【第14話】 黒き城郭と歪んだ王冠
絶望の大陸を覆う紫黒色の空が、刻一刻と激しさを増していた。
私と魔族の少年コルは、赤く灼けた岩肌が続く荒野を突き進んでいた。道中、怪獣や野良の低級魔族が幾度となく襲いかかってきたが、いずれも私の振るう聖剣の露と消えた。
「お兄ちゃん、あそこ……! 僕たちの集落があった場所だよ」
コルの指差す先、巨大な裂け目のふちに、打ち捨てられた石造りの集落が見えた。
家屋は倒壊し、黒焦げた痕跡が残っている。極魔将軍ヴァルグレイの配下によって荒らされた残骸だ。
だが、完全に人が立ち去ったわけではなかった。
崩れた建物の陰から、怯えたような視線がいくつも私たちに向けられている。
「コル……!? 生きていたのか!」
瓦礫の隙間から、片角の折れた年老いた魔族が躍り出てきた。コルの元いた集落の生き残りだ。
しかし、老人はコルの隣に立つ私――金髪碧眼に白銀の甲冑を纏った「勇者」の姿を目に留めるや否や、悲鳴を上げてその場にひれ伏した。
「ひぃっ……! ゆ、勇者……! 討伐隊がこんなところまで来たのか……! 助けてくれ、我らにはもう戦う力など……!」
集落の奥から、数人の女性や子供の魔族たちが震えながら身を寄せ合っている。
人間界では「恐ろしい悪鬼」として語られる魔族。
だがそこにいたのは、家を奪われ、同胞に裏切られ、ただ身を縮めて怯えるだけの脆弱な弱者たちだった。
「老いぼれ、顔を上げろ」
私は低く冷ややかな、だが静かな声をかけた。
「私はこの子に案内されてここへ来た。お前たちを殺すつもりはない」
「え……? 勇者が……我々を生かすというの
か……?」
「お兄ちゃんは優しいんだよ!」
コルが叫ぶように言葉を重ねた。
「お兄ちゃんは僕の足を治してくれて、追っ手の魔族を追い払ってくれたの! 人間の勇者だけど……僕たちを助けてくれるんだ!」
老人は信じられないものを見る目で私とコルを交互に見つめ、ぽろぽろと涙をこぼしながら地面に頭をこすりつけた。
「おお……なんということだ……。魔王様が亡くなり、世界は狂ってしまった……。まさか敵であったはずの勇者様に救われるとは……」
老人の名はギド。かつて魔王城の兵糧を納めていた鍛冶師の村の長老だった。
ギドの案内で、私たちは地下の隠し避難所に足を踏み入れた。そこには数十人の傷ついた魔族たちが、身を寄せ合って飢えと恐怖に耐えていた。
私は懐から、かつて王都で手に入れた非常食の干し肉やパンを彼らに分け与えた。
人間が食べる高純度の食糧だ。魔族の子供たちは争うようにそれを貪り、母親たちは私に何度も深く頭を下げた。
「ギド。ヴァルグレイが執り行っている『魔王復活の儀式』について、知っていることを話せ」
私は壁に背をもたれかけ、静かに問いかけた。
ギドは痛ましそうに顔を歪め、語り始めた。
「ヴァルグレイ様は……正気を失っておられます。魔王様が討たれたという報せを受け、城の地下深くに封印されていた『血塗られた黒心』と呼ばれる古代の呪物を取り出しました」
「血塗られた黒心……?」
「はい。古代の魔術師が作った、莫大な魔力を溜め込むための禁忌の器です。ヴァルグレイ様はそこに、捕らえた純血の魔族や人間の『生血』と『命』を注ぎ込み、新たな魔王様の肉体を練り上げようとしておられます」
ギドの手が震える。
「あの方の狙いは……魂の入っていない、ただの『殺戮の傀儡』です。魔王様の威光を借りて、全土を滅ぼすための破壊兵器を作り出そうとしているのです……!」
「……不快だな」
私の口から、低く重い呟きが漏れた。
(私の死を捏造し、その残滓と称してガラクタの傀儡を作り出すだと?)
