第45話 ヤンデレ妹の壁ドン尋問
壁ドンされた背中から冷や汗が伝う。
「答えてください兄さん。一体何処の誰と、何をしていたんですか?」
至近距離から、感情の抜け落ちた声で問いただしてくる姫子。
その瞳孔はガンギマリで、絶対に逃さないという強烈なプレッシャーを放っている。
今の俺よりも十五センチ以上背が高い彼女に見下ろされる形となり、完全に蛇に睨まれたカエル状態だ。
「ひっ……!」
思わず横にスライドして逃げ出そうとしたが、次の瞬間、ドスッという音と共に姫子の長い足が、俺の股の間に割り込んできた。
いわゆる『股ドン』である。
しかもなんかグリグリしてくる! やめろやめろ!
「あわわわ……」
物理的にも完全に逃げ道を塞がれ、背中を壁に張り付けたまま動けなくなる。
(な、なんでこいつは、俺が女と遊ぶとこんなに殺気立つんだ……!?)
パニックになりながらも、俺の脳内に素朴な疑問が浮かんだ。
そもそも俺が男だった頃、つまりついこの間までは、俺が誰と遊ぼうが姫子は塩対応を極めていたはずだ。
冷静に考えてみろ。俺が休日にどこで何をしようと、妹である姫子にここまで激怒される筋合いはないはずだ。
そう気づいた俺は、勇気を振り絞って姫子を睨み返した。
「い、一体何でお前はそんな事が気になるんだよ!? 俺のプライベートだろ!」
逆に問い詰められると思っていなかったのか、姫子はビクッと肩を揺らした。
「そ、それは……!」
一瞬、言葉を詰まらせて視線を泳がせた後、姫子は何かを閃いたように顔を上げ、早口でまくし立ててきた。
「に、兄さんが女になったことを利用して、警戒心が薄れた女の子に近付いて、酷いことをするんじゃないかと不安なんです! 中身は男のままなんですから!」
「はあ!? そんな事しないよ!?」
俺は全力で首を横に振った。
いくら外見が超絶美少女になったからといって、同性の特権を利用して女の子にセクハラをするなんて、男の風上にも置けないクズのやることだ。
俺はそんな最低な男じゃない。
「それに、今日は変な下心とかじゃなくて……新しく友だちになった後輩の女の子と一緒に、遊びに行っただけだよ!」
俺が正直に白状すると、姫子の目がカッと見開かれた。
「こ、後輩の女の子と二人きりで……!? それってデートじゃないですか!!」
「いやいや、落ち着けって」
顔を真っ赤にして叫ぶ姫子に、俺は苦笑交じりに両手をヒラヒラと振った。
「今の俺は、自分で言うのも何だが女の子だぜ? 女の子同士なんだから、二人で遊んだってデートじゃないだろ。ただの女子会だよ女子会」
休日に女子二人がショッピングモールやカラオケに行く。どこからどう見ても健全な友人関係だ。
そう言って笑い飛ばそうとした俺だったが──。
「……ッ!!」
突然、姫子が俺の頬を両手でガシッと挟み込んできた。
「むぐっ!?」
身動きが取れなくなった俺の顔に、姫子が鼻先が触れそうなほど顔を近づけてくる。
その表情は、冗談など微塵も通じない、鬼気迫るほど真剣なものだった。
「兄さん……女の子が女の子に恋しちゃ、いけないんですか!?」
「え……?」
悲痛なまでの問いかけに、俺は一瞬虚を突かれた。
女の子同士の恋愛。普通なら「なに言ってるんだお前」と一蹴する場面かもしれない。
だが、俺の脳裏には、今日デートをした恵美ちゃんの顔が浮かんでいた。
彼女は女子でありながら女の子とも付き合ったことがあると言っていたし、同性である俺に対しても真っ直ぐに好意を向けてくれた。
人を好きになる気持ちに、性別なんて関係ないのかもしれない。
「いや……別に、悪くないと思うぞ」
俺は挟まれた頬のまま、真面目に答えた。
「好き同士なら、いいんじゃないかな。誰が誰を好きになろうと、他人が否定する権利なんてないしな」
俺のその言葉を聞いた瞬間、姫子の表情からスッと険しさが消えた。
「──っ……」
張り詰めていた糸が切れたように、姫子はホッと安堵の息を吐き出す。
(なんだ? ひょっとして姫子、そういう人間関係で悩んでたのか……? それともお前は女の子の事が……?)
