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【第2話】 焦土に咲く白い花

王都グラニアをあとにした私は、街道を一人西へと歩いていた。


豪奢な馬車も、国王が用意しようとした近衛兵の護衛もすべて断った。「静かに旅をしたい」という勇者らしい謙虚な口実を使えば、人間たちは勝手に感涙し、快く私を送り出してくれた。


腰に下げた聖剣エルシドが、歩調に合わせてカチャカチャと鞘の中で揺れている。


この剣は自我に近いものを持っているらしく、真の主であるレオンを殺し、その肉体を奪った私に対して常に小さな不快な振動――人間でいうところの「恐怖の震え」を返してきていた。


「いつまで震えている。不快だぞ」


私が柄に手をかけ、ほんの少しだけ魔力を流し込むと、聖剣は悲鳴のような甲高い音を立てて静まり返った。哀れな金属だ。主の復讐を遂げる気概すらない。


歩きながら、私は己の内に眠る膨大な魔力の奔流を感じ取っていた。


姿をレオンに変え、能力を人間に擬態させているとはいえ、本質は魔王そのものだ。一指を立てれば天変地異を起こし、一歩踏み出せば大地を割ることができる。


だが、今の私はその力を抑え込み、人間の足で地を踏みしめている。


(……魔王城の奴らは、どうしているだろうな)


私が勇者一行を返り討ちにした後、「人間界へ出かける」と言い残して去ったため、城は今ごろ大混乱に陥っているはずだ。参謀の影魔将軍あたりは「魔王様のこと、深謀遠慮な計画があるに違いない」と勝手に納得しているかもしれないが、単なる思いつきの放浪に過ぎない。


魔王が消え、表向きは「平和」が訪れたはずのこの大陸で、私の足は自然とある場所へと向かっていた。


王都から西へ馬で三日。


かつて「始まりの街」と呼ばれ、現在は「黒い灰の街」と蔑まれる場所――アルドである。




街道の木々が途切れ、視界が急に開けた。


そこに広がっていたのは、緑豊かな田園風景……ではなく、黒く焦げた荒野だった。


「……ひどいな」


思わず口から漏れた言葉に、自分自身で嘲笑を

浮かべた。


ひどいも何も、ここをこうさせたのは私だ。


五年前。魔王軍の東方侵攻の際、私は配下の「狂爪将軍」に命じた。


『人間の抵抗拠点を一つ潰しておけ』と。


たった一言の命令だった。羊の群れを散らす程度の、雑な指示だ。


その結果、人口二万を誇った美しき交易都市アルドは、一夜にして炎の海と化し、地図から消え去った。


街の入口に立つと、立ち込める焦げ臭さと土の匂いが鼻をつく。


崩れ落ちた石造りの建物、黒く炭化した木枠。地面には未だに、魔族が放った黒炎の禍々しい爪痕が深く刻まれていた。


だが、そこは完全な廃墟ではなかった。


「おい、そっちの瓦礫を運んでくれ!」


「木材が足りん! 森から切り出してきてくれ!」


そこかしこで、ボロボロの作業着を着た人間たちが働いていた。


テントが建ち並び、仮設の小屋が作られている。家を失い、身内を失った生き残りたちが、泥にまみれながら街を再建しようともがいていたのだ。


私が瓦礫の山を眺めていると、汗と泥にまみれた老人が、手押し車を引いて通りかかった。


老人はふと私に視線をやり――手に持っていた

スコップを落とした。


「……あ、あ……」


老人の目が大きく見開かれる。


「あ……レオンちゃん……? レオンちゃんじゃないか!?」


老人の叫び声に、周囲で作業していた人々が一斉に手を止め、こちらを振り返った。


「レオン!? 嘘だろ、レオンが帰ってきたのか!?」


「勇者様だ……! 魔王を倒したって噂は本当だったんだ!」


人々が、作業道具を放り投げて集まってくる。


泥だらけの手、煤けた顔。だが、その瞳には王都の祝宴で見かけた人間たちと同じ、眩しすぎるほどの「光」が宿っていた。


「レオンちゃん……よく生きて帰ってきてくれた……! お前が……お前たちが魔王を倒してくれたんだな……!」


老人が私の両手を掴み、ボロボロと大粒の涙を流した。


掴まれた手から、老人の激しい震えが伝わってくる。


(レオンちゃん、か……)


私の頭の中で、収集していた勇者レオンのデータベースが検索される。


――レオン・ヴァルハイト。この街アルドの出身。幼少期に両親を病で亡くし、街の人々に育まれた孤児。


そうか。ここは『始まりの街』であると同時に、『勇者レオンの故郷』でもあったのだ。


私は人々にもみくちゃにされながら、広場の中心にある仮設の集会所へと案内された。


そこには、かつてレオンが通っていたという小さな教会の跡地があった。屋根は吹き飛び、壁は崩れているが、がれきがきれいに片付けられ、中央には小さな白い花束がいくつも供えられていた。


「レオン、お前が旅立ってから……この街は魔王軍に襲われた」


老人は、手渡してくれた白湯を一口飲み、遠い目をして語り始めた。名はゴルド。かつてこの街で鍛冶屋をやっていた男だという。


「あの日、天が赤く染まってな。怪物どもが空から降りてきた。何千もの悲鳴が上がって……あっという間に街は火の海だ。わしも妻と孫を失った。生きて残ったのは、街の二割もいらん……」


