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朝起きたら超絶美少女になっていた俺ですが、男嫌いだった毒舌妹の様子がおかしくて貞操の危機です。  作者: たまやん


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第52話 休日のジョギングと、出会ってはいけない二人

 道場見学から二日が過ぎた、日曜日の早朝。

 折角の休みということもあり、俺は姫子と一緒に川沿いの土手でジョギングをしていた。


「すーっ……はーっ……」


 秋のひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込むと、肺の中が浄化されていくような心地よさがあった。

 川面には朝の柔らかな日差しが反射してキラキラと輝き、土手に揺れる草花が季節の深まりを感じさせる。

 俺は一定のリズムで足を進めながら、自分の胸元へと視線を落とした。

 以前、少し走っただけで激しく上下し、俺の体力を奪うだけでなく周囲の視線まで集めてしまっていた規格外のFカップ。

 しかし今は、姫子に教えられて購入したスポーツ用の『バストサポートバンド』を胸の上部にしっかりと巻いているおかげで、揺れは劇的に抑えられていた。


(おお……! これならクーパー靭帯への負荷も気にならないし、何より走りやすいぞ!)


 バンドで胸を強く押さえつけているため、呼吸をするたびに若干の息苦しさはある。

 だが、道場で大勢の男たちにエロい目で見られ、羞恥で死にそうになったあの時のショックに比べれば、こんな息苦しさなど可愛いものだ。


 タッタッタッ、と軽快に土手を走る。

 ふと、俺は自分が驚くほど自然にこの『女性の身体』を使いこなし、女性特有の悩みに適応してしまっていることに気がついた。

 下着の付け方も、髪のケアも、生理への対処も、そして胸の揺れ対策も。

 最初はあんなに戸惑い、困惑していたはずなのに、今ではすっかり日常生活の一部として受け入れてしまっている。


(ひょっとして……このまま生活を続けていたら、いつの間にか自分が女性であることが『当たり前』になってしまうんじゃないか?)


 それはつまり、自分がかつて『パーフェクトな男』であったというアイデンティティすら、どうでもいいこととして忘れてしまう時が来るということではないのか。

 背筋に冷たいものが走り、俺は「いやいやいや!」とその恐ろしい考えを振り払うように、ブルブルと激しく頭を振った。


「どうしたんですか、兄さん。頭に虫でも止まりましたか?」


 隣から、涼やかな声が降ってきた。

 横に目を向けると、美しい黒髪をポニーテールにまとめた姫子が、俺と全く同じペースで並走していた。

 彼女の額には汗1つ浮かんでおらず、呼吸も全く乱れていない。

 ハイスペック超人である姫子にとって、この程度のジョギングは散歩と大して変わらない運動量なのだろう。

 本当はもっとずっと速く走れるはずなのに、体力のない俺のペースにわざわざ合わせてくれているのだ。


「いや、なんでもないよ。……それより、折角の休みなのに、俺のためにわざわざ早起きして一緒について来てくれてありがとうな、姫子」


 俺が素直に感謝の言葉を口にすると、姫子は前を向いたまま、ふっと口角を上げた。


「別にお礼なんていいですよ。私にとってもいい運動になりますし。それに……早朝とはいえ、女性一人でのジョギングは色々とトラブルが怖いですからね」

「トラブル?」

「ええ。特に、兄さんみたいな若くて綺麗で、スタイルが良いくせに無防備な女性は、変な虫が寄り付きやすいですから」


 姫子の言葉に、俺は納得して頷いた。

 確かに、以前男だった頃、ニュースで『早朝に一人でジョギングをしていた女性が暴漢に襲われた』だの、『土手で露出狂に遭遇した』といった事件を見た記憶がある。

 男の感覚のままではつい油断してしまうが、女性の一人行動は俺が思っている以上に危険と隣り合わせなのかもしれない。


(その点、毎回は無理だけど、姫子が一緒にいてくれたら最強の護衛だよな)


