えた「七日間の猶予」。
それは、私にとって天界へ殴り込むための準備
期間に過ぎない。
「クラリス。全軍に伝えろ」
私は腰の聖剣エルシドを引き抜き、黄金と漆黒のオーラを静かに立ち昇らせた。
「神々に膝を屈する気はない。……七日後、我らは天を仰ぐのではなく、天界そのものを討ち破る」
偽りの勇者は、ついに世界そのものを従え、天界の神々との決戦へと踏み出すのだった。




