第25話 水無瀬リンの正体について
放課後の廊下を歩く俺は、考え事にふけっていた。
朝の教室で見た「水無瀬リン」という新人声優のことが頭から離れない。
透にそっくりな顔立ち、同じ苗字、そして何よりもあの声。
もし俺の推測が正しければ、透には双子に近い姉か妹がいることになる。
あるいは……いや、まさか。
俺は首を振り、その疑念を振り払った。
生徒会室に到着し、ドアノブに手をかける。
中からは既に、聞き慣れたハイテンションな声が響いていた。
「ねえねえ! 透くん! この子見てよ! エクレールの声優さんだよ!」
ガチャリとドアを開けると、そこにはスマホ片手に透へ詰め寄る天道ひよりの姿があった。
あの時のオタクバレを経て、彼女はもう隠すことをやめたらしい。
イケてるメイクに制服を着崩した姿で、早口で推しについて語るその姿は、ある意味で清々しいほどだ。
「今まで顔出ししてなかったのに、まさかそのご尊顔を見せてくださるなんて! しかもすっごい可愛いの! これもう実質エクレールちゃん本人降臨じゃん!?」
「あはは……そ、そうだね。すごいね」
対する透は、どこか引きつった笑顔で相槌を打っている。
その視線は泳ぎまくり、額にはじわりと冷や汗が滲んでいた。
「へ、へぇ~。この人がそうなんだね。でも、顔出ししていなかったのなら、あんまり見ないであげたほうが良いんじゃないかな……? ほら、ご本人の意向とかもあるかもしれないし」
「えー? 公式生放送に出てるんだから解禁ってことでしょ! ガン見するっしょ!」
困ったような透の言葉を、ひよりは意に介さずスルーする。
そこに、おっとりとした声が加わった。
「なになに~? 可愛い子なら私にも見せて~?」
副会長の夕映先輩だ。
プリントを読んでいた手を止め、興味津々といった様子でひよりに近づいてくる。
「ほら! 夕映先輩! この子っすよ!」
「あら~、本当に可愛いわね~! お人形さんみたい。お名前は?」
「『水無瀬リン』ちゃんって言うんすけどね、声優事務所のプロフィールによると、私と同じ高校1年生らしいんすよ! 私の推しのエクレールちゃんの中の人が同い年だなんて、運命感じちゃうっすねー!」
ひよりは嬉しそうに飛び跳ねる。
その喜びに満ちたはしゃぎっぷりに、夕映先輩も「ふふ、良かったわねぇ」と微笑ましそうに見守っていた。
平和な光景だ。……一人を除いては。
「まったく、騒々しいわね……」
何故か俺の座るべき生徒会長席に座っていた姫子が、文庫本をパタンと閉じてため息をついた。
冷ややかな視線がひよりに向けられる。
「オタクを開き直った途端、やかましさが倍になったんじゃない? まったく、少しは自制心を持ちなさい」
「うっ……」
姫子の毒舌が突き刺さる。
ひよりの肩がガクリと落ち、パッと笑顔が消えた。
その表情に浮かんだのは、怯えのような色だった。
「ひ、酷いっすよ姫子先輩……! なんすか、姫子先輩はアニメや声優が好きなオタクはキモいって思うタイプっすか……?」
ひよりの声が震えている。
彼女にとって「オタク趣味を否定されること」は、中学時代のトラウマそのものだ。
一昨日、俺があれだけ『俺達は誰もお前のことを笑ったりしない』と励ましたのに、よりによって姫子がその傷口をえぐってしまったのか。
「それなら自重しますけど……気に障るようなことを言ってすみません……」
ひよりはシュンと萎縮し、姫子の顔色を伺うように俯いてしまった。
まずい。これは俺がフォローに入らないと。
俺が一歩踏み出そうとした、その時だった。
「? オタクがキモいって、何でそうなるの?」
姫子が不思議そうに首を傾げた。
その言葉には、軽蔑の色は微塵もない。ただ純粋な疑問だけがあった。
「私は騒がしいからもう少し静かにしろと言っただけよ? 好きなことを好きだと言って、何がおかしいのよ」
姫子は椅子から立ち上がり、ゆっくりとひよりに歩み寄る。
そして、指を一本ずつ立てながら数え始めた。
「アニメが好き、料理が好き、スポーツが好き、ブランドファッションが好き」
「え……?」
「興味の対象が違うだけで、全部同じ事じゃない。何かに熱中するのがオタクなら、人間誰でも何かのオタクって事でしょう? それに、アニメやゲームが好きだったら気持ち悪いなんて誰が決めたのよ。私はそう思ってないんだから、私の価値観を勝手に決めないでくれる?」
言い切って、姫子は長い黒髪をファサリとかきあげる。
その姿は、凛としていて美しかった。
「私はね。自分の好きなことを熱心に語る人は嫌いじゃないわ。オタク趣味を隠す事をやめた今の貴方は、以前よりずっと生き生きとしていて、魅力的な女の子に見えるわよ?」
(姫子……!)
