第33話 男の戰い
1回戦第1試合、一条姫子対天道ひよりの対決は、開始一秒でひよりがハリセンの餌食になるという、圧倒的な姫子の暴虐によって幕を閉じた。
未だに白目を剥いて壁際でピクピクしているひよりの姿から目を逸らし、俺は正面に向き直る。
机を挟んで向かい側に立つのは、1年生庶務の水無瀬透だ。
小柄で華奢、栗色のサラサラな髪に大きな瞳。
どこからどう見ても庇護欲をそそる美少女にしか見えないが、これでもれっきとした男子生徒である。
「俺達の番だな、透」
「お、お手柔らかにお願いします、先輩……」
俺が声をかけると、透はおずおずと控えめに頭を下げた。
その怯えたような小動物感に、俺の胸の奥で男としての庇護欲が燃え上がる。
先程の姫子の、常人離れした神速のハリセン。
もし俺がここで透に負ければ、次は透があのラスボスと戦うことになってしまう。
透のあの華奢な身体に、姫子の容赦ないフルスイングが直撃したら……最悪、首の骨が折れるかもしれない。
(ダメだ! 可愛い後輩を、あいつの生贄にするわけにはいかない!)
ならば、俺が勝つしかない。俺が勝ち上がり、妹の暴虐は兄である俺が正面から受け止める。
それが先輩としての、そして生徒会長としての務めだ。
「いくぞ透! 最初はグー、じゃんけん……!」
「ぽん!」
俺が出したのはチョキ。透が出したのはグー。
しまった、負けた!
俺は慌てて机の上の黄色いヘルメットを掴み、頭にスポッと被る。
だが、ハリセンの衝撃はなかなか来ない。
視線を上げると、透は俺が完全にヘルメットを被り終わるのをしっかりと見届けてから、ゆっくりとハリセンを振り上げた。
そして。
「え、えい!」
ぺふっ。
ハリセンがヘルメットに触れたか触れないかという、埃を払うような優しい感触が頭に伝わった。
「……おい、透」
「は、はいっ!」
俺はヘルメットを脱ぎ、呆れ顔で透を睨んだ。
「何を遠慮してるんだよ。遊びとはいえ勝負だろ? もっと本気でやってくれよ」
「え? あ、はい! で、でもですね先輩……その……」
透は困ったように眉を下げ、しどろもどろに言葉を濁す。
すると、いつの間にか気絶から復活していたひよりが、ポンッと手を叩いて透に声を掛ける。
「あー、なるほど! 透くんはもしかして、女の子を叩くのに抵抗があるんでしょ」
ひよりのニヤニヤとした指摘に、透はビクッと肩を震わせる。
「え!? ええっと、まあ、うん……。僕は男だし、遊びとはいえ、女の子を本気で叩くだなんて……できないよ」
透は顔を赤らめ、スッと目を逸らして肯定した。
その言葉は、俺の心にグサリと深く突き刺さった。
──女の子。
透の口から出たその単語が、俺の脳内で木霊する。
透にとって、俺は『男らしくて自信満々な理想の先輩』だったはずだ。
彼が俺に憧れて生徒会に入ってくれたことは知っている。
それなのに、女の身体になってしまった今の俺は、後輩の男子から『か弱い女の子』として手加減されているのだ。
これほど男のプライドを抉られる出来事があるだろうか。いや、ない!
先輩として、生徒会長として、そして何より『男』としての魂が、俺の中で業火のように燃え上がった。
「透!」
「ひゃいっ!?」
俺がバンッと両手で机を叩いて身を乗り出すと、透はビクゥッと肩をすくめた。
「お前の、『真の男』を目指す覚悟はその程度なのか!?」
「えっ!?」
目を見開く透に向けて、俺は熱弁を振るう。
「男なら、戦いの場において手加減などするな! それは相手を一番愚弄する行為だぞ! 相手が誰であろうと、真の男たるもの、どんな時でも全力で真剣に取り組め! それが相手に対する最大の礼儀だ!」
生徒会室に俺の熱い声が響き渡る。
ふんすっ、と鼻息を荒くして説教を終えると、透はハッとしたように顔を上げ、その大きな瞳をキラキラと輝かせた。
「ぼ、僕が間違ってました……! ありがとうございます、翔先輩! 目が覚めました! やっぱり先輩はカッコいいです! 憧れます!」
透の表情から迷いが消え、尊敬の眼差しが真っ直ぐに俺に向けられる。
外見だけ見れば、女の子が女の子に男としての生き方を熱血指導をしているというシュール極まりない光景だが、俺たち二人の間には確かに男同士の熱い絆が通い合っていた。
「よし! じゃあ本気で来いよ透! 俺も本気で行くからな!」
「はいっ!」
俺がバッチリとサムズアップを決めると、透も力強く頷いた。
「最初はグー! じゃんけん、ぽん!」
2回目の勝負。またしても透の勝ちだ。
俺は慌ててヘルメットを被る。
一瞬遅れて、透が「えいっ!」と気合の入った声を上げ、ハリセンを振り下ろした。
パァンッ!!
