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【第13話】 魔族の涙と偽りの庇護

赤く染まった不毛の大地に、冷たい風が吹き抜ける。


「……殺さないの……? 僕は、魔族だよ……?」


紫色の瞳を涙で濡らし、地面にへたり込んだままの少年が、震える声で私を見上げていた。


私は聖剣エルシドを鞘に収め、少年の前に屈んだ。勇者レオンの優しげな眼差しを崩さぬまま、静かに言葉をかける。


「戦う意志のない者を切り捨てる趣味はない。それに……子供を害しては、亡くなった仲間たちに合わす顔がないからな」


口から出たのは、絵に描いたような英雄の台詞だ。


だが、私の胸の奥では小さな冷笑が揺れていた。


かつての私なら、魔族の子供だろうと足元の虫ケラと同じように踏み潰していた。命の価値など考えたこともなかった。それなのに今、私は「勇者」の言葉を借りて、目の前の魔族を庇おうとしている。


「君の名前は?」


「……コル。コル・アッシュ」


少年は咽び泣きながら、自らの名を口にした。


「なぜ、こんなところで傷を負っていたんだ? ここは戦場に近い。子供が一人で歩き回るような場所ではないはずだが」


私の問いに、コルは恐怖に肩をすくませ、絞り出すように答えた。


「に、逃げてきたんだ……。僕たちの村から……。極魔将軍ヴァルグレイ様の兵隊がやってきて、村の大人も、子供も……みんな連れて行かれちゃったんだ……!」


「連れて行かれた……? どこへだ」


「魔王城だよ……。ヴァルグレイ様が『魔王様を復活させるための肉柱(生贄)を集めろ』って……。断ろうとした村長さんは、その場で殴り殺されて……僕はお母さんに逃がされて……」


コルの拳が、黒い土を強く握りしめた。


「魔王様が死んじゃってから、みんなおかしくなっちゃったんだ……! 将軍様たちは『人間のせいだ』って怒って、僕たちみたいな弱い魔族から食べ物も命も奪っていく……。こんなの……こんなの絶対におかしいよ……!」


――ボロボロと流れる魔族の少年の涙。


私は無言でそれを見つめていた。


(……なるほどな)


魔王城の玉座に座っていた頃、私は魔族の末端がどのように暮らしているかなど、興味すら持たなかった。強者が弱者を支配し、掠奪するのは魔族の摂理だと切って捨てていたからだ。

だが、私が気まぐれで玉座を捨て、勇者となって姿を消した結果――


残された部下どもは暴走し、人間界を脅かすだけでなく、己の同胞である弱き魔族たちをも踏みにじっていた。


「人間も……魔族も……みんな怯えてるんだ……。どうして……どうしてこんなことになっちゃったの……っ」


コルの慟哭が、荒野に虚しく響く。


人間だけではなかった。


私という存在がもたらした絶望と混沌は、私が滅ぼそうとした人間界だけでなく、私が統べ出でたはずのこの魔大陸にまで深く根を張っていたのだ。


私は懐から、王都を出る際にクラリスから受け取った小さな回復薬を取り出した。


人間の聖騎士団が使う高品質の薬だ。


「これを飲め。傷が塞がる」


「え……? でも、これは人間の薬……」


「魔族の体に効かないわけではない。ほら」


瓶の栓を抜き、コルの口元へ運ぶ。コルは恐る恐るそれを飲み干すと、すぐに効果が現れたのか、足の切り傷が光とともに塞がっていった。


「す……すごい……痛くない……」


コルは驚いたように自分の足を見つめ、それから不思議そうに私を見た。


「あのね……お兄ちゃん。お兄ちゃんは『勇者』なんでしょ……? 人間のヒーローなんでしょ……?」


「ああ」


「じゃあ……なんで僕たち魔族を助けてくれるの……? 勇者は……魔族をみんな殺すんじゃないの……?」


純粋で、どこまでも無垢な疑問。


私はほんの一瞬、答えに詰まった。


(なぜ、助けるのか……?)


