第48話 最強の赤髪師匠登場
休日の日曜日。
雲1つない青空の下、俺は一人で駅前の書店へと向かって歩いていた。
目的は、来週に控えた小テストのための参考書を買うことだ。
休日の街中はカップルや家族連れで賑わっており、すれ違う見知らぬ男たちの視線がチラチラと向けられるのを感じる。
暴漢に襲われた事件の事がなければ、以前の俺なら『みんな俺の美しさに見とれてるな? あっははは!』と喜んだのかもしれないけれど、なんというか、早く慣れたいものだがあの経験はしっかりと俺の心に傷を負わせたんだと実感する。
夜に一人で女性が歩いてはいけない理由が身を持ってよく理解できた。
そんな事を考えながら歩道を進んでいた、その時だった。
スゥー……と、一台の巨大な黒いリムジンが俺のすぐ横に停車した。
周囲の歩行者たちが「なんだなんだ?」「VIPか?」とざわめく中、真っ黒なスモークガラスがウィーンと音を立てて下りていく。
中から顔を出したのは、息を呑むほど美しい顔立ちの、見慣れた先輩だった。
「わぁ、やっぱり翔くんだぁ。やっほ~。どこに行くの?」
「なっ……!?」
突然、映画に出てくるような高級車が隣に停まったものだから、俺は心臓が飛び出るかと思うほどビックリした。
正直、ヤの付く職業の人に目をつけられて、攫われるのかと一瞬身構えてしまった。
だが、後部座席から優雅に手を振るのが生徒会副会長の夕映先輩だと気づき、ホッと胸を撫で下ろす。
「何事かと思ったら、夕映先輩だったんですね。ええっと、俺は書店に参考書を買いに行くところだったんです」
素直に答えると、夕映先輩は「えらいねぇ」とニコニコ微笑んだ。
ふと気になって、俺は尋ねてみる。
「先輩こそ、どこに行くんですか?」
「私? 私はねぇ。今から師匠の道場に稽古を受けに行くんだ」
笑顔で放たれたその言葉に、俺の脳裏に鮮烈な記憶が蘇った。
あのコンビニの帰り道、俺を押し倒した体格の良い男たちを目にも留まらぬ速度の拳と蹴りで瞬殺した、夕映先輩の恐るべきジークンドーの実力。
あんな達人技を教え込んだ『師匠』とは、一体どんなバケモノ……いや、達人なのだろうか。
「あの……その師匠の方って、すごく強いんですよね。もしご迷惑でなければ、俺も道場を見てみてもいいですか?」
「うん、もちろん! 乗って乗って!」
俺が興味津々で尋ねると、夕映先輩は嬉しそうに車のドアを開けてくれた。
リムジンの中に足を踏み入れた瞬間、俺は別世界に迷い込んだような錯覚に陥った。
ふかふかの高級本革シート、足元には毛足の長い絨毯。ほのかに漂う上品なアロマの香りに、防音性が高すぎるのか外の喧騒は一切聞こえない。
(す、すげえ……! 動く高級ホテルじゃないか……!)
内装の圧倒的な豪華さと快適さに、俺は座席の端っこにちょこんと座りながら目を丸くした。
さすがは世界的ハイブランド『LUMIÈRE KIRYU』の社長令嬢である。
「翔くん、こういうのもあるんだよ」
緊張している俺の横で、夕映先輩が備え付けのキャビネットからスッと美しいガラス瓶を取り出した。
そこには琥珀色の液体が入っており、どう見ても高級なワインだった。
「ちょっ、先輩!? 俺達がそんなの飲んだらダメですよ! 未成年なんですから!」
「うふふ、冗談よ。これは葡萄のジュース」
慌てて止めに入った俺を見て、夕映先輩は上品に口元を押さえておどけてみせた。
相変わらずおっとりしているのに、茶目っ気がある。
やがてリムジンは閑静な住宅街の一角にある、立派な日本家屋の前に到着した。
門をくぐると、奥から「エイッ!」「ヤァッ!」という気合の入った掛け声が響いてくる。
更衣室で夕映が道着に着替えるのを待って、道場に足を踏み入れる。
広い板張りの道場には、屈強な体つきをした門下生たちが数十人ほど汗を流していた。
「あ、夕映お嬢様だ」
「今日も綺麗だなぁ……」
道場に足を踏み入れた夕映先輩の姿に、門下生たちからヒソヒソと感嘆の声が漏れる。
しかし、その直後に夕映先輩の背中から俺がひょっこりと顔を出すと、道場内の空気が一変した。
