【第11話】 夢幻の果てと真実の瞳
夜空を埋め尽くす異形の群れが、怒号とともに降り注ぐ。
低級の怪鳥、黒炎を吐く竜種、肉塊のような魔獣。数万を超える死の軍勢が、ただ一人の男――私を殺すためだけに殺到していた。
「死ねぇ、勇者ァ!」
「魔王様の無念を晴らせ!」
大気を震わせる咆哮。それに対し、私はただ静かに右足を一歩前に踏み出した。
腰の聖剣エルシドを引き抜く。黄金の光が夜の
闇を切り裂いた。
私が放ったのは、勇者レオンが得意としていた基本の真向斬り――『光閃』。
だが、その刀身に宿らせたのは、人間が放つ気力などではない。私という魔王の根源魔力を、聖剣の属性に合わせて限界まで圧縮・変換した『偽りの極大剣気』だ。
——極光の一閃。
水平に振り抜かれた光の線が、空間そのものを切断するように広がった。
重なる悲鳴すら上がる暇はない。
先陣を切っていた数千の魔物が、光の帯に触れた瞬間に跡形もなく蒸発した。天を覆っていた暗雲が吹き飛び、血のように赤かった満月の光が荒野を照らし出す。
「な……何という威力……!」
要塞の城壁から固唾を呑んで見守っていた兵士たちが、言葉を失って震えていた。
単身で軍勢を押し返す圧倒的な威容。
これこそが、世界を救った「大英雄」の力だと、彼らは信疑の余地なく確信しただろう。
だが、私は刃の残光を見つめながら冷たく息を吐いた。
(手減調が難しいな。レオンの限界を超えた威力を出せば、勘のいい者に怪しまれる)
聖剣エルシドが、私の手の中で小さく痺れるように鳴動する。まるで「主の技をそんな出鱈目な威力で騙るな」と抗議しているかのようだ。
「黙って合わせろ、名剣。お前の主の面目を保ってやっているのだからな」
低い囁きとともに柄を握り直した、その時だった。
「――フフ、さすがね。噂以上の力だわ、勇者レオン」
頭上から甘く不気味な声が響いた。
周囲の景色が一瞬で歪む。荒野の土と岩が溶け落ち、気づけば私は――どこまでも続く漆黒の海の上に立っていた。
『秘術・夢幻百鬼夜行』。
四魔将の一角、『幻魔将軍』シェルファの領域展開だ。
実体を持たぬ精神世界へと相手の意識を引きずり込み、精神の柔らかい部分——すなわち「トラウマ」や「恐怖」、「罪悪感」を幻影として見せて心を破壊する、恐ろしい精神殺法。
『強大な力を誇る英雄ほど、その心には深い闇と傷がある……。仲間を死なせた後悔、救えなかった命、死への恐怖! さあ、あなたの絶望を見せなさい!』
暗黒の海から、ゆらりと影が立ち上がった。
血みどろの姿をした人々だ。
アルドの街で焼き殺された民、国境で討ち取られた騎士たち、そして――
「……レオン」
胸を黒炎で穿たれた、大賢者アルバス。
全身の骨を砕かれた、剣聖ガレス。
結界ごと切り刻まれた、聖女エレナ。
かつて私が魔王城の謁見の間で、己の手で殺め、踏みにじった勇者一行の「亡霊」たちが、恨みがましい目を私に向けていた。
『どう? 自らの無力ゆえに死なせた仲間たちの姿は! 苦しいでしょう、胸が張り裂けそうでしょう! その罪悪感に苛まれながら、己の心を破滅させなさい!』
シェルファの高笑いが精神世界に響き渡る。
人間ならば、この狂気と罪悪感の奔流に一秒と耐えられず、発狂して自らの喉を掻き切るだろう。
だが。
「……くっ」
私は伏せた顔の陰で、肩を震わせた。
「クハ……ハハハハハハ!」
抑えきれない笑いが口から漏れ出た。
『な、何が可笑しいの……!?』
あいにくだな、シェルファ」
私は顔を上げた。碧眼の奥に、本来の魔王としての冷酷な赤光をギラリと滾らせて。
「お前が見せているこの亡霊どもを殺したのは……他ならぬ私だ」
「な……何を……?」
呆気にとられるシェルファの声。
「私が苦しむはずがなかろう。己の手で絶命させた虫ケラの顔など、今さら見せられたところで何を感じろと言うのだ?」
私はゆっくりと歩みを進めた。
群がる仲間たちの幻影を、聖剣の一振りで雑作
もなく切り払う。
アルバスの幻影が霧散し、ガレスの幻影が砕け、エレナの幻影が消滅していく。
「己の失策を仲間のせいにするような軟弱な心など、この私には欠片も存在せん。お前の精神攻撃は、端から私には効かぬのだよ」
『バ、バカな……! 人間である以上、心に隙がないはずが……! あなたは一体、何者なの……!?』
シェルファの声に、初めて本物の「恐怖」が混ざった。
精神世界がヒビ割れていく。
私はその亀裂の奥――精神世界の核に潜む、シェルファの「本体」の気配を捉えた。
「幕引きだ」
私は踏み込んだ。
魔王の根源魔力と、レオンが遺した「人間を守るための剣技」を融合させる。
アルバスの英知、ガレスの極意、エレナの祈り、そしてレオンの執念。
これまで旅の中で触れてきた死者たちの痕跡が、私の中で一つに束ねられていく感覚。
(アルバスの言っていた『人間に侵食される』とは、このことか……?)
