第3話 朝起きたら美少女になっていた件について
チュンチュン、という小鳥のさえずりと共に、ジリリリリ! という目覚まし時計の非常ベルのような音が鼓膜を叩く。
俺は「んん……」と唸りながら、重い瞼をこじ開けた。
窓から差し込む土曜の朝日は、いつもと変わらず眩しい。
「……ふぁあ、よく寝た」
上半身を起こし、大きく伸びをする。
と、その時だった。
何かがおかしい。胸のあたりに、いつもは感じない重量感と違和感がある。
それに俺の声のトーンが妙に高い。
「ん……?」
視線を下に向ける。
そこには、俺の鍛え上げた薄い胸板ではなく、パジャマを内側から猛烈に突き上げる2つの大きな膨らみが鎮座していた。
「……は?」
思考が停止する。
恐る恐る手を伸ばし、その膨らみに触れてみる。
むにっ、ぷにっ。
信じられないほど柔らかく、それでいてずっしりとした質量。指が沈み込む感触に、一気に眠気が吹き飛んだ。
「な、なな……なんじゃこりゃあ……!?」
俺は飛び起きた。
その拍子に、ブカブカになったパジャマのズボンがずり落ちそうになる。
慌ててウエストを掴む。手足を見れば、血管の浮いた男らしい腕は消え失せ、白くて滑らかな、ぷにぷにとした肌がそこにあった。
視線もいつもより低い。
「うそだろ……おい、嘘だろ!?」
俺はズボンを引きずりながら部屋を飛び出し、一階の洗面所へ駆け込んだ。
鏡の前に立つ。
「……だ、誰だ君は?」
そこには見知らぬ美少女がいた。
艶やかな黒髪、大きな瞳、そして小柄な身体に対してアンバランスなほどに発育の良い肢体。
どこからどう見ても、学園のアイドル級……いや、それをも凌駕する超絶美少女だ。
「お、俺なのか?」
俺が右手を挙げると、鏡の中の少女も右手を挙げる。
自分の顔をペタペタと触ると、鏡の中の少女も同じ動きをする。
夢だ。これは夢に違いない。
俺は思い切り頬をつねった。
「いったぁぁぁい!」
鋭い痛みが走り、俺は涙目で鏡を見る。
夢じゃない。現実だ。
「えっ!? 誰!? 泥棒!?」
突然、背後から悲鳴が上がった。
振り返ると、洗濯かごを抱えた母さんが、目を見開いて立ち尽くしている。
「あ、母さん! 違うんだ、俺だ! 俺!」
「泥棒ーーッ! 私の家によくも勝手に上がり込んだなこのクソガキ!」
母さんは洗濯かごを放り投げ、鬼のような形相で拳を振りかぶってきた。
過去になにかやっていたのか、その動きは洗練されている。
俺は慌てて両手を上げ降参のポーズを取る。
「ちょっ!? 待って! 俺だよ! 翔だよ!」
「ふざけんじゃないわよ! うちの翔は男の子よ! 嘘をつくならもっとマシな嘘をつきな!」
「ぐあっ!?」
母さんの掌底が慌てて腕を下げた俺のガードの上から炸裂し、俺は突き飛ばされた。
体幹バランスが変わっているせいで踏ん張りが効かず、俺は派手に尻餅をつく。痛い。女の子の体ってこんなに弱いの!?