俺は目を見開いた。
こいつは、こんなにも他人に対して偏見を持たず、しっかりと向き合うことが出来る人間に育ってくれていたのか。
普段の無表情で毒舌な態度に隠れがちだが、根底にあるのは筋の通った優しさだ。
正直、ひよりに対して配慮のない言葉のナイフをぶつけるかと危惧していたが、いらぬお節介だったようだな。
俺は小さく笑った。
「姫子先輩……」
ひよりが顔を上げ、潤んだ瞳で姫子を見つめる。
そこにはもう、怯えの色はない。
「私のことを受け入れてくれて、ありがとうございます……!」
ひよりは満面の笑みで感謝を伝えた。
すると、今度は姫子の方がバツが悪そうに視線を逸らした。
「ふん……当たり前のことを言ったまでよ」
おお、レアな表情だ。照れてるのか?
ひよりはそんな姫子の様子を見て、ニヤニヤといじわるな笑みを浮かべた。
「へへ~、自分の好きなことを熱心に語る人は嫌いじゃない、ですか~。なら、翔先輩の事をもっと熱く語ってくださいよ。姫子先輩の大好きな『お兄さん』について!」
「っ!?」
パァンッ!
乾いた音が室内に響いた。
姫子の平手が、ひよりの頬を捉えた音だ。
「いったああああああああ!? なんすか!? いきなりビンタなんてあんまりじゃないっすか!?」
「ひよりが急に変なことを言うからでしょう!?」
「えー? だって姫子先輩が一番色々な事を隠してるじゃないっすか! 私が晒したんだから先輩も素直になりましょうよ~!」
「黙りなさい! よく回るのはこの口か! 今すぐ縫い付けてあげましょうか!?」
姫子は顔を真っ赤にして、ひよりの頬をむにーっと引っ張り始めた。
「いたたたたたた!? ほっぺた引っ張らないでくださいよぉ~!」
ギャーギャーと騒ぐ二人。
俺はその光景を見て、(なーにやってんだこいつら。まぁ、これがひよりと姫子の日常なんだよな)と苦笑した。
なんだかんだで、いいコンビなのかもしれない。
ふと、ひよりの頬を引っ張っていた姫子の手が止まった。
その視線が、机に置かれたひよりのスマホの画面に注がれる。
そこにはまだ、あの『水無瀬リン』の動画が再生されていた。
「あら……? この子……」
姫子が眉をひそめる。
それに気づいたひよりは、拘束を抜け出して得意げにスマホを掲げた。
「おっ! 姫子先輩もリンちゃんに興味湧きました!? 可愛いでしょリンちゃん! 私の推しなんすよ!」
「……」
姫子はひよりの言葉に答えず、じっと画面を見つめている。
その目は、警察が容疑者を疑うような、あるいは違和感の正体を探るような鋭さを帯びていた。
「……ねえ、この子。本当に女の子?」
ポツリと、姫子が呟いた。
その瞬間。
俺の視界の端で、透がビクッと大きく肩を震わせたのが見えた。
「ええ? 何を言ってるんすか姫子先輩? どう見ても女の子に決まってるじゃないっすか。プロフィールにも女子高生って書いてあるし」
ひよりは困惑して首を傾げる。
(姫子も……違和感に気づいたのか?)
姫子は大の男嫌いだ。
男性恐怖症であるがゆえに「男」という生き物に対して異常なまでの嗅覚を持っている。
生理的に受け付けない対象だからこそ、その気配や骨格、仕草の端々に滲み出る「男らしさ」を敏感に感じ取ってしまうのだろう。
もし、水無瀬リンが本当は男だとしたら……。
姫子のその直感は、恐ろしいほどに的確なセンサーとなる。
(……透)
俺はさりげなく、透の方へ視線を向けた。
透は落ち着かない様子で姫子たちの様子をじっと見つめていた。
その姿はまるで、捕食者に見つかった小動物のようだった。
「水無瀬リン」という人物はひょっとしたら透の姉か妹だと疑っていたが、もし彼女が女装した男だというのならば、透自身が「水無瀬リン」その人なのかもしれない。




