第13話 高嶺の花の正体と、招かれざる客
生徒会室を出た俺は、夕映先輩と並んで廊下を歩いていた。
本来なら家の方角が違う先輩と一緒に帰ることはないのだが、今日は特別だ。
「翔くんと一緒にコンビニの『盛りすぎチャレンジ』のスイーツを買いに行きたいなぁ」
そんなキラキラした目でお誘いをしてくれる先輩を、断る理由なんてどこにもない。
むしろ俺も、あの話題のスイーツが気になっていたところだ。
校舎を出て、コンビニへの道を二人で歩く。
風が少し冷たく肌を撫でるが、隣を歩く先輩の柔らかな雰囲気が、不思議と温かい。
ふと、横目で先輩を盗み見る。
風に揺れる艶やかな髪、背筋がすっと伸びた姿勢、そして一歩一歩の足運びまで。
元々綺麗な人だとは知っていたが、こうして意識して見ると、その所作の一つひとつが洗練された女の子らしくて……とにかく美しい。
ガサツな俺とは大違いだ。中身は男のままだとしても、今の俺は外見上は美少女(自分で言うのも何だが)。
少しは見習うべきなのかもしれない。
俺の視線に気がついたのか、夕映先輩が足を止めてこちらを振り返った。
「どうかしたの? なにか気になる?」
小首を傾げてニコリと笑う仕草すら、ドラマのワンシーンのように様になっている。
「ああ、いや……先輩ってひょっとしてお金持ちの家のお嬢様なんですかね? 何ていうか、細かい所作が綺麗で品があるというか……」
正直に感想を伝えると、夕映先輩は「うーん」と口元に人差し指を当てて考える仕草をした。
「そうねぇ。翔くんは『LUMIÈRE KIRYU』って知ってる?」
唐突な質問に、俺は記憶の糸を手繰り寄せる。
「えっと、確か日本発のブランドとしては珍しく、パリ・ミラノ・ニューヨークのコレクションに参加するくらいの世界的ハイブランドの高級ファッションブランドですよね」
テレビの特集や街中の巨大広告で見たことがある。あの洗練されたロゴと、見ただけで高級品だとわかるドレスの数々。
「……ん? ルミエール・キリュウ……? キリュウ……桐生……」
そこで俺の思考が一点に収束した。
目の前にいるのは、桐生夕映先輩。
ブランド名は、LUMIÈRE KIRYU。
「まさか……先輩の家って……」
恐る恐る尋ねる俺に、先輩はあっけらかんと答えた。
「隠すつもりはなかったんだけどね。そうなの。私はそのファッションブランドを経営する桐生麗華の娘なの」
「桐生麗華さん!? 俺、テレビで何度も見たことありますよ!? あの人、先輩のお母さんだったんですか!?」
俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
まさか、本当にそんな超のつくセレブのお嬢様だったとは。
海外セレブや王族にも愛用者が多く、日本国内では“成功したハイブランドの象徴”として扱われている、あのブランドのご令嬢。
俺は女性向けファッションには詳しくないが、そんな俺でも知っているくらいのビッグネームだ。
驚愕する俺を見て、先輩は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「えっとね、別に自分から言うことじゃないし……中学生の頃、防犯的な意味でも車で学校に送り迎えしてもらったり、学校側に色々と配慮してもらったりした結果、先生も皆も私に気を使っちゃってね? あまり仲の良いお友達が出来なかったんだ」
その言葉の端々から、当時の孤独が滲み出ているような気がした。
特別扱いされることの窮屈さ。誰とも対等になれない寂しさ。
「だからね。高校に入ってからは家のことは出来る限り隠して、お母様たちには内緒で先生たちにも特別扱いしないでくださいってお願いしたんだ。生徒会に入って、皆にも皆と同じ普通のお友達として接して貰えて凄く嬉しかった」
先輩は一歩前を歩きながら、嬉しそうに語る。その背中は少し小さく見えた。
そしてくるりと俺の方へ振り返り、祈るように両手を合わせた。
「だから、家が大きいとか母が世界的有名人だとかは気にしないで、ただの高校生・桐生夕映として接してほしいな」
切実な願い。
彼女にとっての「普通」が、どれほど貴重なものなのかが痛いほど伝わってくる。
俺はフッと笑った。
余計な心配してる先輩に、一言言ってやらなくては。
「何言ってるんですか先輩。確かに先輩は大企業の社長令嬢かもしれない。でも!」
俺はビシッと腰に手を当て、胸を張って言い放つ。
「俺なんて人類初の男子高校生から女子高生に細胞レベルで変化した、歴史的にも唯一の人類ですよ? 夕映先輩の特別性なんて、俺から言わせればなーんてこともない!」
俺の言葉に、先輩はキョトンと目を瞬かせた。