 もし土手の茂みから変質者が飛び出してきたとしても、姫子なら瞬きする間に神速の関節技を決めて制圧してしまうだろう。

 脳内で、ボコボコにされて地面に這いつくばる変質者と、その前に仁王立ちして冷たく見下ろす姫子の姿を想像し、俺は思わず「ふふっ」と笑い声を漏らしてしまった。


「楽しそうですね、兄さん。一体何を想像したんですか?」


 ジト目でこちらを見透かすように睨んでくる姫子。


「はは、なんでもないよ~」


 俺はウインクをしながらペロリと舌を出し、誤魔化すように少しだけ走るスピードを上げた。


 それからしばらく、並んで土手を走っていた時のことだ。

 前方から、見慣れた2つの人影が歩いてくるのが見えた。


「おっ、翔先輩たちじゃないっすか! ジョギングっすか? めっちゃ爽やかな休日の過ごし方っすねー!」


 大きく手を振って、元気いっぱいの声をかけてきたのは、生徒会書記のひよりだった。

 今日は制服ではなく、少しダボッとしたストリート系のカジュアルな私服を着こなしており、持ち前のギャルっぽさがよく似合っている。


「おはようございます、会長。数日ぶりですね。相変わらず可愛らしい」


 そして、ひよりの隣でニコニコと天使のような笑顔を浮かべて挨拶をしてきたのは先日、俺のファーストキスを強引に奪っていった張本人、橘恵美ちゃんだった。


「ひゃっ……!」


 恵美ちゃんの顔を見た瞬間、俺の脳裏にあの日の玄関先での出来事が鮮明にフラッシュバックした。

 首に回された腕の感触、甘いリップの香り、そして、舌先が絡み合うような深く熱いキスの記憶。

 ドッと顔に血が上るのを感じ、俺の顔は一瞬にして茹でダコのように真っ赤になってしまった。


「あ、ああ……っ。ひよりに、恵美ちゃん。ぐ、偶然だな。今日は二人でお出かけなのか?」


 動揺を隠しきれず、ドギマギしながらなんとか言葉を返す俺。

 そんな俺の不自然な態度を見て、ひよりがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら顔を覗き込んできた。


「んん~? 何赤くなってんすか、翔先輩。もしかして、私服の私の可愛さにドキドキしちゃいました~? いやー、罪な女っすね私!」

「いや。確かに可愛いとは思うけど、それはない」


 俺はピシャリと、一切の感情を排した真顔で即答した。


「がーん!! 即答!? ちょっとくらい乗ってくれてもいいじゃないっすか!」


 大げさに胸を押さえてショックを受けるひより。

 その大げさなリアクションを眺めながら、俺の胸の奥には、彼女に対する深い愛情……というか、保護者のような温かい感情が込み上げてきた。


 恵美ちゃんから聞かされた、彼女の壮絶な中学時代。

 オタク趣味を理由に尊厳を踏みにじられ、一度は完全に心が壊れてしまったにもかかわらず、彼女は自らの力で立ち上がり、こうして『陽キャのギャル』として必死に明るく振る舞っているのだ。

