【第10話】 国境の最前線と蠢く遺志
王都グラニアをあとにした私は、一人北東の国境地帯を目指して街道を歩いていた。
王宮の喧騒も、子爵を巡る醜い政治劇も、いまや遠い過去の出来事だ。
懐には、これまでの旅で手に入れた品々が収まっている。
どれも私という魔王が奪い取った命と、その痕跡だ。
これらを身につけて歩く己の姿に、私はふと苦笑を漏らした。
(……まるで、死者たちの怨念を掻き集めて練り上げたような男だな)
王都を離れ、目指すは人類領と旧魔王領を隔てる最前線――『黒鉄の要塞ガルガニア』。
魔王である私が討たれた(ことになっている)今、魔王軍は崩壊したはずだった。
しかし、残された四魔将の蠢きや、各地で暴走する魔物の残党により、国境付近ではいまだに熾烈な小競り合いが続いているという。
「勇者が魔王を倒したのに、なぜ戦いが終わらないのか」
街道ですれ違う行商人や難民たちは、そう口々に不安を吐露していた。
魔王という強大な「頭脳」を失ったことで、抑えを失った魔物たちが野性に返り、世界中に散らばって暴走を始めているのだ。
私が世界の支配者として君臨していた時には起き得なかった、皮肉な混迷の時代。
「私が世界を救った結果が、これか」
レオンの声で呟く。
己が与えた「平和」の崩壊を、私はどこか冷めた目で見つめていた。
王都を発って二週間。
目の前に、天を突くような黒々とした巨石の城壁が現れた。
黒鉄の要塞ガルガニア。
数万の兵が詰め、魔族の東方侵攻を食い止めてきた人類最後の砦である。
要塞の門を潜ると、そこは王都の華やかさとは無縁の、鉄と血と汗の匂いが充満する戦場そのものだった。
包帯を巻いた負傷兵が往来に倒れ伏し、重厚な甲冑を纏った騎士たちが険しい表情で慌ただしく飛び交っている。
「――待て! そこなる者、何者だ!」
鋭い声とともに、槍を構えた数人の門兵が私を取り囲んだ。
私がフードを外すと、兵士たちの動きがピタリと止まった。
「……金髪に碧眼……腰のその神々しい聖剣は……」
「ゆ……勇者レオン様……!? 嘘だろ、本当に勇者様が来られたのか!?」
ざわめきが一瞬で要塞全体へと広がる。
「おい、勇者様だ! 本物の勇者レオン様がお見えになられたぞーっ!」
負傷して横たわっていた兵士たちまでが、痛みに耐えながら必死に体を起こし、私に向かって手を合わせた。
「勇者様……! ありがとうございます、魔王を倒してくださって……!」
「俺たちの仲間も、報われました……っ!」
血と泥にまみれた兵士たちが、涙を流しながら私を拝む。
王都の貴族たちが見せた泥臭い欲望とは違う、生死の境目で絞り出される本物の「祈り」。
私はレオンの微笑みを浮かべ、彼らに静かに頷いて見せた。
(愚かだな。私こそが、お前たちの仲間を殺し、この要塞に血の雨を降らせてきた元凶だというのに)
だが、その歓声の裏で、要塞の指揮官らしき壮年の将軍が、青ざめた顔で私のもとへ駆け寄ってきた。
要塞の作戦会議室。
巨大な羊皮紙の地図を挟んで、要塞司令官のバートン将軍が汗を拭いながら情勢を語った。
「勇者レオン様……お越しいただき、心から感謝いたします。ですが……状況は極めて深刻です」
「魔王軍の残党か?」
「ええ、あの魔王が滅びて以降、統制を失った魔物どもが集結し始めております。それを率いているのは……四魔将が一角、『幻魔将軍』シェルファです」
(シェルファ……)
私の脳裏に、かつての部下の顔が浮かぶ。
妖艶な容姿と、精神を破壊する夢幻魔法を得意とする女魔将だ。武闘派のヴォルガスとは違い、冷酷な知略で人間を追い詰める謀将である。