数秒の沈黙の後、彼女の表情がパァッと明るくなる。
「確かに……私なんて、なんてこと無いね!?」
「そうですよ! だから、夕映先輩に対して俺は何も態度を変えませんよ? だって先輩は優しくて美人の、ただの俺が尊敬してるだけの先輩なんですから」
ニヤリと笑って見せると、先輩は安堵したように息を吐き「ふふ……ありがとうね翔くん」と優しく微笑んだ。
その笑顔は、さっきまでの寂しげなものとは違う、心からの笑顔に見えた。
「じゃあ、行こう翔くん! 盛りすぎチャレンジが私たちを待ってるよ! おー!」
「おー!」
小さく拳を突き上げて歩き出す先輩の後ろ姿を見ながら、俺は思う。
女になって俺が感じた、あの突き刺さるような好奇の視線。周囲から浮いてしまったことによる不安や孤独感。
きっと先輩も、中学生の頃に同じような、あるいはもっと深い孤独を感じていたのかもしれない。
特別であることは、時に残酷な壁を作る。
でも、俺たちは生徒会だ。
変なやつばかりが集まるこの場所なら、社長令嬢だろうが、元男の美少女だろうが関係ない。
俺や生徒会の皆は、絶対に態度を変えたりしない。
先輩はずっと、俺たちの大切な仲間であり、友人であり続ける。
そんなことを心の中で誓いながら、俺は軽やかな足取りで先輩の後を追った。
*
コンビニの自動ドアをくぐると、夕映先輩はいそいそとレジ横のスイーツ売り場へ一直線に向かった。
その足取りはまるで玩具売場へ向かう子供のように軽やかで、見ているだけでこちらの頬が緩んでしまう。
「ありましたか、先輩?」
後を追いかけて声をかけると、先輩は花が咲いたような笑顔でこちらを振り向いた。
「見て見て~! いつもよりクリームいっぱい! 凄いね~」
先輩の手には、ずっしりと重そうなレアチーズケーキが握られている。
「うわっ、本当だ! 50%アップって言いながら2倍くらいになってますね! こりゃあ満足度高いですよ先輩」
そのボリュームに俺も思わず感嘆の声を上げる。さすが「盛りすぎ」を謳うだけのことはある。
無邪気に喜ぶ先輩の姿は、とても世界的企業の令嬢には見えない。
ただのスイーツ好きな可愛い女子高生だ。
「私、こんなに食べきれるかなぁ? そうだ、翔くん半分こしましょう?」
「いいですね。じゃあ俺が半分お金出しますよ」
当然のように財布を出そうとすると、先輩は優しく俺の手を制した。
「ふふ、いいよいいよ。私が食べきれないから手伝ってもらうだけだし、私は先輩なんだよ? 気にしないで」
「えっ、でも……」
「いいのっ」
にっこりと微笑む先輩の優しさに、俺は素直に甘えることにした。
ここで断るのも逆に印象悪いよな。
「わかりました。ありがとうございます先輩!」
俺は深く頭を下げる。
会計を済ませた俺たちは、コンビニの近くにある小さな公園へと移動した。
夕暮れ時の公園は人気が少なく、ブランコが風で揺れてキィキィと音を立てている。
俺たちは並んでベンチに座りケーキを半分に分けた後、店員さんにもらったスプーンを構えた。
「じゃあ、いただきまーす」
「いただきます」
同時に一口目を口へ運ぶ。
濃厚なチーズの風味と、なめらかなクリームの甘さが口いっぱいに広がる。
「ん~! おいしいね! コンビニ洋菓子はやっぱり私、ロー◯ンが1番好きだなぁ」
「そうですね。価格は上がりましたが、最近のコンビニスイーツは専門店に負けないくらいおいしくなりましたね」
先輩は幸せそうに目を細め、俺もまたその美味しさに舌鼓を打つ。
しばらく二人でスイーツを堪能していると、先輩がふと思い出したように声を上げた。
「あっ、そうだ! 私、一度やってみたかった事があるんだ。翔くん、スプーンを貸してもらえる?」
「え? はい、どうぞ」
何だろうと思いながらスプーンを手渡すと、先輩は自分のケーキを一口分すくい取り、それを俺の口元へと差し出してきた。
「はい、あ~ん」
俺の思考が一瞬停止する。
目の前には、クリームたっぷりのケーキと、期待に満ちた瞳で見つめてくる美人な先輩。
「えっ!? ちょっ、恥ずかしいですって先輩!」
顔が一気に熱くなるのを感じながら、俺は慌てて身体を引いた。
しかし先輩は引かない。むしろ少し身を乗り出してくる。
「クラスのお友達とは何回かやった事があるんだけど、可愛い後輩にも一度やって見たかったんだぁ。翔くんが男の子の時は流石に恥ずかしかったけど、今は女の子だからいいでしょ? ねっ、ねっ、いいでしょ~? 1回だけだからぁ」
上目遣いで可愛くおねだりされてしまっては、断れるはずがない。
くっ、この人は自分の魅力を理解して使っているのか、それとも天然なのか……!
