第14話 燃えよお嬢様
「必死に抵抗しちゃってさぁ~。可愛いねぇ君。自分のこと『俺』とか言っちゃってさ、強がって男っぽく言ってるんだろうけど、逆に超可愛いよ?」
腕を掴む男の指が、俺の肉に食い込む。
男は俺の頬を無遠慮に撫で回した後、耳元に口を近づけてきた。
吐息が生温かくかかり、鳥肌が全身を駆け巡る。
「君、男性経験無いでしょ? 大丈夫。俺って経験豊富だからさぁ、足腰立たなくなるくらい気持ちよくしてあげるから」
囁かれた言葉の意味を理解した瞬間、思考が真っ白に弾け飛んだ。
圧倒的な力の差。どうあがいても勝てない相手が、俺の身体を、尊厳を貪ろうとしている。
恐怖が喉の奥からせり上がり、悲鳴となって飛び出した。
「いやだ! 俺は男だ! やめろ! 離せよ! 離せってば!」
涙がボロボロと溢れ出る。
俺は必死に叫んだ。自分は男だと。女の体になっても、心は男なんだと。
だが、その叫びは男たちの笑い声にかき消される。
「ぎゃっはははは! 逃げるために嘘を吐くにしてももっとマシなウソをつけよ!」
男たちは腹を抱えて爆笑している。
俺の必死の訴えなど、彼らにとってはただの滑稽な余興でしかない。
絶望が視界を黒く塗りつぶそうとする。
もう駄目だ。何もかも終わりだ。
そう思いかけた時だった。
視界の端に、同じように男に腕を掴まれ、震えている夕映先輩の姿が映った。
(――っ!)
その瞬間、俺の中で何かが弾けた。
意識が一気に覚醒する。
(そうだ……俺は何をパニックに陥っている)
涙で滲んだ視界のまま、俺は奥歯を噛み締めた。
俺は一条翔。生徒会長にして、男の中の男を目指す男だ。
かつて幼い妹・姫子を守ると誓った俺が、尊敬する先輩ひとり守れずに、何が生徒会長だ!
(たとえ俺はどうなろうとも、夕映先輩だけは必ず守るんだ!)
折れそうだった心を無理やり繋ぎ止め、俺は拳を強く握りしめた。
狙いは一点。油断しきっている目の前の男の顎。
俺は渾身の力を込め、自由になっている右腕を振り抜いた。
「うおおおおおっ!」
バゴッ!
完全に無防備だった男の顎に、俺の拳がクリーンヒットする。
脳を揺さぶられた男の瞳孔が開く。
「ごあっ!? え? あえ……?」
呂律の回らない声を漏らしながら、男はその場に崩れ落ちた。
よし、やった!
他の男たちが「は?」と呆気に取られている隙に、俺は自由になった身体で、もう一人の男へ躍りかかる。
まずは一番近いこいつだ! こいつを倒した後は先輩を掴んでいる男だ。そうすれば逃げられる!
「喰らえっ!」
俺は再び拳を繰り出した。
だが――。
パシッ。
乾いた音が響く。
俺の拳は、男の手のひらに軽々と受け止められていた。
「お前、女の子にしては腰の入った綺麗なパンチのフォームだけど、軽い。軽すぎるんだよ」
男は冷ややかな目で俺を見下ろす。
そして、先輩を捕まえているもう一人の男と一緒に、気絶した仲間を指差してせせら笑った。
「油断してたとはいえこんな子供みたいな威力のパンチに気絶させられるとか、あいつダッセェwww」
嘲笑とともに、男の手が俺の制服の襟元にかかる。
ブチブチッ!
乱暴な力でシャツのボタンが引きちぎられた。
「でもな、俺達に手を上げたんだから何されても文句は言えないよな? 優しくしてあげようって思ってたのに、仕方ねえよなぁ」
ドスの利いた声。
俺はそのまま地面に押し倒された。痛みとともに背中に冷たい土の感触が伝わる。
見上げれば、男の歪んだ欲望に満ちた顔があった。
「ふざけんなよ……ふざけんな!」
俺は叫んだ。
自分の無力さが悔しい。こんなクズどもに屈するのが悔しい。
「お前たちのようなクソ野郎は男じゃない! 男ならその強さで弱きを守れ! 女性はお前たちの欲望を満たすためのオモチャなんかじゃない! 愛して、愛されて信頼しあって共に生きる存在だ! 胸を張って誰からも尊敬される生き方をしろ!」
それは、俺自身が信じる「男」としての矜持だ。
だが、男には届かない。
「お前、何言ってんの?」
男は理解不能といった顔で笑い、俺のスカートの中へと手を伸ばしてきた。
ゴツゴツとした指が太ももを這う。
もう駄目なのか? いや違う! 俺にはまだ何か戦う手段が残っているはずだ!
