【第23話】 断罪の光と偽りの信仰
王都グラニアの中央広場は、未だかつてない静寂と緊張に包まれていた。
天より降り立ちし三対の翼を持つ巨漢――『天界の使徒』ゼフィロス。その全身から放たれる高純度の神聖力は、居合わせた並の騎士たちを圧力だけで膝まずかせ、空気をきしませていた。
「勇者様が……魔王……? そんな嘘、信じるものか!」
「そうだ! レオン様は命を賭して我らを救ってくださった!」
広場を囲む民衆から、天界の使徒へ向けた怒号と罵声が上がる。
彼らにとって、目の前で光を放つ使徒よりも、泥にまみれて魔物と戦い、自分たちを救ってくれた「勇者レオン」こそが唯一無二の信仰だった。
(くく……愉快だな)
私は聖剣エルシドを斜めに構え、レオンの碧眼を怪しく光らせた。
神々が遣わした正義の使徒が「悪」と断ぜられ、かつて世界を滅ぼそうとした魔王が「善」として人々から護られている。これほど美しく歪んだ滑稽劇が、他にあるだろうか。
『哀れな蟲どもめ。狂った理の毒に侵され、真実すら見えなくなっておるか』
使徒ゼフィロスは無機質な声を響かせ、手にした巨大な光の槍――『断罪の聖槍』を天へ掲げた。
『害悪なる歪み・魔王よ。そして神の理を拒む愚民どもよ。等しく灰燼と化すべし!』
槍の穂先から、王都全域を消滅させかねないほどの絶大な神術の光輪が広がる。
「レオン様……っ!」
背後でクラリスが剣を抜き、身構えた。だが、その脚は恐怖で微かに震えている。相手は人間が逆らえる領域の存在ではない。
「下がりなさい、クラリス。——私の街(舞台)で、勝手な真似をされては困る」
私は一歩、前へ踏み出した。
「ハァッ!」
ゼフィロスが頭上から『断罪の聖槍』を振り下ろす。
落雷のごとき速度で落ちる光の濁流。広場の一角が蒸発し、大気が爆ぜる。
ドガァァァァァン……!!
だが、その必殺の光は、私の掲げた左手の一点で完全に止められていた。
「な……なに……!?」
ゼフィロスの仮面の奥で、初めて驚愕の気配が揺れた。
私が展開したのは、聖なる障壁ではない。かつて魔王として絶対の権勢を誇った時代に生み出した、あらゆる魔力と概念を喰らい尽くす無の結界——『虚無の檻』。
「神聖力か、なかなかに質の良いエネルギーだ」
私は左手で光の槍を掴んだまま、口元を歪めてせせら笑った。
「だが、私の世界を壊すには、少しばかり威力が足りんな」
『貴様……魔王の力だけではない……!? 聖剣の加護まで我が神力を相殺しているというのか……!』
ゼフィロスが戦慄する。
そうなのだ。今の私には、旧魔王としての絶対的な絶望の魔力と、本物の勇者レオンが遺した「聖剣エルシド」の聖気が同居している。二つの反比例する力が体内で渦巻き、相乗効果となって規格外の領域へと引き上げられていた。
『――くっ、僕の身体で、神の使徒と戦うつもりかい?』
脳内で、本物のレオンの魂が苦々しく囁く。
(黙って観ていろ、レオン。お前の愛した民を潰されちゃあ、お前も寝覚めが悪いだろう?)
『……勝手な理屈を……!』
内なる勇者の葛藤を力で押さえ込み、私は右手の聖剣を深く引き抜いた。
「さあ……天界の使いとやら。神々の裁きとやらを、私に見せてみろ!」
ドォォォンッ!!
互いの威圧が激突し、広場の石畳が波打つように爆ぜ散った。
ゼフィロスは巨躯に見合わぬ神速で連続突きを繰り出し、空を光の線で埋め尽くす。
私は聖剣エルシドでそのすべてを弾き返し、火花と神聖力の残光が夜空を華やかに彩った。
「すごい……レオン様が、神の使いと渡り合っておられる……!」
「戦え! 勇者様! 負けるなーっ!」
民衆の歓声が、まるで闘技場の熱狂のように広場に響き渡る。
その純粋な祈りと声援が、光の粒となって私の体内に流れ込んでくる。
(ぐっ……!?)
胸が熱い。焼けるように熱い。
民衆の「祈り」が私の中に注ぎ込まれるたび、体内の魔王の根源が浄化され、代わりに「勇者レオン」としての魂の輪郭がより強固に再構築されていく。
『諦めろ! 人々の祈りが僕に力を与えている! 僕たちは一つになり、君の悪意は消え去るんだ!』
「だれが……消えるかぁッ!」
私は咆哮し、ゼフィロスの光の槍を強引に斬り飛ばした。
「神も! 勇者も! 民衆の祈りも! すべて私の掌の上で踊る駒に過ぎんッ!」
漆黒の魔王の覇気と、黄金の勇者の聖気が混ざり合い、私の背後に巨大な双頭の龍の影を生み出した。
一頭は漆黒の魔龍。一頭は黄金の聖龍。
「喰らい尽くせ――『聖魔交錯・極天斬』!!」
――閃光。
空間そのものを切り裂く双色の刃が、ゼフィロスの巨躯を斜めに一閃した。
ズズズズズ……ッ!
三対の翼を切り落とされ、胸を深く引き裂かれたゼフィロスが、巨木のように倒れ込んだ。
その創口から溢れ出るのは血ではなく、眩い神聖力の光だった。
『バカな……神の意志に抗う……聖と魔を統べる存在だと……!? 貴様は……一体何者なのだ……っ!?』
倒れた使徒が、信じられないものを見る目で私を見上げて問う。
私は血のついた聖剣を静かに鞘へ納め、倒れた使徒の眼前に歩み寄った。
そして、彼だけに聞こえる小音波で、冷徹に言い放った。
「私は魔王。……そして、この世界を救う『真の勇者レオン』だ」
「ゆ……歪んでいる……! 世界の理そのものが……貴様という存在によって歪められている……!』
ゼフィロスは戦慄の言葉を残し、光の粒子となって天へと霧散していった。
静寂が戻った広場。
一秒の後、地鳴りのような大歓声が湧き起こった。
「勝ったぁぁぁっ!」
「勇者レオン様万歳! 神の使徒すら退けた、我
らの唯一無二の英雄だぁぁっ!」
人々の絶叫のような歓呼の中、クラリスが駆け
寄ってきた。
「レオン……! 大丈夫……!? あなた、一体……」
「大丈夫だ、クラリス」
私は彼女に、いつもの完璧な英雄の笑みを向けた。
しかし、その胸の奥では、恐るべき変化が確実に進行していた。
(……チッ)
使徒を倒すために民衆の祈りを受け入れ、全力を解放した代償。
私の中で、魔王としての自我が、かすかに、だが決定的に「勇者レオン」の概念と同化し始めていた。
冷徹だったはずの思考に、民衆を愛おしいと思う感情が混ざり込む。
かつて見下していた弱者の涙に、胸を痛める心が芽生え始める。
(このままでは……本当に『本物の勇者』になってしまう……)
だが、恐怖はなかった。
あるのは、己の存在すらも賭けた、壮絶なる運命へのあざ笑いだけだった。
天界の神々は、一度の失敗で諦めるはずもない。
そして、私の中の「本物の勇者」もまた、牙を研ぎ続けている。
「来い……天界の神々よ。そしてレオンよ」
狂気と慈悲を宿した碧眼で、偽りの勇者は遥かなる天の深淵を見つめた。
「この世界という劇場は……まだ誰にも渡さん」




