【第16話】 砕かれた虚妄と破滅の玉座
眩いばかりの純白色の閃光が、狂気に満ちた『玉座の間』を呑み込んだ。
聖剣エルシドが放つ幾千の聖なる光線と、私が内に秘めた漆黒の魔力がせめぎ合い、そして融合する。その破滅的な一撃は、禍々しく脈打っていた巨球『血塗られた黒心』の真っ芯を正確に撃ち抜いた。
パキン――と、世界が静寂に包まれるような高い音が響く。
次の瞬間、数千の犠牲者の生血と念によって練り上げられていた泥の塊に、放射状の亀裂が走った。
「な……バカな……! 我が至高の主の……復活の肉体が……っ!?」
ヴァルグレイの血走った複眼が破滅を捉える。
『黒心』は内側から弾け飛び、中に溜め込まれ
ていた莫大な魔力が暴走した。だが、それは破滅の爆発ではない。聖剣の光によって浄化された無数の魂が、哀しくもどこか安らかな光の粒となって、天井を突き抜け、夜空へと還っていく救済の光景だった。
虚妄の魔王は、産声をあげることすら許されずに消滅した。
「あぁぁ……あぁぁぁ……っ!」
ヴァルグレイが四つの膝を地面につき、狂乱の慟哭を上げた。
「なぜだ……! なぜなのだ、勇者レオンッ! 我らはただ、失われた魔王様を取り戻したかっただけなのだ! 魔族の栄光を、あの絶対なる主の威光を、再びこの世界に満たしたかっただけなのだぁぁっ!」
咆哮するヴァルグレイの前に、私は静かに降り立った。
白銀の甲冑には傷一つなく、手にした聖剣からは穏やかな光が溢れている。
「ヴァルグレイ」
私はレオンの声のまま、冷徹に彼を見下ろした。
「お前たちが望んでいたのは、魔王の再降臨ではない。……己の恐怖を打ち消すための『象徴』であり、己の欲望を肯定するための『絶対的な暴力』だ」
「何だと……!?」
「主を失った恐怖に耐えかね、弱き同胞の血を吸い上げ、泥の傀儡を作って拝む……。それがお前たちの言っていた『忠義』の正体か? 笑わせるな」
私は古代語を混ざり合わせ、彼だけに届く声で引導を渡した。
『――お前たちが踏みにじった弱者の中にこそ、かつての我が求めた「牙」があったというのに。……失望させたな、ヴァルグレイ』
ヴァルグレイの身体が激しく震えた。
瞳から濁った赤が消え、溢れ出たのは恐怖と、すべてを悟った圧倒的な絶望だった。
「あ……あぁ……。そう……だったのですか……。我らは……最初から……あなた様の……手の平の上で……っ」
「眠るがいい、不忠の臣よ」
聖剣エルシドが一閃した。
首を刎ねられたヴァルグレイの巨躯は、苦痛の
表情を浮かべることなく、静かに黒い灰となっ
て崩れ去った。
四魔将が一角――『極魔将軍』ヴァルグレイ、消滅。
ドゴォォォン……!
核心を失った魔王城が、激しい鳴動とともに崩壊を始めた。
天井から巨大な漆黒の巨石が次々と落ちてくる。かつて私が世界に君臨した象徴であり、数知れぬ英雄たちの血を吸い上げてきた居城が、
今やただの瓦礫の山へと変わりつつあった。
私は崩れ落ちる玉座を一瞥した。
(さらばだ、我が旧き家よ)
未練は微塵もなかった。
玉座に座って世界を冷たく見下ろしていた数百年間よりも、偽りの英雄として泥にまみれ、人間や魔族の交錯する欲望と祈りを観察している今の数ヶ月の方が、遥かに愉悦に満ちていたからだ。
私は身を翻し、崩落する螺旋階段を軽やかな足取りで駆け下りていった。
懐の中で、孤児院の子供たちから貰ったどんぐりの首飾りがカタカタと小さく揺れていた。
夜明けの光が、荒涼とした魔大陸を照らし始めていた。
魔王城の地下水路を抜けた先、小高い丘の上で、私は足を止めた。
遠く背後では、かつての魔王城が黒煙を上げて完全に崩れ去り、巨大な歴史の終焉を告げていた。
「お兄ちゃん――っ!」
歓声とともに、小さな影が駆け寄ってきた。コルだ。
その背後には、救出された彼の母親や、長老ギド率いる数十人の魔族の避難民たちが集まっていた。
「お兄ちゃん! 無事だったんだね! 魔王城が崩れて……心配したんだよ!?」
コルが私の脚に抱きついてくる。
「約束しただろう、死なないと」
私はコルの頭を優しく撫で、集まった魔族たちを見渡した。
彼らは崩壊した魔王城と、そこに佇む私を交互に見つめ、一斉にその場にひれ伏した。涙を流し、胸の前で深く祈りを捧げている。
「勇者様……! 我らを虐げていたヴァルグレイ軍を破り、城を粉砕してくださった……!」
「神よ……人間の中に、これほどまでに慈悲深いお方がおられたとは……!」
魔族たちが、己たちの最大の敵であったはずの
「勇者」を、神のごとく崇めている。
皮肉にもほどがある光景だった。
魔王である私が、同胞である魔族を害する将軍を討ち、魔族の民から「命の恩人」として感謝されているのだから。
「ギド長老」
私は老人に声をかけた。
「これからどうする?」
「はい……。ここよりさらに西、人間の届かぬ辺境の地に、争いを嫌う魔族の隠れ里がございます。我らはそこへ向かい、一からやり直すつ
もりです」
ギドは私に深く頭を下げた。
「勇者レオン様。……あなた様が示してくださったこの恩義、我ら魔族は永遠に忘れませぬ。人間と魔族が共に生きられる日が来るとは思いませぬが……あなた様という光が存在することだけは、子々孫々に語り継ぎましょう」
「……好きにするといい」
私は短く答え、彼らに背を向けた。
朝日が、荒野を金色に染め上げていく。
コルが名残惜しそうに何度も振り向きながら、母親に手を出引かれて歩いていく。
「お兄ちゃん! バイバイ! 絶対にまた会おうね――っ!」
遠ざかっていくコルの声。
私は一人、風が吹き抜ける荒野に立ち尽くしていた。
四魔将のうち、ヴォルガスとシェルファ、そしてヴァルグレイを自らの手で葬り、ヴァルナは恐怖で封じ込めた。魔王軍の組織的侵略は、これで完全に頓挫したと言っていい。
だが――世界が平和になるわけではないことを、私は誰よりも知っていた。
魔王軍という外敵が消えたことで、人間の王国はこれから本格的な権力闘争と内乱の時代に突入するだろう。そして、私という「圧倒的強者」を巡る醜い陰謀が、王都で渦巻いているはずだ。
「……ふっ」
私は口元を歪め、冷たい笑みを浮かべた。
「待ち受けているのは、退屈とは程遠い劇場のようだな」
腰の聖剣エルシドが、朝光を受けて静かに輝
く。
魔王が演じる偽りの勇者は、残された「人間世界の闇」を切り裂くため、再び王都へと歩みを進めるのだった。