俺が勝手な納得をしていると、至近距離で俺の顔を見つめていた姫子の動きが、ピタリと止まった。
「え?」
姫子が、小さな声を漏らす。
その視線は、俺の『口元』に、真っ直ぐに注がれていた。
「……兄さん?」
空気が、急激に冷え込んだ。
「兄さんって、リップは使ってませんよね……?」
「あ、当たり前だろ? 俺は化粧なんてガラじゃないからな」
何も考えずに答えた瞬間、姫子がヨロヨロと後ずさった。
「兄さん……まさか……嘘でしょう……?」
姫子の顔から、完全に血の気が引いていた。
幽鬼のように虚ろな目で俺の口元を指差し、カタカタと震える唇から信じられない言葉を紡ぎ出す。
「キス……したんですか……? だ、誰と……?」
「ッ!?」
俺は驚いて、慌てて自分の口元を袖でゴシゴシと拭った。
制服の袖口に、うっすらと赤い口紅の色が付着している。
(あ……!!)
その瞬間、俺の脳内に数十分前の記憶がフラッシュバックした。
恵美ちゃんの家の玄関。不意打ちで奪われたファーストキス。
口の中をかき回されたあの時……彼女が塗っていたリップが、俺の唇にベッタリと移っていたのだ!
「ち、違う! これは……!!」
俺は滝のような冷や汗を流しながら、脳細胞をフル回転させて言い訳を捻り出した。
「さっき言った後輩の女の子とショッピングモールに行った時に、コスメショップのテスターで試し塗りしたやつの拭き残しだよ! そう、ただの拭き残し!」
俺の苦し紛れの絶叫が響き渡る。
姫子は、ふらりと膝から崩れ落ちた。
そのまま床にへたり込み、青ざめた顔ですがるように俺の上着の裾をギュッと掴んでくる。
「本当に……? 本当に、本当ですか……?」
上目遣いで俺を見上げる姫子の瞳には、今にも零れ落ちそうな大粒の涙が浮かんでいた。
「信じても……良いんですか……?」
捨てられた子犬のような、縋るようなその声。
俺は強烈な罪悪感に胸を締め付けられた。
恵美ちゃんとの強烈なディープキスが頭をよぎる。
ファーストキスを奪われたのは紛れもない事実だ。
だが、ここで本当のことを言えば、姫子の精神が崩壊するだけでなく、恵美ちゃんの命すら危ない気がする。
俺は心を鬼にして、兄としての威厳を保ちながら嘘を重ねた。
「ほ、本当だよ! 俺にそんな相手がいるわけないだろ!?」
その力強い虚勢の言葉を聞いて、姫子はゆっくりと立ち上がった。
「だ、だったら良かったです……」
まだ少し顔色は悪いが、姫子の口元には安堵の笑みが浮かんでいた。
「兄さんのファーストキスは、まだ無事だったんですね」
「あ、ああ。もちろん無事だぜ……」
(ごめん、もう完全に奪われてるけどな……!)
内心で土下座しながら同意すると、姫子はそれ以上の追及を諦めたのか「少し疲れました。部屋に戻ります」と踵を返し、自分の部屋に向かって歩いていった。
パタン、とドアが閉まる音が響き、廊下には再び静寂が戻る。
俺はその場にへたり込み、深々とため息をついた。
「それにしても……あいつはなんであそこまで、俺の恋愛事情やキスをしたかどうかにこだわるんだろうか」
壁ドンから始まり、リップの色でキスを疑うまでのあの異常な執着。
腕を組み、名探偵のように思考を巡らせた俺は、やがて1つの結論に行き着いた。
「……なるほどな。あいつ、心の底では自分の兄が誰かに取られるのが、妹として心配なんだろうな」
幼い頃から一緒に育ってきた双子の兄が、急に見知らぬ誰かに取られちゃうんじゃないかと、甘えん坊な小さい子供のように不安になったに違いない。
「まったく、相変わらず素直じゃないんだから。やっぱり可愛い妹だな。本当は昔のように今でもお兄ちゃん大好きなんだろ? お兄ちゃん困っちゃうぜ」
俺は前髪をフッと払いのけ、パーフェクトな兄としての自分に酔いしれながら笑うのだった。