まあ、今の俺は外見上は同性だ。
周りから見ても、仲良しの女の子同士が戯れあってるだけにしか見えないだろう。
「……わかりましたよ。1回だけですよ?」
「やったぁ!」
俺が観念して口を開けると、先輩はぱあっと表情をほころばせ、慎重にスプーンを俺の口へと運んでくれた。
パクッ。
スプーンが離れ、俺は口の中の甘味をモグモグと咀嚼する。
「お、おいしいです。なぜか自分で食べるよりも……」
不思議だ。味は同じはずなのに、なんだか特別な味がする気がする。
「えっへへ。良かった~! かっこいい翔くんも良いけど、今の翔くんは本当に可愛くなったね~」
先輩の手が伸びてきて、俺の頭を優しくなでなでした。
俺は長男だ。ずっと妹を守る側として、男として、強くあろうとしてきた。
だけど今、こうして年上の女性に甘やかされていると……。
(こ、これが弟の気分か……お姉ちゃんって……良いな!)
心地よい安心感に包まれて、姉に甘える弟になりたいという気持ちが、ほんの少しだけ芽生えてしまう。
こんなのも、たまには悪くないか。そう思った矢先だった。
「あれれ~? 君たちメッチャ可愛いね~。学生さん?」
突然、聞き覚えのない男の声が降ってきた。
ビクリとして顔を上げると、そこには三人組の男たちが立っていた。
金髪にピアス、ジャラジャラとしたアクセサリー。
いかにも軽薄そうな雰囲気が漂っている。
先輩がスプーンを持ったまま、キョトンとした顔で首を傾げた。
「そうですけど、私たちに何かご用ですか?」
「ご用ですか? だって! お上品だね~! 激アツじゃん!」
「ねえ、君たち俺たちと遊ぼうよ! 君たちみたいなお上品なお嬢様が知らない事いーっぱい教えてあげるからさぁ」
男たちはニヤニヤと笑いながら、俺と先輩を囲むようにジリジリと距離を詰めてくる。
逃げ道を塞ぐような動き。慣れている。
俺の中に危険信号が鳴り響いた。
これは、ただのナンパじゃない。
「いや、俺たちはもう帰るところだから。離れてくれ。行こう、先輩」
俺は努めて低い声で威嚇し、先輩の手を取って立ち上がろうとした。
だが、一番近くにいた男が俺の腕を掴んだ。
「いやいや、そういうのいいから」
ヘラヘラとした笑みのまま、その手には確かな力が込められている。
俺は反射的にその手を振り払おうと力を込めた。
――ッ!
動かない。
びくともしない。
(くそっ、以前の俺ならこの程度簡単に払い除けられたのに、なんて非力な体なんだ……!)
焦りが全身を駆け巡る。
今の俺の身体は、筋肉など皆無のプニプニとした女性の肉体だ。男の力には到底敵わない。
自分の無力さを突きつけられ、思考が白く染まりかける。
その時、他の男たちのひそひそ話が耳に入ってきた。
「おい、こいつらの乳超でけえじゃん」
「当たりだな」
男たちの視線が、俺と先輩の胸元にねっとりと絡みつく。
無遠慮に品定めする、欲望に満ちた目。
ゾクリと背筋が凍りついた。
体育倉庫の時とはレベルが違う。
遠藤は友人だから話せばわかってくれた。
だが、こいつらは違う。こいつらはきっと獲物として捕らえた俺達を逃がす気はない。
男として生きてきた時には感じたことのなかった、本能的な恐怖。
狩られる側の恐怖。
非力な女の身体となった自分と、それを狙う圧倒的な力を持つ男たち。
この立場になって初めて理解したその恐ろしさに、俺の目には涙が滲んでくるのだった。
「やっ……やめろっ」
凄もうとしたが掠れた声しか出ない。
男たちは怯える俺を見てニヤニヤと笑う。
怖い。怖い怖い怖い。
誰か……誰か助けて……!