「シェルファは旧魔王領の古代遺跡に陣を張り、残存する数万の魔物を集めて『禁忌の儀式』を執り行おうとしております。……噂では、討たれた魔王の残滓を集め、その『復讐』のためにこの要塞を壊滅させる気です」
バートン将軍は震える手で地図の一点を指した。
「今夜、満月の刻……シェルファの総攻撃が始まります。我が軍の戦力では、とても防ぎきれません……!」
「……なるほど」
私は腕を組んだ。
我が亡き後、忠義を立てて復讐に燃える配下。
人間どもを滅ぼすために、私の残滓(そのようなものが残っているはずもないのだが)を利用しようとする悪あがき。
(……不愉快だな)
私の許可なく、私の名を騙り、勝手に復讐劇を演じようとする元部下。
そして、私を「倒してくれた英雄」として縋ってくる人間ども。
「将軍、心配はいらない」
私はレオンの声で力強く言い放った。
「シェルファの狙いが私とこの要塞であるなら、私が単身で奴らの陣地へ乗り込む。要塞の兵は防衛に専念してくれ」
「えっ!? お、お一人で!? いくら勇者様でも、数万の魔物と四魔将を相手になど……!」
「大丈夫だ」
は腰の聖剣エルシドの柄に手を置いた。
「私には……背負っている仲間たちの想いがある。負けるわけにはいかない」
完璧な名台詞。完璧な勇者の佇まい。
バートン将軍は感極まったように膝をつき、深く頭を下げた。
「おお……なんと頼もしい……! 世界を救った英雄の力、平伏して信じます!」
夜。満月が赤く血に染まる刻。
私は要塞を離れ、旧魔王領へと続く漆黒の荒野を一人で歩いていた。
風が吹き荒れ、遠くから数万の魔物たちが上げる不気味な咆哮が届く。
「……集まっているな」
懐から大賢者アルバスの手記を取り出し、月光にかざす。
アルバスが書き残していた「四魔将の特性と弱点」。皮肉なことに、己の部下の弱点を、かつての敵が残した本で確認している。
その時、背後の空間が歪み、甘い香気とともに一人の妖艶な女性の幻影が姿現した。
露わな肌に漆黒のドレスを纏った美女――『幻魔将軍』シェルファだ。
『……ふふふ。お久しぶりね、凄腕の勇者様? それとも……愛しい魔王様を奪った、憎き仇と言うべきかしら?』
シェルファの幻意が、艶めかしい声で私に語りかけてくる。
『ヴォルガスを倒し、ヴァルナを退けたと聞いたわ。でも、ここから先は通さない。私は魔王様への愛のために、あなたという希望をここで潰してみせる』
「……愛、か」
私は立ち止まり、レオンの碧眼で幻影を見つめた。
「お前の愛とやらは、汝が主(魔王)が本当に望んでいることなのか?」
『何ですって……?』
シェルファの眉が微かに動く。
「魔王は死んだのだ。……お前たちがどれほどあがこうと、滅びた時代は戻らない。お前たちがやっているのは、死んだ主の顔に泥を塗る醜い悪あがきに過ぎん」
私の言葉に、シェルファの幻意が激昂し、その表情が鬼のように吊り上がった。
『黙れ……黙れ黙れ黙れ!! 人間の分際で、魔王様の何を知ったようなことを言うなぁぁっ!!』
空間が割れ、数千の飛翔型魔物が夜空を埋め尽くした。
『殺せ! あの勇者を肉片に変えろ! 魔王様への捧げ物とするのだ!!』
怪物どもが一斉に私に向かって急降下してくる。
私はため息をついた。
金髪をなびかせ、聖剣エルシドを抜き放つ。
「……言っても分からぬか。不肖の部下どもめ」
人々の祈り。死した仲間の遺品。そして、己が捨て去ったはずの「魔王の過去」。
それら全てを剣に宿し、偽りの勇者は数万の魔物と元部下たちが待つ戦場へと躍り出た。
魔王が演じる「人類最高峰の戦い」が、今まさに始まろうとしていた。




