【第15話】 地下の慟哭と玉座の傀儡
長老ギドから授かった地図を頼りに、私とコルは魔王城の地下水路へと足を踏み入れた。
ぬめり気のある漆黒の石壁。頭上からは不快な水の滴る音が響き、漂ってくる匂いは水蒸気ではなく、生臭い血と魔力の混ざり合った腐臭だった。石床の溝には、赤黒い液体が静かに流れ
落ちている。
城の最深部、地下大牢獄。
「う……うぁぁ……っ」
「助けて……誰か……」
鉄格子の奥から、掠れた悲鳴やうめき声が聞こえてくる。
そこに囚われていたのは、人間だけではない。
ヴァルグレイの命令に従わなかった魔族の民、村から掠奪されてきた子供や女性たちが、魔力を吸い上げる不気味な鎖で繋がれ、床にへたり込んでいた。
彼らの体から吸い上げられた生命力と血が、天井の導管を通じて、上の階層――玉座の間へと吸い上げられているのだ。
「か……かあさん……! かあさんっ!」
突然、コルが私の手を振り払い、ある牢獄の前
へと駆け寄った。
「コル……!? コルなの……!?」
鉄格子の陰から、衰弱しきった女性の魔族が顔を出した。紫色の瞳、コルの面影を残した面立ち。コルの母親だった。
「かあさん! 生きてた……よかった……っ!」
「コル、どうしてここに……逃げなさいって言ったでしょう……!?」
母親は涙を流しながらも、息子の身を案じて叫んだ。だが、その視線がコルの背後に立つ私―
―白銀の甲冑を纏った「勇者」の姿を捉えた瞬間、彼女の顔が絶望に染まった。
「あ……あぁ……人間……? 勇者……!? コル、離れなさい!」
周りの牢獄にいた魔族たちにも動揺が広がる。
「勇者だ……! 勇者が殺しに来たんだ……!」
「ひぃっ……! もうおしまいだ……!」
恐慌を来す魔族たち。
私はため息をつき、静かに歩み出た。
「騒ぐな、声が大きい」
私は聖剣エルシドを引き抜き、刃を一閃させた。
カキンッ!
魔術封印が施された頑丈な鉄格子と、魔族たちを縛り上げていた吸血の鎖が、まるで豆腐のようにあっさりと切り飛ばされた。
「え……?」
脱力してへたり込む母親を、コルが必死に抱きとめる。
「かあさん、大丈夫!? このお兄ちゃんは敵じゃないよ! 僕を助けてくれた、すごい勇者様なんだ!」
「勇者が……魔族の私達を……?」
母親だけでなく、解放された数十人の魔族たちが呆然と私を見つめていた。
私は聖剣の血を払い、冷淡な声をかけた。
「水路の出口は確保してある。動ける者は怪我人を担ぎ、速やかにここを脱出しろ」
「ゆ……勇者様……! なぜ……我々のような魔族を……?」
一人の老いた魔族が、震える声で尋ねた。
私はレオンの柔らかい笑みを浮かべ、彼らを見渡した。
「魔王は死んだ。……これ以上、誰の血も流させはしない。人間も魔族も、命の重さに違いはないのだから」
「おお……っ! 神よ……いや、勇者様……!」
魔族たちが一斉に涙を流し、私に向かって手を合わせる。
胸の奥で渦巻く不条理な愉悦。だが同時に、彼らの流す涙の温かさが、私の偽りの心臓をかすかに揺さぶっていた。
「コル。母親を連れて行け」
「うん! ありがとう、お兄ちゃん! 絶対に死ん
じゃダメだよ!」
コルは私に深々と頭を下げ、母親の手を引いて避難路へと走り出した。他の魔族たちも、私への感謝を口にしながら次々と地下水路へ逃げていく。
誰もいなくなった地下牢獄で、私は一人、天井を見上げた。
「さて……汚物のお掃除と行くか」
地下牢獄を抜け、私はかつて自らの居城であった魔王城の螺旋階段を上っていた。
幾千の夜を過ごした場所。
かつては私の歩みに合わせて灯った松明は落ち、壁は亀裂が走り、禍々しい紫黒の魔力によって汚染されていた。
(我が城をこれほどまでに汚すとはな、ヴァルグレイ……)
階段を登り切り、見慣れた漆黒の大扉の前に立
つ。
『玉座の間』。
かつて私が全能の主として君臨し、四魔将を従
え、世界への侵攻を命じた場所だ。
扉を押して開くと、狂気的な魔力の波動が爆風となって吹き抜けた。
ドォォォォン……!!