「え、待って。後ろのあの子、誰だ!?」
「めちゃくちゃ可愛くないか!?」
「お嬢様の会社の専属アイドルか何かか……?」
「デッッッ」
「おいバカやめろ!」
屈強な男たちが、俺の顔と、そして服越しでもわかる大きな胸を見て、あからさまにざわめき始める。
可愛いと大勢の声が聞こえ、俺は少し頬を赤くしながらも、精一杯男らしく頭を下げた。
「あのっ……今日は見学させてもらいに来ました、一条翔です。よろしくお願いします!」
俺の挨拶に、門下生たちは「声も可愛い!」「礼儀正しい!」とさらにヒートアップする。
その時だった。
「ふぁ~あ……」
道場の奥から、大きなあくびをしながら一人の女性が姿を現した。
身長は夕映先輩よりもさらに高く、モデルのような長い手足。
後ろで無造作に束ねた燃えるような長い赤髪と、美しい顔立ちの頬に刻まれた一筋の傷跡が、彼女のワイルドな魅力を引き立てていた。
身を包んでいるのは、使い込まれた黒い道着だ。
「よお皆、今日も集まってんな」
気怠げに首を鳴らして門下生たちを見渡した彼女は、ふと俺の存在に気がついた。
「ん? 誰だお前? っていうか夕映も凄えけど、お前もドチャクソ可愛いな。夕映は綺麗系だけど、お前は可愛い系だな」
「あ……えっと……」
至近距離で顔を覗き込まれ、俺が戸惑っていると、夕映先輩が優しく紹介してくれた。
「翔くん、この方が私たちの師匠である、武者小路烈火先生よ」
「一条翔です! 今日は見学させてもらいに来ました!」
俺が緊張しながら名乗ると、烈火先生はニカッと白い歯を見せて笑った。
「おう、私は武者小路烈火だ。よろしくな! ちなみに、絶賛彼氏募集中だぜ!」
「また彼氏を病院送りにして破局するんですか?」
門下生の一人が茶化すように突っ込むと、烈火先生の姿が一瞬ブレた。次の瞬間にはその門下生の頭上に拳が振り下ろされている。
「うるせえよ!」
「ぐふっ!」
見事なゲンコツを食らった門下生がコミカルに倒れ込む。
俺は内心(今の移動、速すぎて全く見えなかったぞ……!)と戦慄していた。
烈火先生は倒れた門下生を放置したまま、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべて俺と夕映先輩を交互に見た。
「まあいい。せっかく可愛い見学がいるんだ。なら、ウチの道場のカッコいいとこ見せなきゃな」
その言葉を合図に、道場の空気がピンと張り詰めた。
夕映先輩が静かに道場の中心に向かって歩き出す。
二人を手合わせさせるため、門下生たちがサッと壁際に退き、中央に広いスペースが作られた。
「翔くん、しっかり見ててね」
夕映先輩が俺に向かってウィンクをした後、静かに構えをとる。
その瞬間、彼女の纏う空気が、天然で優しい先輩から『武道家』のそれへと完全に切り替わった。
対する烈火先生も、脱力した自然体のまま、スッと重心を落とす。
審判役の門下生が、張り詰めた沈黙を破るように高く手を挙げた。
「はじめ!」
ドンッ!! という床を踏み砕くような爆音。
数メートルは離れていたはずの距離が、文字通り『一瞬』で消失した。
俺の目は、夕映先輩が踏み込んだことすら認識できなかった。
気づいた時には、夕映先輩の放った必殺の拳が烈火先生の顔面すれすれまで到達しており──そして、その拳は烈火先生の掌によって、完全に受け止められていた。
拳と掌が激突した衝撃で、遅れてバァンッ! と空気が弾けるような音が道場に響き渡る。
「良いねぇ。後輩が見てるからって、随分張り切ってるじゃねえか!」
拳を受け止めたまま、烈火先生が獰猛に笑う。
「当然ですよ。翔くんには、先輩らしくカッコいいところを見せたいですからね!」
夕映先輩もまた、普段の穏やかな姿からは想像もつかないような好戦的な笑みを浮かべて言い返した。
格闘技中継は時々観るし、スポーツ好きだった俺でも、彼女たちの動きの軌跡は全く見えなかった。
次元が違う。これが、本当の強さ。
圧倒的な力と美しさを兼ね備えた二人の激突を前に、俺はただただ、ごくりと生唾を飲み込んで息を呑むことしかできなかった。




