第50話 体験コースだよ翔くん
夕映先輩と烈火先生の、次元が違うとしか言いようのない凄まじいスパーリングが終わり、道場にはまだ熱気と興奮の余韻が色濃く漂っていた。
呆然と立ち尽くす俺や門下生たちに向かって、烈火先生はパンッ、パンッ! と大きく柏手を打った。
「ほらほら、お前等! いつまでも突っ立ってないで練習始めっぞ! 今日の夕映の動き、目に焼き付けたか!? あそこまで到達してみろ!」
「「押忍ッ!!!」」
先生の号令で、屈強な門下生たちが慌ててそれぞれのポジションへと散り、道場内に再び気合の入った声と打撃音が響き始める。
圧倒的な光景を前にポカンと口を開けていた俺のところに、烈火先生がニシシッと笑いながら近づいてきた。
「どうだ、翔。見てるだけじゃつまんねぇだろ? せっかく来たんだ、ちょっと練習に参加してみるか?」
「えっ……いいんですか!?」
俺は思わず前のめりになって聞き返した。
さっきの夕映先輩の美しくも力強い戦いぶりを見て、俺の心には「あんな風になりたい」「あんな風に戦って、大切な人を守れるようになりたい」という強い憧れが湧き上がっていたのだ。
「是非お願いします!」
「おう、良い返事だ! じゃあ、更衣室で適当なウェアに着替えてきな」
道場の奥にある女子更衣室に入り、貸してもらったスポーツウェアに着替える。
ここは見た感じ、女性は夕映先輩の他には二~三人くらいしかいないようなので、気にせず女子更衣室を利用できた。
Tシャツにハーフパンツというシンプルな出で立ちだが、いかんせん俺のこの胸のせいで胸元の生地がパツンパツンに引っ張られてしまい、どうにも落ち着かない。
胸が大きいと、服選びの選択肢が減るのが困ったものだ。
道場に戻ると、まずは怪我を防ぐための柔軟運動とストレッチから始まった。
「いててててっ……!」
「おいおい、翔。お前、体柔らかそうな見た目してんのに、すげぇ体硬いな」
開脚して前に倒れようとするものの、背中が丸まるだけで全く前にいかない。
女の子特有の柔らかい質感の肌とは裏腹に、関節や筋肉の柔軟性は完全にガチガチだった。
(くそっ……! これからは毎日、風呂上がりにストレッチしなきゃ駄目だな……!)
苦戦しながらもなんとか体をほぐし終えると、いよいよ本格的な練習が始まった。
「いいか、ジークンドーってのはな、基本的には『利き腕・利き足』を前に出して構えるんだ。最も器用で威力のある側を、常に相手に近い位置に置く。これが『バイジョンスタンス(構え)』だ」
烈火先生の指導に従い、俺は右半身を前に出した独特の構えをとる。
「そうだ。そこから、前進後退のステップ。そして、最短距離で目標を叩く『ストレート・リード』だ。ノーモーションで、鞭のように腕をしならせて打つ!」
「シュッ!」
俺はステップを踏み込み、教えられた通りに右の縦拳を真っ直ぐに打ち抜いた。
先輩たちのように目にも留まらぬ速さとはいかないが、精一杯頑張る!
「おっ……?」
烈火先生が、少し驚いたように目を丸くした。
「おいおい、なんだよお前。うん、なかなか覚えが良いな。重心の移動も拳の軌道も、素人にしてはやけにスムーズだぞ」
「そ、そうですか?」
「さてはお前、アクション映画とか好きで、テレビ見ながらパンチや構えの練習とかしてたクチだろ?」
ニヤリと笑いながら推察してくる烈火先生に、俺はギクッとして冷や汗を流した。
図星である。男なら誰だって、思春期に格闘技の真似事や、見えない敵とのシャドーボクシングをやった経験があるはずだ。
波◯拳や昇◯拳、か◯はめ波にジャブやストレートの練習なんて日常茶飯事だった。
だが、まさか「元々は男だから」とは答えられない。
「あ、あはは……実はその、シュワちゃんとか、ジャ◯キー・チェンとか、ブル◯ス・リーの映画が大好きなもので……見よう見まねで……」
「うおっ! マジで!?」
誤魔化すために、大好きな往年のアクションスターの名前を出すと、烈火先生はガシッと俺の両肩を掴み、目を輝かせた。
「お前、アクション映画好きなのか!? いやー、嬉しいねぇ! 最近の若い子、しかもこんな可愛い女の子で、ゴリゴリのアクション映画好きなんて滅多にいないからなぁ! ジャ◯キーなら『ポ◯ス・ストーリー』か? ブル◯ス・リーなら『燃え◯ドラゴン』は外せねぇよな!?」
「わ、わかります! あの鏡の間のラストバトルの緊張感とか、最高ですよね!」
「そうそう! あとシュワちゃんと言えばやっぱり『コマ◯ドー』だよな!」
俺と烈火先生は、年齢も性別も超えて、完全に意気投合してしまった。
道場で、熱を帯びた映画トークが止まらなくなる。
と、そこへ。
「翔くん、先生?」
背後から、申し訳なさそうな、けれどどこまでも上品な微笑みを浮かべた夕映先輩が声をかけてきた。
「そろそろ、練習に戻りませんか? ね?」
「「ハッ! す、すみません(すまん)!」」
真面目に練習している門下生たちの前で、サボっているとしか思えない俺たちは慌てて居住まいを正した。
「コホン。ま、まあ少し指導してみてわかったが、翔、お前は何よりも『体力不足』だな」
烈火先生が、先生らしい顔つきに戻って指摘する。
「さっき、少しステップや縦拳を繰り返しただけなのに、お前、もう肩で息をしてただろ。技術云々の前に、お前には基礎となる土台がない。まずは体力づくりからだな」
そう言って、先生はどこからか取り出した一本の縄跳びを俺に手渡した。
「縄跳び、ですか」
「ああ。ボクサーもよくやってるだろ? リズム感とスタミナを同時に鍛えるには最適だ。よし、とりあえず五分間、自分のペースで跳び続けてみろ」
「わかりました!」
俺は縄跳びを受け取り、少し離れたスペースで跳び始めた。
体力不足は俺自身が一番自覚している。
女の子になってからというもの、少し走っただけで息が上がるし、階段を登るだけでも足が棒のようになるのだ。
(やっぱりそうだよなぁ。基礎体力がなきゃ、いくら技を覚えても実戦じゃ使い物にならない……! 苦しいけど、頑張るぞ!)