広大な玉座の間。その中央には、地下牢獄から吸い上げられた膨大な生血と魔力を集めて脈打つ、巨大な赤黒い球体――『血塗られた黒心』が漂っていた。
球体の中には、うっすらと禍々しい鬼神のシルエットが形作られつつある。
そして、その球体の下に佇んでいたのは――
身の丈四メートルを超える、漆黒の四本腕の巨漢。
四魔将が一角――『極魔将軍』ヴァルグレイ。
「……遅かったな、勇者レオン」
ヴァルグレイがゆっくりと振り向いた。
その瞳は濁った赤に染まり、正気を失った狂信者の輝きを放っていた。
「ゾルバが破られたか。だが……すでに遅い! 見よ! 我が絶対の主、アクロウ魔王様の『御心』が……新たなる肉体を得て、今まさに再降臨されようとしているのだ!」
「……あれが、お前の言う『魔王』か?」
私は聖剣エルシドを構え、せせら笑うように球体を見上げた。
そこに浮いているのは、無数の犠牲者の怨嗟と憎悪を捏ね繰り回して作った、ただの命の塊――理性も意思もない、ただ暴れるだけの「殺戮の傀儡」だ。
「醜いな」
私の口から、冷徹な一言が漏れた。
「何……?」
「泥を捏ねて作ったガラクタに、私の……いや、魔王の名を冠するなど、滑稽を通り越して不快だ、ヴァルグレイ」
ヴァルグレイの顔が激怒で歪んだ。
「貴様……! 魔王様を、我が至高の主を愚弄するかァッ! 貴様のような下等な人間が魔王様を殺したことすら万死に値するというのに……そんな不遜な口を叩くか!」
ヴァルグレイが四本の腕に巨大な黒鉄の戦鎚を構えた。
全身から放たれる衝撃波だけで、城の太い柱が次々と粉砕されていく。
「この『黒心』に、お前という最高の勇者の生命力を注ぎ込めば、魔王様は完全に復活される! 死ねぇぇ、勇者レオンッ!」
咆哮とともに、ヴァルグレイの巨躯が跳躍した。
四本の戦鎚が、空間を押し潰すような圧殺の質量となって、私の頭上へと振り下ろされる。
「――消えろ、不忠の臣が」
私はレオンの身のこなしで前方に踏み込み、聖剣エルシドを一閃させた。
黄金の聖気と、私の内に潜む漆黒の魔力が混ざり合い、異形の一閃となってヴァルグレイの戦鎚を正面から迎え撃つ。
ズドォォォォン……!!
衝撃波が玉座の間を吹き飛ばし、天井の装飾が崩れ落ちた。
「ガッ……!? この……重量……ただの人間では……っ!?」
押し合いの中で、ヴァルグレイの複眼が私を間近で捉えた。
その瞬間。
私はレオンの碧色の瞳の奥に、かつて自分を屈服させた『真の魔王』の眼光をチラつかせ、古代語で囁いた。
『――我が名を騙るのも、大概にしろ』
「……なっ……!? あ……あぁ……っ!?」
ヴァルグレイの巨躯が、歓喜と絶望と激しい混乱で激しく凍りついた。
目の前の勇者が放つ、絶対の威圧。
狂信していた「主」の気配が、倒すべき「宿敵」の体内から溢れ出しているという、壊滅的な矛盾。
「まさ……か……あなた様……が……!?」
ヴァルグレイが隙を見せたその一瞬。
私は聖剣エルシドを深々と引き抜き、偽りの魔
王を育む『血塗られた黒心』へ向けて、全魔力を込めた突撃を敢行した。
「これが――私の幕引きだ」
閃光が、狂気の玉座の間を真っ白に染め上げた。