退屈しのぎの戯れだからか。勇者としての演技を全うするためか。


あるいは――


『私を救ってくれて、ありがとうございました』


あの王都で、手縫いのお守りをくれた人間の少

女の顔が過る。


人間も、魔族も、恐れ、泣き、助けを求める姿に違いはない。


私が壊した世界で生き惑う哀れな犠牲者という意味では、両者は全く同じ存在だった。


「……私の仲間にも、争いを望まない者がいた」


私はレオンの柔らかい笑みを貼っ付け、コルの頭にそっと手を置いた。


「魔王を倒せば、すべてが終わると思っていた。だが……罪のない子供が泣いているなら、それが人間であろうと魔族であろうと、私は手を差し伸べたい。……そう思うのは、間違っているかな?」


「う……ううん……っ!」


コルは再びボロボロと涙を溢れさせ、私の甲冑

に顔を埋めて泣きじゃくった。


「ありがとう……お兄ちゃん……! ありがとう……っ!」


人間から感謝され、今度は魔族の子供から感謝

される。


心臓の奥が、焼け付くように熱かった。


勇者として生きることが、静かに、確実に私という魔王の輪郭を削り取っていく。


だが……不快ではなかった。むしろ、胸のすくような皮肉な愉悦すら感じていた。


その時――激しい地鳴りが響いた。


「ヒヒッ! 見つけたぞ、逃げ出したガキめ!」


荒野の地平線から、数頭の巨大な魔獣に跨がった魔族の兵士たちが姿を現した。


極魔将軍ヴァルグレイの直属部隊――『狂骨隊』の残党だ。


「おいおい、なんだあの金髪の奴は? 人間のスカベンジャー(屍拾い)か?」


「待て……あの佇まい……腰の聖剣……! まさか、魔王様を討ち取ったという噂の『勇者レオン』か!?」


兵士たちが色めき立つ。殺気と恐怖が混ざり合

った視線が一斉に私へと注がれた。


「運がいい! ガキの回収ついでに勇者の首を持ち帰れば、ヴァルグレイ様から大層な褒美がもらえるぞ!」


「殺せーっ!」


魔獣たちが咆哮を上げ、大地を蹴って突進してくる。


「ひいっ……!」


コルが私の背中に隠れ、ガタガタと震える。


私は静かに立ち上がり、聖剣エルシドの柄に手をかけた。


(不愉快だな)


弱者を踏みにじる配下どもの醜悪さ。


かつての私が許容していた「暴力の理」が、今の私の目にはひどく下等で、汚らわしいものに見えていた。


「コル。目を閉じていなさい」


「え……?」


「一瞬で終わる」


踏み込んだ。


音すらない。


光すら遅れてついてくるほどの、絶技。


私が振るったのは、剣聖ガレスから奪った究極の一閃――『無空斬』。


空間そのものを滑るように走り抜けた刃の軌跡が、突進してきた魔獣ごと、魔族の兵士たちを平行に切断した。


「が……あ……?」


首を刎ねられたことすら気づかぬまま、兵士たちの体が崩れ落ち、黒い灰となって霧散していく。


血の一滴すら、私の甲冑を汚すことはなかっ

た。






静寂が戻った荒野で、私は静かに聖剣を納めた。


目を開けたコルは、呆然と目の前の光景を見つめていた。追っ手の一団が、痕跡すら残さず消え去っていたのだから当然だ。


「お兄ちゃん……すごい……」


「……立ち上がれるか、コル」


私が手を差し出すと、コルはその小さな手をしっかりと握り返してきた。


「これから、魔王城へ向かう」


「えっ……!? あそこは……ヴァルグレイ様たちがいて、すごく危険だよ!?」


「だから行くのだ」


私は紫色に濁る魔王城の空を見上げた。


「お前の母親や、捉えられた魔族たちを救い出す。そして……私という存在の『過去』に、決

着をつけるために」


「お兄ちゃん……」


「ついてくるかい?」


コルは一瞬不安そうに怯えたが、すぐに強い眼差しで頷いた。


「うん! 僕、お兄ちゃんについていく! お兄ちゃんなら……きっとみんなを助けてくれる!」


無垢な信頼の瞳。


私は小さく口元を歪めた。


かつて世界を絶望に突き落とした魔王が。


今は魔族の少年の手を引いて、己の元居城へと向かって歩いている。


偽りの勇者の物語は、いよいよその核心――『本物の魔王』と『偽りの魔王』が交錯する、最大の狂乱へと突き進もうとしていた。

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