 今まではこの明るさが彼女の『当たり前』だと思っていたけれど、本当は、彼女は毎日すごく頑張っているんだな。


「……うんうん。偉いぞ、ひより」

「えっ……? な、なんすかその目は」


 俺が無意識のうちに、慈愛に満ちた温かい瞳でひよりを見つめていると、ひよりは一歩後ずさってドン引きしたような顔をした。


「なんでそんな、娘の成長を見守るお父さんみたいな目で私を見るんすか!? ちょっと、そういうのキモいんで、そんな目で見ないでくださいよ!」

「なっ、キモいってなんだよ! 先輩に対する口の利き方じゃないぞ!」


 俺がむくれて抗議していると、ふと、隣にいる恵美ちゃんの視線とバッチリかち合ってしまった。

 恵美ちゃんは、口元に手を当てて可愛らしく微笑んでいるが、その唇を見てキスの記憶が再び蘇る。

 俺が思わずパッと目線を逸らすと、恵美ちゃんは一瞬だけ考えるような素振りを見せた後、一歩だけ俺との距離を詰めてきた。


「……ふふっ。会長、さてはこの前のこと、すっごく意識してるんでしょう?」

「い、いや!? 別に!? そんな事ないけど!?」


 図星を突かれ、裏返った声で全力で否定する俺。

 しかし、百戦錬磨の恋愛ベテランである恵美ちゃんには、俺の動揺など手に取るようにわかっているのだろう。

 彼女はさらに一歩近づき、俺の耳元で意味深な甘い声を囁いた。


「可愛い。会長はやっぱり、純粋無垢で、とーっても可愛いですね」

「うぅっ……」


 俺は完全に言葉に詰まってしまった。

 ダメだ。佐藤が言っていた通り、俺のような恋愛初心者では、この子には一生勝てる気がしない。

 完全に手玉に取られている。


 ──その時だった。


「…………」


 今まで一言も発さず、ただ黙って俺たちのやり取りを見ていた姫子が、ツカツカと足音を立てて恵美ちゃんの目の前まで歩み寄ったのだ。


「え、姫子先輩?」


 ひよりが不思議そうに首を傾げる中、姫子は恵美ちゃんの身体のすぐ近くまで顔を寄せると、突然犬のように「スンスン」と匂いを嗅ぎ始めた。


「な、なんだお前!? 突然初対面の後輩になんてことを……!」


 俺とひよりがドン引きして止めに入ろうとした瞬間、姫子の口から、地を這うような低い声が漏れた。


「……やっぱり」

「え?」

「この匂い……貴方ね? この前の日曜日、兄さんとデートして、兄さんに抱きついた泥棒猫は」

 

「ひぇっ!?」


 姫子の言葉に、俺は心臓が口から飛び出そうになった。

 あの壁ドンの夜、「どこの泥棒猫ですか」と尋問された際、俺は上手いこと誤魔化したはずだった。

 だが、姫子の常軌を逸した嗅覚は、たった一度嗅いだだけの匂いを寸分違わず記憶し、特定してしまったのだ。


 修羅場。

 完全に絶体絶命の修羅場である。

 姫子の目が、光を失った漆黒の闇のようにドス黒く濁っていく。


 だが、恐ろしいのは姫子だけではなかった。

 常人なら震え上がるような姫子の強烈な殺気とプレッシャーを至近距離で浴びながら、恵美ちゃんは全く怯むことなく、目を丸くしてパァッと花が咲いたような笑顔を見せたのだ。


「すごーい! 匂いだけでそんな事がわかるんですね! はじめまして。一年生の橘恵美です!」


 一切の悪びれもなく、恵美ちゃんは堂々と名乗った。

 そして、姫子の目を真っ直ぐに見つめ返し、満面の笑みでこう言い放った。


「貴方は確か、会長さんの妹の一条姫子先輩ですよね? まさか……よりによって、ひよりちゃんの前でその話をされるだなんて思ってもみませんでしたが……。ええ、そうです。私が、姫子先輩の大切なお兄さんとデートさせていただきました!」

「…………」


 その瞬間、姫子の表情から、人間としての『感情』が完全に消え去った。

 周囲の気温が、氷点下まで一気に下がったような錯覚を覚える。


「で、デート!?」


 何も知らないひよりだけが、素っ頓狂な声を上げてパニックに陥っていた。


「なんすかデートって! 翔先輩、恵美ちゃんとデートしたんすか!? え!? なにそれ、どういうこと!?」


 ひよりの混乱する声が、どこか遠くで聞こえる。

 俺はただ、無表情で対峙する姫子と、余裕の笑みを崩さない恵美ちゃんの前に立ち尽くし、ガチガチと歯の根を鳴らして震えることしかできなかった。


(終わった……。出会ってはいけない二人が、ついに、出会ってしまった……ッ!!)


 爽やかな休日の朝は、一瞬にして、血で血を洗う地獄の幕開けへと変貌を遂げたのだった。

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