【第22話】 内なる残響と天よりの警告
神樹の森から王都グラニアへの帰路は、まさに「神話の降臨」を祝う大巡礼の様相を呈していた。
エルフとの不解の同盟を破格の条件で結び、枯れ果てかけた神樹を奇跡の光で蘇らせた勇者レオン——その名は、もはや一国の英雄の枠を完全に超えていた。街道沿いの村々では、私が通りかかるだけで人々が道端にひざまずき、涙を流して祈りを捧げる。
王都の巨門をくぐった私を待ち受けていたのは、街全体を揺らすほどの地鳴りのような歓声だった。
「勇者レオン様万歳!」
「世界を救いし、真の王に栄光あれ!」
頭上から降り注ぐ大量の花弁。病や貧困に苦しむ者たちが一筋の救いを求めて差し出す手。
(クハハ……素晴らしい景色だ)
かつて世界を破滅させようとした魔王は、いまや人類のみならず異種族すらもが縋る地上唯一の絶対的救世主へと成り代わっていた。
「おかえりなさい、レオン」
王宮の回廊で私を出迎えたクラリスの眼差しには、深い愛慕と絶対の信頼が宿っていた。
第一王子の失脚以降、彼女率いる聖騎士団は完全に私を指針として動き、いまや老王すらも私に玉座への即位を乞うている。
「レオン、老王様があなたへの譲位を正式に決定されたわ。……あなたがこの国の、ううん、この世界の王になるのよ」
「……いや、クラリス。私は王冠を辞退する」
「え……? なぜ……?」
驚く彼女の手を、私はレオンの柔らかくも気品ある微笑みを浮かべて包み込んだ。
「王冠などという金属の飾りで、私の責務を縛る必要はない。私はただの『勇者』として、世界中の人々や……虐げられてきた魔族の民をも等しく守る導き手でありたいのだ」
「レオン……あなたって人は、どこまで深く世界を愛しているの……!」
クラリスは感極まり、胸の前で両手を握りしめた。
王冠を戴かずして、王を統べる。
神を称さずして、世界の理を支配する。
——これこそが、偽りの勇者に与えられた究極の統治だった。
その日の夜、私は王城の最上階から王都の夜景を見下ろしていた。
魔王城の地下で私が救い出したあの魔族の少女や民たちも、いまや旧魔王領で人間と平和的な交易を始めている。魔王として暴力と恐怖で征服しようとして果たせなかった「世界の統一」が、いまや「勇者の慈愛」という仮面を被ることで、何一つ血を流すことなく完璧に完成しつ
つあった。
懐から取り出した聖剣エルシドの柄を握り締める。
「退屈しのぎのつもりだったが……最高の興行になったな」
夜風に金の髪を揺らし、碧眼の奥で赤き魔王の光を微かに滾らせながら、偽りの救世主は満足げに静かな笑みを浮かべた。
世界は今日も、彼が紡ぐ美しき嘘に酔いしれ、平和という名の永遠の幻影の中にまどろんでいる。
平和が訪れ、王都グラニアが「勇者レオン」による新たなる秩序の下で穏やかな時を刻み始めてから、数ヶ月が過ぎていた。
人間の王国は安定し、旧魔王領の魔族たちとの交易も軌道に乗り始め、神樹の森のエルフたちも協力を惜しまない。
すべては順調。私の描いた筋書き通り。
……はずだった。
「……くっ!?」
深夜、自室で執務を終えた私は、突如として胸を刺し穿つような激痛に襲われ、デスクに両手をついた。
擬態しているレオンの肉体ではない。
私という「魔王の根源」そのものが、内側から激しく焼き尽くされるような感覚。
腰に差した聖剣エルシドが、誰の力も借りずに黄金の光を放ち、激しく振動している。
『――聞こえるか、魔王』
頭の中に直接、声が響いた。
冷たく、どこか懐かしく、そして青臭いまでに真っ直ぐな男の声。
『いつまで僕の肉体で、僕の『勇者』の名を騙り続けるつもりだ?』
「……何……!?」
私は己の胸を掴み、歯を食いしばった。
そこにいたのは、あの日、魔王城の玉座で相打ちとなり、私に肉体を奪われて消滅したはずの男――本物の勇者レオンの魂だった。
『驚くことはないさ』
頭の中のレオンの声は、哀しくも静かに笑っていた。
『君が僕の体を奪った時、僕の魂は消滅したはずだった。……だけど、君が僕の代わりに世界を巡り、傷ついた人々を助け、子供たちの涙を拭い、仲間たちを守るたびに……人々の祈りと感謝が、僕の魂の欠片を呼び戻したんだ』
(……何だと……!?)