何か! 何でも良い! 抗え! 立ち向かうんだ!
ドゴォッ!!
鈍く、重い衝撃音が響いた。
次の瞬間、俺の上にのしかかっていた男が膝蹴りを喰らい、真横に吹き飛んでいくのが見えた。
何が起きた?
俺は呆然と体を起こし、男を蹴り飛ばした救世主を見る。
「ごめんねぇ翔くん。久しぶりだからちょっと手間取っちゃった」
そこに立っていたのは、ペロリと舌を出して謝る夕映先輩だった。
「せ、先輩? えっ? 先輩を掴んでた男は……?」
慌てて視線を巡らせると、先輩がいた場所には、鼻と口から血を流して白目を剥いている男が転がっていた。
まさか、先輩がやったのか? え? マジで?
あの天然で、おっとりした先輩が?
「いってぇええええ! クソがぁ……やりやがったな?」
吹き飛ばされた男が、ふらつきながら立ち上がった。
側頭部を押さえ、殺意に満ちた目で先輩を睨みつける。
危ない!
俺が叫ぼうとしたその時、先輩がスッと重心を落とした。
右手を前に、左手を胸元に置く独特の構え。
「その構えはまさか……じ、ジークンドー……?」
構えを取った先輩の姿に、かつて映画で見た世界的アクションスターの姿が重なる。
截拳道。
かのブル◯ス・リーが創始した、型や固定された流派を持たない超実戦的な格闘技術。
あの優雅な先輩と、実戦格闘術。あまりのギャップに脳が混乱する。
「ぶっ殺すッ!」
男が怒声と共に掴みかかった。
だが、先輩は動じない。
伸びてきた手を、目にも留まらない速度でパシッ、パシッと叩き落とす。
驚いた男がさらに殴りかかろうとするが、先輩はその腕を絡め取るように捌き、いなし、逆に男の体勢を崩していく。
まるで舞踏のように優雅で、それでいて無駄のない動き。
そして――。
トンッ。
先輩が鋭く踏み込んだ。
次の瞬間、男のみぞおちに先輩の拳が吸い込まれるように突き刺さる。
非力な身体でも、全体重を乗せた一撃は深く肉体をえぐる。
「ごふっ!?」
呻いて前のめりになった男の目を指で突き、顎を下からカチ上げるように拳を叩き込む。
男の上体が大きくのけぞる。
そこへ、先輩の身体が独楽のように回転した。
遠心力を乗せた美しい回し蹴りが、男の頭部を捉える。
パァンッ!
凄まじい衝撃音が響き、男は仰向けに倒れ込む。
先輩は高く飛び上がり、とどめを刺すべく男の腹の上に両足を揃え、全体重を乗せて踏みつける。
男はうめき声を上げ、そのままピクリとも動かなくなった。
先輩は男を下敷きにしたまま、泣き笑いのような表情で顔と拳を震わせる。
(あっ、これ知ってる! 燃えよド◯ゴンでオ◯ラにとどめを刺した時の表情だ……!)
静寂が訪れる。
先輩は男から飛び降り、軽やかにステップを踏んで残心を解くと、倒れた男たちを見下ろして「ふぅ」と深く息を吐いた。
「喧嘩なんて本当に久しぶり。怖かったぁ」
胸を押さえて安堵の表情を浮かべる先輩。
いやいやいや、どこが!? 今の動きのどこが怖がってる人の動きなんですか!?
「せ、先輩? 今のは一体……?」
俺が恐る恐る声を掛けると、先輩はいつものおっとりした笑顔に戻って振り返った。
「え? ああ、私の家がお金もちって話をしたでしょ? だからね、私は幼い頃からもしもの事件に巻き込まれた場合のために護身術を習わされてたんだぁ」
護身術ってレベルじゃねーぞ!? 完全に制圧術だろ!
「あまりにも久しぶりだったからカンを取り戻すのに時間がかかっちゃった。すぐに助けてあげられなくてごめんね。怖かったよね」
先輩はそう言って俺に近づき、優しく抱きしめてくれた。
柔らかな胸の感触と、甘い香り。そして頭を撫でてくれる温かい手。
俺は先程まで本当に怖かった。涙が出るほど怖かった。
だけど今は、あまりにも意外すぎる先輩の姿に困惑する気持ちのほうが大きすぎて、涙も引っ込んでしまったのだった。