今度は急いで狙ってきたため、しっかりとした良い音が鳴る。
「いてて……ヘルメット越しでもちょっとだけ衝撃が来るな。良いぞ透! その意気だ!」
「えへへ、今度こそ先に当ててみせます!」
手加減なしの勝負に、俺たち二人は笑顔で健闘を称え合う。
続く3回目、4回目は、お互いの呼吸が合いすぎて『あいこ』が続いた。
そして、運命の5回目のじゃんけん。
「ぽん!」
俺のパーが、透のグーに勝利する。
ついに俺の勝利だ!
俺は目にも留まらぬ速さ(のつもりのゆっくり速度)で机の上のハリセンの柄を引っ掴み、渾身の力を込めて振りかぶった。
「うおおっ! 喰らえぇぇぇっ!」
男の意地とプライドを乗せた、必殺の一撃。
だが、その瞬間。
筋肉が皆無となった非力な俺の腕力と、グリップ力は、俺自身の振りの勢いに耐えきれなかった。
「あっ」
ハリセンは俺の手からすっぽ抜け、空中でくるくると綺麗な弧を描いて回転する。
そして重力に従って落下してきたそれは──。
スパーンッ!
見事に、何の防御もしていない俺自身の脳天に直撃した。
「きゃんっ!?」
自分でも信じられないような可愛らしい悲鳴が口から漏れる。
想定外の衝撃と痛みに、俺の足元はもつれ、そのまま前のめりに床へと倒れ込んだ。
「あうぅ……」
痛む頭を押さえながら、俺は床の上で涙目になってうずくまる。
一瞬、生徒会室の時が止まったように、場がシーンと静まり返った。
その静寂を打ち破ったのは、腹を抱えて震えるひよりの声だった。
「ぷっ……くくくっ……『き、きゃんっ』ですって……! 聴きました、姫子先輩!? 会長、可愛すぎ……!」
ひよりは必死に笑いをこらえながら、バンバンと机を叩いている。
視線を向けると、腕を組んだ姫子も、真剣な表情で顎に手を当てていた。
「ええ、兄さんやりますね……。あんな無防備で愛らしい悲鳴、クラスの男どもが聞いたら全員メロメロになって発情していたかもしれません。良かったですよ、ここにいなくて」
感心したように頷く姫子の目は、どこか危うい光を帯びている。
俺は床に這いつくばったまま、顔から火が出るほど赤面した。
先程まで男のプライドだの礼儀だのと偉そうに説教を垂れておきながら、自分の武器で自爆して『きゃんっ』はないだろう。
死にたい。穴があったら入りたい。
「ぐぬぬぬ……い、いいから続きだ続き!」
俺は誤魔化すように立ち上がり、涙目でじゃんけんの構えを取る。
「あ、はいっ!」
透も慌てて構え直した。
仕切り直しの6回目。俺がふたたび勝利をもぎ取る。
今度はしっかりとハリセンを両手で握りしめ、ヘルメットに手を伸ばすのが遅れた透の頭に、ぽこんっとハリセンをヒットさせた。
「よっしゃあ! 俺の勝ちだ!」
俺がガッツポーズを決めると、透は照れくさそうに頭を掻いた。
「えへへ、負けました先輩。やっぱり先輩には敵わないなぁ」
「ふっ、まだまだ俺はお前に負けないからな。見てろよ透。女の身体になっても、俺は俺であり続けてやるからな!」
俺が胸を張って宣言すると、透は元気よく「はい! 先輩!」と満面の笑みで答えた。
無事に後輩を守り切り、男の威厳(自爆はあったが)も保てた。
俺は心地よい達成感に包まれる。
だが、その平和な空気は、すぐさま背後からの声によって切り裂かれた。
「さて。じゃあ次は、私と兄さんの対決ですね」
振り返ると、俺をどう料理しようかとでも言わんばかりの、悪魔のような不敵な笑みを浮かべる姫子が立っていた。
「教えてあげますよ、兄さん。……私と兄さん、どっちが『上』かを」
その言葉に含まれた意味深な響きと、絶対的な強者のオーラに、俺はゴクリと生唾を飲み込む。
負ければ、何をされるかわからない。
俺は震える膝に力を込め、口角を引き上げて強がってみせた。
「へっ……お兄ちゃんを舐めるんじゃないぜ? 俺は、全力でお兄ちゃんを遂行する!」
生き残りを賭けた兄妹対決の火蓋が、今、切って落とされようとしていた。