くだらん。これは侵食ではない。
死者の遺志すらも我が糧とし、完璧な「偽物」として君臨するための手段だ!
「――奥義『星穿ち』!」
閃光が精神世界を突き破り、現実の夜空へと回
帰した。
「が、あぁぁぁぁっ!?」
悲鳴とともに、暗雲の空から一羽の美しい闇の怪鳥――シェルファの本体が撃ち落とされ、荒野の泥の中へと転がった。
胸を聖剣で深く貫かれ、黒い血を撒き散らしている。
私は静かに歩み寄り、冷たい目で見下ろした。
「……見事だ、勇者レオン……」
シェルファは絶命の淵にありながら、血を吐き、歪んだ笑みを浮かべた。
「だが……周りは……騙せても……私の目は……誤魔化せないわ……」
「何の話だ?」
「お前の技……その根底にある不気味なほどの無の境地……。そして……その瞳の奥に蠢く……絶望的なまでの……黒……」
シェルファの手が、震えながら私に向かって伸びる。
「お前は……人間じゃない……。お前は……私たちの……魔王様と……同じ……」
「……」
「なぜ……なぜなのだ……? それほどの力を持ちながら……なぜ人間の味方を……なぜ『勇者』などを演じている……!?」
シェルファの瞳に、激しい混乱と絶望が宿る。
己が討つべき敵が、己の仕えていた絶対者そのものであるかもしれないという、狂気じみた矛盾。
私は答える代わりに、聖剣の柄を固く握り直した。
「答える必要はない。お前はただ、散っていった他の魔物たちと同じく、歴史の闇に消えればいい」
「……ああ……魔王様……。我が主よ……世界は……狂って……」
シェルファの体が、残光とともに黒い灰へと変わり、夜風にさらわれて消えていった。
四魔将が一角、『幻魔将軍』シェルファ、討ち死に。
軍勢の指揮官を失った数万の魔物たちは、蜘蛛の子を散らすように夜の闇の中へ逃げ出していった。
東の空が、うっすらと白み始めていた。
要塞ガルガニアの門が開き、バートン将軍率い
る数千の騎士たちが駆け寄ってくる。
「勝った……! 勇者様が……単身で四魔将と数万の軍勢を退けられたぞーっ!」
「万歳! 勇者レオン万歳!!」
地鳴りのような勝ち鬨が、早朝の空に響き渡る。
駆けつけた兵士たちが、涙を流しながら私の前にひざまずき、泥に頭をこすりつけて感謝を捧げる。
私はレオンの柔らかい笑みを浮かべ、血のついた聖剣を鞘へと収めた。
「皆、よく耐えてくれた。これで……この国境に、当面の平和が訪れるだろう」
歓声が最高潮に達する。
人々が私を讃え、胴上げし、英雄として崇める。
その温かな手、感謝の言葉、熱い涙。
(シェルファ……お前は言ったな。『なぜ勇者を演じている』と)
私は胴上げされる身体に身を任せながら、静かに目を閉じた。
(退屈しのぎのつもりだった。……だが、悪くない)
かつて誰もが恐怖し、憎み、呪い殺そうとした
私という存在が。
今や、これほどまでに愛され、求められ、祈られている。
魔王としての破滅の快感など、この「世界を裏から支配しているような全能感と歪んだ優越感」に比べれば、あまりにもチープな娯楽だ。
(アルバス、お前の言う『呪い』とやらに、かかってやるのも一興かもしれんな)
偽りの勇者は、朝日を浴びながら冷たく微笑んだ。
だが、私の知らぬところで、世界の歯車はさらに歪み始めていた。
四魔将の最後の生き残り――残虐非道で知られる『極魔将軍』が、魔王城の奥で「真の魔王復活」のための恐るべき企てを進めているとも知らずに。