「どうしたの母さん!? 泥棒って何!?」
騒ぎを聞きつけて、二階から姫子が駆け下りてきた。
「姫子! ほら、この子! 知らない子が勝手に家に入り込んでるの! 私がこの子をボコって尋問するから、あんたは翔を呼んできて! 二度とふざけた真似できない体にしてやるわ!」
「ひ、ひぃぃっ! だから俺がその翔だよ!」
母さんが物騒なことを叫びながら第二撃の構えを取る。
俺は床を這いずりながら必死に叫んだ。
二階へ走り出そうとしていた姫子が、ピタリと足を止める。
「えっ……兄さん? 嘘でしょう……?」
「なんでか知らないけど、朝起きたらこうなってたんだよ! 意味わかんないし信じられないかもしれないけど、信じてくれよ!」
「……」
姫子は疑わしげな目で俺を見下ろす。当然だ。知らない女の子が「俺は兄貴だ」なんて言っても、普通は通報案件だ。
「証明してください」
「えっ?」
「昨日、兄さんの部屋で私が読んでいた本のタイトルは何ですか?」
「呪◯廻戦の20巻だ! そのまま24巻くらいまで一気読みしてただろ!」
「……っ!」
姫子が息を呑む。
俺はさらに、固まっている母さんに向かって叫んだ。
「母さんだって! 昨日、スマホの迷惑メールが本物かどうか俺に聞いてきただろ!? 『ビットコインの振り込みをしろ』とかいうやつ! あれ詐欺だから無視しろって言ったじゃんか!」
その言葉に、母さんの拳が止まった。
そのメールの話は、昨日の夜、リビングで二人きりの時にしかしていない。
「ほ……本当に、翔なの?」
「だから言っただろ!? 信じてくれって!」
俺は涙目で訴える。
母さんはへなへなと座り込み、姫子はゆっくりと俺に近づいてきた。
そして、床に座り込んだ俺の顔を至近距離からじっと見つめてくる。
「……か……可愛い」
ボソリと呟き、なぜか頬を赤らめた。
え、そこ?
*
それからしばらくして。
リビングのテーブルを囲み、俺たち三人は深刻な顔で向かい合っていた。
いくつか個人的な質問を繰り返した結果、母と姫子は、目の前の美少女が紛れもなく一条翔であると確信したようだ。
「信じられないけど……本当に翔なのね」
「ああ。俺もまだ信じられないけどな」
「こんなことって、現実にあり得るのかしら……」
母さんが頭を抱える。
漫画やアニメの中だけの話だと思っていたが、現実に我が身に降りかかるとは。
俺は自分の胸元を見下ろした。やっぱりある。でかいのが2つ。
「翔、何か思い当たるフシはあるの?」
「そんなものあるわけ無いだろう。変な薬を飲んだ覚えもないし、怪しい壺を買った覚えもない」
「……」
ふと見ると、姫子が眉間に皺を寄せ、何か考え込んでいる。
「? 姫子、何か知ってるのか?」
「……ッ!?」
俺が声をかけると、姫子はビクッと肩を震わせた。
「無いわ。あるわけ無いじゃない。まったく。これっぽっちも。素粒子レベルのサイズも無いわ。それ以上ふざけたことを言うと奥歯ガタガタ言わせるわよ」
「そ、そうか……」
すごい早口だ。そして脅し文句が古すぎる。
何か隠しているような気もするが、姫子がそんなオカルトな術を知っているとも思えないし、気のせいだろう。
「まあ、なっちゃったものは仕方ないわ」
母さんがパンと手を叩き、顔を上げた。
さすが女手一つで子供を二人も育てた適応力だ。
「これからの話をしましょう。まず、学校はどうするの?」
「……行くよ」
「え? その姿で?」
「ああ。隠したってバレる時はバレるし、コソコソするのは俺の性に合わない。正直に『俺だ』って言って、今まで通り接してもらうさ」
俺はキッパリと言い切った。
姿形が変わろうと、俺は俺だ。生徒会長としての責務もあるし、何よりこの状況から逃げ出したくない。
それが、最強を目指す男(今は女だが)の矜持だ。
「あんたねぇ……まあ、翔らしいけど。じゃあ制服はどうするの?」
「さすがに男子の制服は……スカート履くしかないよな。月曜までに学校に事情を説明して、女子の制服を用意してもらうよ」
「わかったわ。私が連絡しておく」
母さんは頼もしく頷いてくれた。
俺は隣に座る姫子に向き直る。
「姫子。性別が変わった以上、生活の違いとか……その、男女の生活の違いとか。色々とわからないことが出てくると思うんだ。だから、助けてくれると嬉しい」
俺が頭を下げると、姫子は一瞬きょとんとした後、ふいっと顔を背けた。
「……まったく、仕方ないですね兄さんは」
その横顔は、どこか落ち着かない様子で赤らんでいたが、拒絶の色はなかった。
むしろ、口元が微かに緩んでいるように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
(覚悟を決めろよ、俺。これから波乱の学園生活の幕開けだ)
俺は拳を握りしめた。その手は小さく柔らかかったが、決意は固かった。