ゴルドの手が震える。木こりのような分厚い手が、悲しみで小さく縮こまっていた。


「わしらは絶望したよ。神も仏もないと思った。だがな……お前が生きていると知った。お前が聖剣を引き抜き、魔王を倒すために旅立ったと知ったんだ」


ゴルドは私を真っ直ぐに見つめた。その濁った瞳に、私の姿――金髪の勇者の姿が映っている。


「みんなで話し合ったんだ。レオンが戦っているのに、俺たちが泣き寝入りしてどうするって。レオンが帰ってくる場所を作っておこうってな……。だから、わしらはこの焦げた土を掘り返して、街を作り直し始めたんだ」


「……私が……戻る場所を?」


「そうだとも! 魔王が死んだ今、もうあの恐ろしい夜は来ない。お前が命をかけて俺たちの仇を取ってくれたんだ。この街は、お前が守ってくれた命で、もう一度立ち上がるんだよ」


ゴルドが笑った。しわくちゃの顔に、心からの笑顔を浮かべて。


私は、手の中の湯飲みを見つめた。


ぬるい水が、かすかに揺れている。


(……仇を取った、か)


お前たちの仇は、今お前たちの前に座り、お前たちの淹れたぬるい水を飲んでいる。


お前たちの妻と孫を焼き殺すよう命じた張本人が、お前たちから「帰る場所を作っていた」と感謝されている。


胸の奥が、焼け付くように熱かった。


グラニアで幼い少女からお守りを受け取ったとき以上の、吐き気すら覚えるような強烈な違和感。


魔王城の玉座で、敗者たちの命を乞う声を聞くのは快感だった。


だが、この無知な人間たちが向けてくる「純粋な愛と感謝」は、どんな極大魔法よりも深く、私の胸を抉(えぐ)った。


不意に、街の外からけたたましい鐘の音が響き渡った。


『――警戒しろ! 魔物だ! 魔物の群れが襲撃してきたぞ!!』


悲鳴が上がった。


復興作業をしていた人々がパニックに陥り、右往左往する。


「な、なぜだ!? 魔王は倒されたはずじゃ……!?」


「嘘だろ!? なんでこんなところに魔物が!」


私は集会所を飛び出し、街の入口へと走った。


そこにいたのは、低級の魔獣「ガルム」の群れ――三十頭ほどと、それを率いる中級魔族の「小鬼将」だった。


おそらく、魔王城からの統制が取れなくなったことで暴走し、餌を求めて人里へ降りてきた野良の残党だ。


「ヒヒッ! 人間の臭いがするぞ! 喰い散らかせ!」


小鬼将が下品な声を上げ、巨大な鉈(なた)を振りかざす。ガルムたちが唾液を撒き散らしながら、怯える民衆へと躍りかかった。


「ひ、ひいぃっ!」


逃げ遅れた少女が転び、ガルムの鋭い爪がその喉元へ迫る。


次の瞬間。


旋風が巻き起こった。


銀色の閃光が空間を切り裂き、少女に襲いかかろうとしていたガルムの首が、一瞬で三つ飛んだ。


「――が、あ……?」


小鬼将が目を見開く。


少女の前に立っていたのは、聖剣エルシドを抜き放った私だった。


「れ、レオン様……!」


少女が涙目で私を見上げる。私は少女を背中に庇い、静かに剣を構えた。


「お前……その姿、そしてその剣……! 噂の勇者レオンか!」


小鬼将が牙を剥き出しにして叫ぶ。


「魔王様を殺した憎き勇者め! ここで死ねぇっ!」


小鬼将と残りのガルムが一斉に私へ襲いかかってくる。


私はため息をついた。


(……不愉快だ)


魔王である私が、配下の魔族に「魔王の敵」と

して殺意を向けられている。


そして、魔王である私が、人間を守るために配下の魔族を斬らねばならない。


滑稽極まりない戯曲だ。


だが、私の体は迷いなく動いていた。


レオンの剣技を模倣しながら、その軌道にほんの少しだけ己の魔力を乗せる。


――切り払い。一閃。


一秒にも満たない時間。


視界に存在していた三十頭の魔獣と小鬼将の体が、寸分たがわず真っ二つに裂け、同時に黒い灰となって霧散した。


静寂が訪れる。


血の一滴すら、聖剣には付着していなかった。


「……すごすぎる……」


「一瞬で……あの魔物の群れを……!」


静まり返っていた民衆から、地鳴りのような歓声が上がった。


「勇者様万歳!」「レオン! レオン!」


人々が駆け寄ってきて、私を取り囲む。命を救われた少女の母親が、私に何度も頭を下げ、涙を流して感謝した。


私は、黒い灰となって消えていく魔族の残骸を見つめていた。


かつては私の忠実な部下であり、私の手足となって世界を奪おうとした存在。それを、私は今、人間の歓声の中で切り捨てたのだ。


(これが……私の選んだ道か)


己の罪が作り出した被害者を助け、己の配下であった悪を自らの手で刈り取る。


誰からも正体を知られず、誰からも本当の自分を見てもらえないまま、偽りの英雄として感謝され続ける拷問。


私は腰の鞘に聖剣を収めた。聖剣エルシドは、先ほどまでとは違い、どこか哀悼を込めたような静かな微振動を返してきた。


「レオンちゃん……ありがとう、本当にありがとう……」


ゴルドが私の肩を抱き、涙を拭った。


私はレオンの笑みを浮かべ、優しく答えた。


「いいえ。この街は……私が必ず守ります。二度と、焼かせはしません」


それは偽りの勇者の言葉であり、同時に、この世界を壊した魔王の――初めての「約束」だった。


焦土に咲いた白い花のように、この復興の街で、私の不条理な旅は確かな一歩を踏み出した。

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