己の居城で、己の部下が、己の名を騙って同胞の血を吸い上げている。
かつての私は「強者が弱者を食らう」のを当然のこととして許容していた。だが、自分の存在を醜悪な傀儡として利用されることだけは、魔王としての尊厳が断じて許さなかった。
「長老。魔王城への隠し通路はあるか?」
「えっ……? 勇者様、まさかお一人で……?」
「表の城門は固かろう。私はヴァルグレイを討ち、その偽りの儀式を粉砕する。……これ以上、お前たちの同胞が生贄になるのを見過ごすわけにはいかない」
「勇者様……!」
ギドをはじめ、避難所の魔族たちが感涙の声を上げる。
(ふん……お前たちが感謝している『勇敢な救世主』は、お前たちが拝んでいた魔王そのものだというのにな)
人間からも、魔族からも、感謝され、縋られる。
胸の奥で渦巻く歪んだ愉悦と、かすかな誇らしさ。
私はギドから城の地下水道へと繋がる秘密の抜け道の地図を受け取った。
集落を後にした私とコルは、旧魔王城の外郭を守る要塞――『血断の関所』へと到達した。
漆黒の巨石で積まれた巨大な門。そこはかつて、私が人間界への進撃命令を下した場所であり、魔王軍の最前線拠点だった。
門の前には、全身を黒漆塗りの重甲冑で固めた巨大な魔人――ヴァルグレイの副官である『狂骨将』ゾルバが、巨大な両刃斧を手に立ちはだかっていた。
「ぬ……? 何者だ、このようなところに……」
ゾルバの赤く光る複眼が、私を捉える。
「……金髪に白銀の甲冑。その眩しいまでの気配……まさか、我が主を討ち取った『勇者レオン』か!?」
「そうだ」
私は聖剣エルシドを引き抜いた。
「通してもらうぞ、ゾルバ。ヴァルグレイの狂気じみた儀式を止めるために」
「ハハハハハ! ぬけぬけと抜かしおるわ!」
ゾルバが大地を揺らす高笑いを上げた。
「魔王様を殺し、我が魔族の栄光を奪った仇敵
が、自ら死に入撃ちに来るとはな! ちょうどいい、ヴァルグレイ様が求めておられる『最高の生贄』として、お前の首を捧げてやるわぁぁっ!」
ゾルバが両刃斧を振り上げ、目にも留まらぬ速さで跳躍した。
空を切り裂く威圧感。大気が灼け落ちるほどの暴力の塊。
「死ねぇっ、勇者ぁぁっ!」
振り下ろされた斧が、私を頭上から粉砕せんと襲いかかる。
だが。
私は避けることすらもしなかった。
ただ左手を掲げ、聖剣の鞘でその巨大な斧の刃
を受け止めた。
ずずんっ!!
衝撃波が周囲の岩山を崩し、大地に巨大な亀裂が入る。
しかし、私の足元は一ミリたりとも動いていなかった。
「な……なにぃっ!?」
ゾルバが目を見開く。
「……弱いな」
私はレオンの声で、冷たく言い放った。
「かつての魔王軍の将は、もっと骨があったはずだ。……ヴァルグレイの犬に成り下がり、弱者から血を吸い上げるような真似をしているから、技が鈍るのだ」
「お、お前に……何がわかる……! 我らは魔王様の無念を晴らすために……っ!」
「無念だと?」
私は左手に込める力に、ほんの少しだけ――本物の「魔王の威圧(覇気)」を混ぜ合わせた。
「――主の面影を穢すような真似をして、主が喜ぶとでも思ったのか、戯けが」
「ひっ……!?」
ゾルバの顔から一瞬で血の気が引いた。
彼の目に映ったのは、金髪の勇者の姿ではない。
その背後にそびえ立つ、かつて絶対的な力で己たちを平伏させた『絶対者』の禍々しい影だった。
「あ……あ……まさか……お前……っ!?」
ゾルバが恐怖に喉を鳴らした瞬間。
私の右手の聖剣が、光となって閃いた。
——『一閃』。
ゾルバの巨体が固まり、一秒の静寂の後、腰か
ら上が滑るように地面へ落ちた。
「……バカな……なぜ……あなたが……」
絶命の言葉を残し、ゾルバの体は黒い灰となって夜風に溶けて消えた。
血断の関所は破られた。
崩れ落ちた門の向こうに、見慣れた、だが今は不気味な紫色の魔力に包まれた巨大な城――かつての私の居城『魔王城』が姿を現した。
城の最上階からは、太い赤黒い光の柱が天に向かって伸びている。
あれが『血塗られた黒心』に溜め込まれた、無数の命の怨嗟だ。
「お兄ちゃん……あれが魔王城……?」
背後でコルが震える声で尋ねる。
「ああ。……あの中に、お前のお母さんも、捕らえられた魔族たちもいる」
私は聖剣の血を払い、静かに鞘へと収めた。
「行こう、コル。偽りの王冠を戴く愚者どもに、本物の絶望を教えてやる時間だ」
かつて世界を破滅させようとした魔王が。
今は『勇者』として、己の城を陥落させるために歩み出す。
長きにわたる騙し合いの旅路。
その最大のクライマックスとなる「魔王城奪還戦」の幕が、今静かに上がろうとしていた。