『君が「勇者レオン」として完璧に振る舞えば振る舞うほど、世界の理は君を「勇者」と認識し、僕の魂を呼び覚ます。君が僕の演技を完璧にこなせばこなすほど……君は僕に侵食され、やがて君という魔王は消えてなくなる』
「……戯れ言を……っ!」
私は激痛に耐えながら、体内の魔力を暴走させて内なるレオンの記憶(魂)をねじ伏せようとした。
「消え損ないのガラクタが! 私は魔王だ! お前ごとき青二才の魂など、いつでも踏みつぶせる!」
『ふふ……強がりを言っても無駄だよ。君はもう、以前のような冷酷な魔王には戻れない。……だって君は今、僕の体で、本気でこの世界を救おうとしているんだから』
「黙れ……っ!」
ドォォォン……!!
私から放たれた漆黒の魔力と黄金の聖気が激しく激突し、部屋の窓ガラスが一斉に吹き飛んだ。
「レオン様!? どうされたのですか!?」
衝撃音を聞きつけた親衛隊やクラリスが、廊下から部屋へと飛び込んできた。
私は瞬時に魔力を抑え込み、肩で息をしながら、レオンの爽やかな笑みを貼り付けた。
「……すまない、クラリス。聖剣の魔力調整を誤ってしまってね。部屋を荒らしてしまった」
「まあ……ご無事でしたのね。ですが、顔色がとても悪いわ……」
心配そうに駆け寄ってくるクラリス。
彼女の温かな手に触れられた瞬間、またしても胸の奥で本物のレオンの魂が静かに脈打った。
(くそっ……! 忌々しい……!)
人間からの感謝、仲間からの信頼。
それらが毒のように私の魔王としての存在を削り取り、内なる「本物の勇者」を復活させようとしている。
私が仕掛けた最高のおふざけ(騙し絵)は、私自身を捕らえる底なし沼へと変わりつつあった。
その時だった。
――ズズズズズズズズ……!!
王都全体の空気を揺らす、天地がひっくり返るような巨大な地鳴りが響き渡った。
「な……なに!? 地震……!?」
「見てください! 空が……っ!」
騎士たちの悲鳴に誘われ、吹き飛んだ窓から外を見上げた私は、息を呑んだ。
王都グラニアの上空。
夜空を覆っていた紫黒の雲が、まるで巨大な刃で切り裂かれたかのように左右に割れていく。
そこから降り注いだのは、太陽よりも遥かに眩しく、冷徹な白銀の光の柱だった。
ゴォォォォォォン……!!
王都の中央広場に光の柱が着弾し、激しい衝撃波が街全体を駆け抜けた。
「な……なんだ、あの光は……!?」
「神々の……御光……!?」
街中に民衆の恐慌と歓声が入り交じる中、私はクラリスたちを制し、真っ先に広場へと飛び降りた。
光の煙が晴れた中心に立っていたのは、人間でも、魔族でも、エルフでもない存在だった。
背中に三対の純白の翼を生やし、顔を目隠しの黄金の仮面で覆った、異形の巨人。
全身から溢れ出るのは、人間界の魔力とは根本的に異なる、冷酷で絶対的な「神聖力」。
『天界の使徒』。
神々に仕え、世界の秩序を維持する高次元の存在が、天から直接降臨したのだ。
使徒の仮面の奥から、地響きのような無機質な声が響き渡った。
『――不調和を感知せしゆえ、天より降り立った』
使徒の黄金の視線が、大勢の民衆を通り越し、真っ直ぐに私――勇者レオンへと注がれた。
『偽りの救世主よ。お前は魔王の残滓でありながら、勇者の肉体を奪い、世界の理を狂わせた。……神々は、お前という歪みをこれ以上容認せぬ』
広場に集まっていた民衆や騎士たちが、一斉にざわめき立った。
「な……何を言っているんだあの化け物は!?」
「レオン様が偽物だなんて……そんなバカな!」
「そうだ! レオン様は世界を救ってくださった真の勇者様だぞ!」
民衆は私を庇うように、使徒に向かって怒号を上げた。
彼らにとって、私は間違いなく世界を救った神のごとき英雄なのだから。
しかし、使徒は冷たく宣告した。
『愚かな人間どもよ。騙されるな。その男の内にあるのは、世界を滅ぼすはずだった魔王の魂だ。……神の裁きを受けよ』
使徒が巨大な光の槍を構える。
(クハハ……ハハハハハ!)
私は恐怖するどころか、胸の奥から湧き上がる
激しい歓喜に、口元を大きく歪めた。
魔王としての私を脅かす「内なる勇者の魂」。
そして、偽りの平和を破壊せんと現れた「天界の使徒」。
「面白い……! 最高じゃないか!」
私は腰から聖剣エルシドを引き抜き、黄金と漆黒の入り混じった狂気の光気を全開に放出した。
「神だか使徒だか知らんが……私の作った『最高の舞台』に泥を塗ろうというのなら、神であっても切り伏せるまでだ!」
偽りの勇者と、天界の神々との壮絶なる戦いの火蓋が、今まさに切って落とされた。




