第27話 初めての試練
バレンタインデーの翌日。
授業中に俺は違和感の正体を探っていた。
朝から微妙に鈍い痛みが下腹部にあったのだ。
今朝は寝不足だからかとやり過ごしていたが、この時間になっても一向に引く気配がない。
それどころか、さっきから締め付けるような鈍痛が波を打って繰り返している。
そして、ぬるりとした感覚が走った瞬間、俺の思考は一点に収束した。
(あれ……? まさか俺、この歳で漏らした!?)
頬が一気に熱くなる。
まずい。流石にそれはまずすぎる。
生徒会長がパンツにお漏らしというのは、いかなる意味でも笑えない事態だ。
「……先生」
「何だ? どうかしたのか、一条?」
「目眩がするので、保健室に行かせてください」
挙手をして教室を抜け出した俺は、廊下を早足で進みながら多目的トイレに滑り込んだ。
鍵をかけ、震える手で下着の中を確認する。
「な、なんだこれ!? 怪我!? 一体何処を!?」
ドロリとした、暗い赤色。
思わず声が出た。血だ。しかも結構な量だ。
俺は慌てて怪我の箇所を確認しようとして……股間から血が滲んでいることを発見し、頭の中が真っ白になった。
少し開いてみると新たな血がドロリと流れる。
やばい。これはやばい。何かとんでもない病気にでも罹ったのか。
内側から血が出るなんて、内臓に何かあるのか?
それともTS化の副作用みたいなものか?
パニックに陥りかけたその瞬間、俺の脳裏にある単語が浮かんだ。
(生理……)
女になってから、いつかは来るのではないかと頭のどこかで思ってはいた。
でも「元は男だし、流石に本物の女性と違ってそんな物は来ないのではないか」として棚に上げていた。
まさか今日が、その日になるとは思っていなかったのだ。
コンコン、とドアが控えめに叩かれる。
「ここに入っているのは兄さんですか?」
「……姫子か?」
「ええ。その声は兄さんですね。どうしたのですか? 保健室に行くと聞いて念の為に付き添いで出て来たのですが、何故保健室ではなくトイレに?」
ドア越しに聞こえてくる声は、いつも通り冷静だ。
俺は少しだけためらってから口を開いた。
「……えっと、凄く言いづらいんだが、俺……多分、生理が来たみたいだ」
しばらくの沈黙の後、姫子が静かに答えた。
「わかりました。鍵を開けてください」
「え、ちょ……」
「兄さん」
有無を言わせない圧のある声だった。
俺は渋々鍵を解除する。ドアが開き、姫子が入ってきた。
「見せてください」
「い、いやぁ……それはちょっと、さすがに……!」
俺は両手を前に突き出して阻止しようとした。
しかし姫子の動きは人間離れした速さだった。
俺の制止など物ともせず、次の瞬間にはいつの間にか俺の眼の前に移動していて、しゃがみ込んであっという間に俺のパンツを膝まで引き下ろしていた。
「ぎゃああああ!? お、お前なんて事をするんだこらあああああ!!」
悲鳴が多目的トイレに反響する。
羞恥心が爆発した。いくら妹とはいえ、いくら緊急事態とはいえ、これはあんまりじゃないか!
「……間違いないですね。これは生理です」
姫子は俺の絶叫を完全に無視して、落ち着いた声で告げた。
そしてパンツを元の位置に戻す。
俺、実の妹にパンツを引きずり降ろされて至近距離で見られた上に今度は穿かされてるよ?
泣いて良い? 泣くよ?
「……そうですか。兄さんもこれで、本当の意味で立派な女の子になったんですね」
その言葉は、どこか遠くを見るような静けさを帯びていた。
「そ、それで!」
俺は赤らんだ顔のまま、話を引き戻した。
「俺は何も知らないんだが、どうしたら良いのかを教えてくれないか? さっきからぎゅーっと下腹部が締め付けられるような痛みがあるし、身体がだるいし、頭痛もある。まさかこれ、全部生理が原因なのか……?」
「ええ、そうです。個人差はありますが、全て生理が原因で起こる症状です。平均で三日から七日は続くと考えてください」
「そ、そんなに続くのか!? 一日で終わるものだと思ってた……」
「そんな風に思っていたんですか? 甘いですね」
姫子は少しだけ目を細めた。
「女性は極力表に出さないように我慢しているだけで、毎月数日間、その症状を堪えているんですよ?」
「ま、マジか……! 毎月数日間!? しかも閉経を迎えるまで何十年も、ずっと……? それは……大変だな……」
「兄さんもこれから、毎月そうなるんですよ?」
姫子が静かに追い打ちをかけた。
なん……だと……?
*
それから姫子は、落ち着いた声で対処法を教えてくれた。
お腹はカイロや湯たんぽで温めること。
冷えは大敵だから、腹巻きと厚手の靴下を使うこと。
食事は鉄分多めにして、レバーやほうれん草を意識すること。
激しい運動は避けて体育は見学すること。
ただし軽い散歩は意外と楽になること。
ナプキンの交換は二~三時間ごと。
矢継ぎ早に出てくる実用的な情報に、俺はただただ頷くことしかできなかった。
「とりあえず、生理初体験の兄さんは予定通り保健室で横になってください。頭痛薬も貰いましょう。さあ行きますよ」
姫子に促され、俺は保健室のベッドに潜り込んだ。
白河先生に事情を話すと、驚きつつも「大変だったわね」と温かいホットミルクと頭痛薬を用意してくれた。
天井を見上げながら、俺はため息をついた。
「はぁ……女性は大変だな。こんなのが何十年も毎月かぁ。尊敬するよ、本当に」
カーテンの外では、白河先生と姫子が小声で話している気配がする。
ゆっくりと目を閉じかけた時、姫子の声が聞こえてきた。
「……すみません、兄さん」
「? なんでお前が謝るんだ?」
俺が問い返すと、姫子は一瞬だけ何かを言いかけて、口を閉じた。
「いえ、なんでもないです。気にしないでください」
視線を逸らした横顔が、らしくないほど静かだった。
……そういえば。
最初に女の身体になった朝、姫子に原因を何か知らないかと訪ねた時。
彼女の何も知らないという否定の言葉は妙に早口だったし、目線が泳いでいた。
何かを知っているような、あるいは何かに後ろめたさを感じているような……。
(でも、いくら姫子がすごいやつだといっても、男を女に変えることなんかできるわけないんだよなぁ)
俺は自分の考えを頭の中で笑い飛ばした。
そんな非現実的なことが起きるわけがない。
それこそ、ま◯かマギカみたいな奇跡でも使わない限りは。
温かいホットミルクのおかげか、頭痛薬が効き始めたせいか、身体が少しずつほぐれてくる。
せっかく保健室のベッドで横になっているのだから、少し眠ろう。
目を閉じる直前、もう一度だけ姫子の横顔を見た。
彼女はじっと俺を見つめていた。
その瞳の奥に何があるのか、今の俺には読めなかった。




