第10話 定例会議
波乱の挨拶タイムも終わり、全員が着席した。
長方形のテーブルの上座に俺が座り、左右に姫子と夕映先輩、その奥にひよりと透が座る。
これがいつもの定位置だ。
「それじゃあ、生徒会定例会議を始めようか」
俺が宣言したのとほぼ同時に、コンコン、とドアがノックされた。
来客の話は聞いていないが、誰だろうか?
「どうぞ」
俺が声を掛けると、二人の大人が入室してきた。
生徒会顧問である黒瀬大地先生と、養護教諭の白河すみれ先生だ。
「お前ら揃ってるな。……って、お前がひょっとして翔か?」
入室早々、黒瀬先生が俺の方へ歩み寄ってきた。
42歳、担当は現代文。緩めたネクタイに第一ボタンを開けたワイシャツ、袖を捲り上げた腕には程よい筋肉がついている。
無精ひげを生やしているが不潔感はなく、枯れた色気を漂わせる、いわゆる「イケオジ」だ。
「職員会議で聞いてたが、本当に女子になってるんだなぁ。いやぁ、マジでアニメみたいなことが現実にあるんだな。信じられん」
黒瀬先生は俺の目の前で立ち止まると、上から下まで、未知の生物を確認するかのようにしげしげと眺め回した。
うっ、なんか見定められているようで落ち着かない。
「黒瀬先生。女生徒をそんなにじっくり見つめるのはセクハラですよ?」
後ろから、冷静な声が飛んだ。
白衣の下に上品なブラウスとタイトスカートを着こなし、黒髪のストレートロングに細縁メガネが知的な印象を与える24歳の美女、白河先生だ。
大人の魅力あふれるその姿に憧れ、仮病で保健室を訪れ追い返される男子生徒の数は計り知れないという。
「えっ!? マジかよ! 令和は見るだけでもセクハラ扱いされちまうのか? やだねぇ~令和! 何をするにもヒヤヒヤもんだ。平成に戻りたいぜ」
黒瀬先生は大げさに肩をすくめ、俺から一歩距離を取った。
白河先生は呆れたように小さく息を吐くと、俺の方を向いてパチリとウインクした。
「翔くん、久しぶりね。今回はね、生徒会で早急に決めてほしい議題があるの」
議題? 俺は居住まいを正した。
白河先生は表情を引き締め、説明を始めた。
「翔くんは生物学的には完全な女性になったけど、精神は男性という、世界初の特例になったの。そこで、緊急の職員会議でいくつか対応策が決まったわ」
彼女と黒瀬先生から説明されたのは、俺の学校生活における「セーフティーネット」の話だった。
「まず、トイレの使用について」
白河先生が指を一本立てる。
「男女どちらに入れるかを即決するには問題が多すぎるわ。翔くんの精神面や、周囲の生徒への影響を考慮してね。だから当面の間は、“中立の場所”を使ってもらうことになるわ」
「中立の場所、ですか?」
「ええ。多目的トイレの暫定利用よ。これなら誰にも気兼ねなく使えるでしょう?」
なるほど。確かに男子トイレで俺とすれ違う男子たちの事を考えると申し訳ないし、女子トイレに入るのは俺の精神的ハードルが高すぎるし、俺の利用を望まない女生徒もいる。妥当な判断だ。
「次に、トイレ以上にデリケートな着替え、つまり更衣室問題について」
これは俺も頭を悩ませていた問題だ。昨日の体育倉庫事件の原因でもある。
「男子更衣室は、今の翔くんの身体的にリスクが高すぎるから却下。もし翔くんが望んだとしても、学校側としては許可できないわ」
そりゃそうだ。女子が男子更衣室で裸になっていたら、男子生徒の理性が保たないだろう。
「じゃあ女子更衣室かというと、これも難しいの。女子生徒全員の同意が必要になるけれど、思春期の女の子にとって『中身が男子』の人と着替えるのは抵抗がある子もいるはずよ。全員の同意を取るのは現実的じゃないわ」
白河先生の言葉に、俺は頷いた。遠藤の件で痛感したことだ。
「身体は女だから」という理屈だけでは割り切れない感情がある。
「そこで、着替えが必要な際は『保健室』を使ってもらうことになったわ。保健室なら私がいるから、興味本位や悪意のある生徒から翔くんを守ることもできるしね」
パーフェクトな提案だった。
周りの生徒達だけでなく、俺も守るための大人の配慮。
「……ありがとうございます。正直、どうすればいいか悩んでいたんです」
「良かったわ。あとは本人の意志を尊重したいけど、これでいいかしら?」
「はい、異論はありません。納得して同意します」
俺がはっきりと答えると、白河先生は安心したように微笑んだ。
「さて、最優先で決めたいことは終わったから、後は体育の授業をどちらの立場で受けるのかという話ね」
黒瀬先生が話題を引き継いだ。
「安全面の問題が出るから、学校としては“無理をさせない”方向に動きてぇんだが……実際のところ、今の身体能力はどうなってんだ?」
俺が答えようと口を開きかけた瞬間、横から姫子が即答した。
「兄さんの今の身体能力は、よちよち歩きの赤ちゃんレベルです」
「そこまでじゃねえよ!?」
俺は食い気味にツッコんだ。赤ちゃんて! こちとら転けずに二足歩行できるんだぞ! 赤ちゃんハイハイレースでぶっちぎり優勝してやる!