タッタッタッ、と一定のリズムで縄を回し、つま先で軽く跳躍を繰り返す。
二十秒、三十秒と過ぎるうちに、早くも息が上がり始めた。
額に汗が滲み、呼吸が荒くなっていく。
「はぁっ……はぁっ……!」
ただ跳ぶだけなのに、今の俺の身体には鉛のように重い負荷がかかっていた。
特に、ただのスポーツウェアを着ているだけの胸元が、跳躍のたび激しく上下に揺さぶられ、肩や背中の筋肉に余計な負担をかけている。
「ひぅっ……はぁっ……んっ……」
苦しさに、自然と声が漏れる。
それでも、夕映先輩のように強くなるために、俺は必死に縄を回し跳び続けた。
三分が経過しようとした、その時だった。
「ちょ、ちょっと、ちょっと止まれ、翔!」
唐突に、烈火先生が焦ったような声でストップをかけてきた。
「はぁっ……はぁっ……えっ? ど、どうかされたんですか? フォーム、間違ってましたか……?」
俺が汗を拭い髪をかきあげながら尋ねると、烈火先生はひどく気まずそうに目を逸らし、頬をポリポリと掻きながら言った。
「うーん……なんて言ったら良いんだろうなぁ……。えっとだな。翔。お前、エロすぎ」
「は!?」
突然放たれたとんでもない言葉に、俺はすっとんきょうな声を上げた。
「え、エロ!? えっ!? な、なにを言ってるんですか!?」
「いや、こんな事を言われても困るだろうけどよ……ほら、周り見てみろ」
烈火先生に促され、俺は道場内を見渡した。
すると──今までそれぞれの練習に集中していたはずの屈強な門下生の男たちが、なぜか全員、慌てて俺から目を逸らし顔を真っ赤にしていた。
しかも、何人かは股間のあたりを不自然に庇うように、中腰の姿勢でモジモジと硬直しているではないか。
(な、なんだこの反応は!? 俺はただ、真面目に縄跳びをしてただけなのに!)
パニックになる俺に対し、烈火先生は申し訳なさそうにため息をついた。
「縄跳びで飛び跳ねるたびに、お前、胸が大きいからウェア越しでもドッカンドッカンと上下にスゲェ揺れててな……。しかも、疲れて漏れる『はぁはぁ』っていう声が、またやたら官能的というかなんというか……」
「なっ……!?」
「いや、わかるよ!? お前は一生懸命やってるだけだし、わざとじゃない、完全な不可抗力だもんな! でも、血気盛んなウチの野郎共には、ちょっと刺激が強すぎたみたいでよ……練習に全く集中できてねぇんだわ」
ドッと、全身の血液が沸騰したように顔に集まるのを感じた。
自分の巨乳が激しく揺れ、喘ぎ声のような息遣いを道場中に響かせていたという事実。
そして、それを大勢の男たちに凝視されていたという羞恥心。
「ひゃっ……!」
俺は一瞬で顔を真っ赤にして、バッ! と両腕を交差させ、自分の大きな胸を隠すようにしゃがみ込んだ。
は……恥ずかしいにも程があるんだけどぉ……!
「よ、よし! 今日はこのくらいにしとくか!」
空気を察した烈火先生が、明るくサムズアップして場を締めた。
「とりあえず、お前の今後の課題は体力づくりだ! 筋も良いし、ガッツもある! もし興味があったら、正式に入門してくれ! いつでも構わないからな!」
「あ、ありがとうございます……っ」
明るく見送ってくれる先生に頭を下げながら、俺は涙目で更衣室へと逃げ込んだ。
(無理だ……! あんな破廉恥で恥ずかしいところを大勢に見られて、正式に通うなんて、絶対に無理だよ……!)
男になりたい、強くなりたいという俺の決意は、己の肉体が放つ無自覚なエロスによって、開始わずか数十分で早くも挫けそうだった。




