第8話 揺れる選択
灰は止まらない。広場の外縁をなぞるように流れ、ゆっくりと形を作り始める。数は多くない。だが確実に“次”が来ている。
さっきまでの言葉は、まだ空気に残っていた。誰も動かない。誰も決めていない。
順番に従うのか、それとも壊すのか。ただ待つか、動くか。その間に、時間だけが過ぎていく。
「……どうする」
誰かが呟くが、答える者はいない。決めるということは、誰かを切り捨てることだからだ。
沈黙の中、俺は一歩前に出た。
「俺はやる。さっきと同じだ。一点に引きつける。分散させなければ、被害は減る」
「減るだけだろ」「ゼロにはならない」
「ああ。でも今よりはマシになる」
「保証はない」
「ない」
即答すると、ざわめきが広がる。納得はされない。それでも言い切る。
「だから選べって言ったんだろ。何もしないで順番に任せるか、分からない方法で減らすか」
どちらも正しい。どちらも間違っていない。だからこそ、決めるしかない。
灰がまた動く。今度は広場の中央ではなく、家々の間をなぞるように流れている。選んでいる。誰かを。
「……俺は従う。今まで通りだ。それで生き残ってきた」
年配の男の言葉に、数人が頷く。
「俺もだ」「下手に動いて、余計に増えたらどうする」
合理的な判断だ。
だが――
「……俺は、やる」
別の声がした。振り向くと、最初に詰め寄ってきた男が立っている。
「さっきの見てた。完全じゃないのは分かってる。でも、何もしないで決まるのを待つのは……俺には無理だ」
空気が揺れる。完全に割れたわけではない。だが一枚ではなくなった。
「……勝手にしろ。ただし巻き込むな」
「分かってる」
それで十分だった。全員が同じ方向を見る必要はない。動く者がいればいい。
俺は男を見る。
「名前は」
「……ダグ」
「いいか、ダグ。俺が中央に立つ。お前は外側を見ろ。分散したら声を出せ」
「分かった」
迷いはない。決めた人間の動きだ。
灰が形を取り始める。一つ、そしてもう一つ、さらにもう一つ。別々の場所で同時に。
「……来るぞ」
ダグが低く言う。
俺は中央へ歩く。意図的に一人になる。さっきと同じだ。
違うのは、“見ている目”が増えたことだ。
灰の流れが変わる。一つがこちらへ寄り、もう一つも引き寄せられる。だが三つ目が逸れる。
「右だ!」
ダグの声が飛ぶ。
視線だけ向ける。集中を分けない。中心を崩さない。
影が形を取る。二つが目前に集まり、圧が増す。空気が重く、肺が軋む。それでも離さない。引きつける。それだけに集中する。
――カン。
音が鳴る。近い。
影が揺れる。もう一つが再び動く。
「左に流れた!」
ダグが叫ぶ。
いい。見えている。
完全には止められない。だが、制御はできる。
影の一つが途中で止まり、揺れ、戻る。俺の方へ。
「……効いてるな」
小さく呟く。
だがその瞬間、別の方向で短い悲鳴が上がった。
全ては止められない。分かっていたことだ。それでも――さっきより遅い。確実に、遅れている。
「……続けろ!」
ダグが叫ぶ。
俺は応じない。ただ立ち続ける。引きつける。崩さない。それだけを繰り返す。
やがて影が一つ消え、次にもう一つ消える。灰が崩れ、地面に落ちる。残る気配も徐々に薄れていく。
完全ではない。だが、変わっている。
夜が、少しだけ静かになる。
広場に残るのは荒い呼吸と、押し殺した声だけだった。
「……減ったな」
ダグが言う。
誰も否定しない。さっきより明らかに。
「……ゼロじゃない」
「ああ」
それでいい。完全じゃない。だが、選んだ結果だ。
正しさの形は、一つじゃない。
そのまま、夜は続いていく。