俺を舐めるなよ令和生まれ!
「……まあ、正直に答えると、元の俺とは比較にならないくらい能力が低下してます」
俺は頭をポリポリと掻きながら、悔しさを滲ませて答えた。
「走るとすぐに息切れするし、筋力や身体のバランスが変わったせいか、情けない話ですが転びやすくもなりました……」
それを聞いて、黒瀬先生は顎に手を当てて「ふむ」と唸った。
「あぁ、確かにおっぱいデケえもんな。男の時と違って足元は見えにくいし、重心の位置も変わる。今までとはバランス感覚も変わっただろうな。すぐに慣れると思うが、それはお前の頑張り次第だ」
至極真面目な顔で、ド直球な分析を口にする黒瀬先生。
その瞬間だった。
シュッ!
姫子が音もなく席を立ち、黒瀬先生の背後へと回り込んだ。狙うは頭部、必殺のアイアンクローだ。
しかし――。
ガシッ!
黒瀬先生は振り返りもせず、背後に回した手で姫子の手首をガッチリと掴んでいた。
「なにすんだ一条妹……!?」
「避けないでくださいこのセクハラ教師……! うちの兄を変な目で見るその腐った脳みそを粛清して差し上げますから……!」
姫子のこめかみに青筋が浮かぶ。本気の力だ。
「俺は事実を言っただけでセクハラじゃねえよ! いや、言葉にしただけでもセクハラなのか!? くそったれ! コンプラってのは難しいな全く!」
黒瀬先生は叫びながら、必死に姫子の腕を抑え込む。
「っつうかお前マジで力強いな! ほんとに女か!? ――っと、そしてこの発言もセクハラなのか!?」
ギリギリと力の拮抗する音が聞こえてきそうな攻防。
生徒会メンバーは「一体何をやってるんだ」という呆れた目で二人を見守っていた。
いや、姫子のアイアンクローを防ぐ黒瀬先生も相当な手練れだな……。
俺は気を取り直して、話を戻すことにした。
「……コホン。まあ、そういうわけで」
俺は居住まいを正し、二人の先生に向かって言った。
「認めたくはないけど、俺の身体が女子である以上、男子と一緒に体育をするというのは、きっと皆に気まずい思いや迷惑をかけると思います。体力差も危険ですし」
俺は一度言葉を切り、まっすぐに前を見据えた。
「だから、女子として体育の授業に参加させてください」
それが、今の俺にできる最善の選択だ。
「今の俺の身体能力では、以前みたいに運動で大活躍して皆にキャーキャー言ってもらえなくなりそうなのは残念だけど……また活躍できるように頑張りますよ! すぐにこの身体に慣れて、俺こそが最強の生徒会長だって証明してみせるぜ!」
俺は右拳を握りしめ、ガッツポーズを取ってみせた。
ナルシストな俺様節は健在だ。身体は変わっても、心まで弱くなるつもりはない。
それを見て、ひよりがパァっと明るい笑顔を見せた。
「いいっすねー! そのポジティブさ、応援してるっすよ翔先輩!」
「翔先輩なら間違いなく以前みたいに……いいえ、以前よりかっこいい姿を見せてくれるって僕信じてますから!」
透も身を乗り出して、目を輝かせながら同意してくれた。
「逆境でも腐らず前向きになれるその姿が、翔くんの変わらない魅力だと思うわ。がんばってね」
夕映先輩が、俺の頭を優しく撫でてくれた。柔らかい手つきと、母性溢れる微笑みに癒やされる。
「へへ、ありがとなみんな!」
俺は照れくさくなりながらも、胸の奥が温かくなるのを感じた。
色々あったし、これからも大変なことは山積みだろう。
でも、ここには俺を理解し、支えてくれる仲間がいる。
やっぱり生徒会メンバーは最高だな、と俺は内心で深く感動するのだった。
なお、後ろではまだ「ええい、また避けられた!」「いい加減落ち着けって! お前俺が先生だって事忘れてるだろ!?」という攻防が続いていたが、それは見なかったことにした。




